第4話 海、行こっか

「鉄?」


「うん、鉄」


 如月は泣き腫らした目で俺の顔を見上げた。


「俺、小さい頃から体が弱くて、よく風邪ひくし、体調は悪くなるし、腹も下すし、体力もなくて、学校がまともに通えなかったんだよ。度胸もなくて、ビビリで、虫も、球技も全部怖かった。だから同級生のあのタフさが理解できなくて、みんな心も体も鉄で出来てるもんだと思ってた」


 俺は自分の手のひらを見つめた。そこに自身の過去が書かれているとでもいうふうに。


「勉強も身が入らなくてさ、周囲からも置いてかれて、ずっと劣等感を感じて、それで中学の時に不登校になった。親に嘘までついて、『イジメられてる』なんてさ。馬鹿だよなぁ。そこから全部の歯車が狂ったんだよ。全部自分のせいなんだけど」

 

 胸が苦しくなってきて、俺は一つ深呼吸をした。すると如月は俺の心中を察したように、握っている手の力を強めた。彼女の体温は、自分より少しだけ冷たかった。

 

「被害なんてないのに被害者ぶって、親と一緒にたくさん泣いて、時には笑って、時には叱られたりして、なんとか高校から通えるようになった。友達もできて、頭は良くないけど、好きな教科もあって、客観的に見たら、恵まれてる方なんだろうけど、ずっと、罪悪感が消えてくれないんだ。親まで泣かした嘘をついて、たくさん困らせたのに、俺今幸せだなんて、言って良いのかなって。全部終わったはずなんだけど、なんかずっと過去が忘れられなくて、ときどき素直に笑えなくなったりする。それに怖いんだと思う。またああいう状況になったら、嘘をついてしまいそうで」


 話し終わると、俺と如月は手を握り合ったまま黙っていた。


 沈黙を破ったのは如月だった。


「ああ、なんか花田くんに話したらスッキリした。今日実はね、誰でもよかったんだ、遊ぶの。女友達でも、男友達でも、年上でも、年下でも、誰とでもよかった。ただ寂しかった。でも、花田くんで良かったかも。安心した。傷を負ってるのが自分一人じゃないことに」


 如月は立ち上がると、マイクを持って叫んだ。


「しみったれた空気を吹き飛ばす歌を歌うぞー。これ歌ったら、海、行こっか。海。花田くん、ドリンクバー行ってきて、少しでもドリンクバーのお金取り戻すよ」


 如月にコップを押し付けられた自分は部屋を出た。階段を降りながら、如月の言葉に共感していた。「話したらスッキリした」如月に手を握られ、静かに話を聞いてもらって、胸の苦しさもいつしか消滅していた。問題が解決したわけではないが、肩が少しだけ軽くなったような気がする。俺も如月も傷を負って苦しんでいた。だが、今夜だけは互いの傷口に手の平を置いて、その痛みを和らげてやることができたかもしれない。


 部屋に戻ると、彼女は変わらず昭和歌謡をこぶしを利かせて歌っていた。

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