第3話 ちょっとの間でいいからさ、手、握って
一通り歌い尽くすと、彼女と俺は長椅子に沈むようにして体重を預けた。もうクタクタだった。
「はあ〜楽しかった」
「こんなに歌ったの初めてだ、俺」
「私は昨日もこのくらい歌ったかな」
「毎日来てんの?」
俺がそう訊くと、彼女は長椅子に座り直し、オレンジジュースを飲んだ。
「私さ、夜が嫌いなんだ」
彼女の声音は静かだった。
「昨日も、一昨日も、その前も、あたし毎日家を抜け出してんだ。家にいるのが苦しくて」
如月は天井を見上げた。
「花田くんはさ、家族のこと好き?」
「えっ、どうだろ。やっぱり俺も思春期だから強く言い返すときとかもあるかな。でも改めて訊かれると、嫌いなのかな親?そんなことないかも」
「え、いいなぁ。親、アタリじゃん」
如月のその言い方は、嫌味っぽくなく、単純に羨ましがっている感じだった。
「あたしの親さ、毎日夜になると喧嘩すんだよね」
彼女はストローをコップの縁に沿わせて指で回転させた。
「毎日、毎日、毎日、よく飽きないよね。あたしとお姉ちゃんが小さい頃から怒鳴り合ってさ。でも離婚だなんだってなると、途端に子供のあたし達を出しに使って濁すんだ。あたし達って一体何なのって。あなた達の喧嘩を盛り上げたり鎮火させたりする道具?」
如月は自嘲するように笑った。
「あたしとお姉ちゃん、そっくりだって言ったじゃん。これ、わざとなんだよね。意識して似せてんの。こうやって家から抜け出して遊べるように、わざと。あたしって何なんだろうね。誰のために生きてんだろ…」
如月は立ち上がると、俺が座っている方の長椅子に腰を下ろした。そして言った。
「ちょっとの間でいいからさ、手、握って」
俺が良いとも駄目だとも言う前に、彼女は無理やり手を握ってきた。そしてその小さな頭を俺の肩に埋めて、いきなり泣き始めた。
こういうとき、どうすればいいんだ。
俺は何もできず、体をガチガチに固まらせて、彼女が泣き止むのを待つしかなかった。まるで嵐が止むのを待つ子山羊の気持ちだった。けれど、彼女が泣きたくなるほどの家庭の事情に、同情を覚えないわけではなかった。。
親、アタリじゃん。
彼女の言い方は、とても純粋だった。まるで子供が、他の子供のお菓子を欲しがるように、心の底からの願い。素直で、愚直で、祈るようにそれを乞う思い。傷を持つ者の叫び。
自分にもそういう感情に心当たりがあった。
「俺にもさ、如月ほどか分かんないけど、人生を生きる上で、苦しいようなことがあって」
俺がそう言うと、如月は泣き濡れた顔を上げた。俺の上着の肩の部分はびしょ濡れになっていた。
「どんなの?」
「俺は、小さい頃、みんな心も体も鉄で出来てるもんだと思ってたんだよ」
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