【番外編】little sister

【番外編2】~little sister~ 妹


年が離れていたせいか、妹の朔良は子供の頃は少し甘ったれな泣き虫だった。



菖蒲あやめは小さい頃からしっかり者と評されたが、同時に口うるさい。


それは自身でも自負していたつもりだ。


それが親しい身内であれば、ついつい語気も強くなってしまい、子供の時はさらに抑えることができなかった。



姉妹の喧嘩もよくある光景だった。


菖蒲が「ダメ!」と注意すれば、朔良は「ヤダ!」と反抗した。



両親がいれば、どちらかが菖蒲の代わりに朔良を叱るか、菖蒲の怒鳴りに泣いた朔良をフォローしたりしてバランスを取っていた。


だけど菖蒲が朔良を怒った思い出の中で一番印象に残っていたのは両親のそれでも、朔良の泣き顔でもなかった。


小さな背中。


朔良の一番の味方である男の子の背中だった。




――朔良・姉 菖蒲side―




「あ!!お姉ちゃん!!」



菖蒲が仕事帰りに母親の様子見ようと施設に寄ったら、朔良と鉢合わせた。



生意気に口答えしていた小さな妹はすっかり同じ目線の身長となり、今や一人で生活もできている。


朔良はヤカンを手にしていた。


一足先に母の病室に来ていたらしい。



「ちょっとお茶用に汲んでくるね〜」



笑顔にそう言って朔良は行ってしまった。



菖蒲は妹の後ろ姿を見て、本当にしっかりしてきたなぁと感心した。



もう二十歳を過ぎたわけだから当たり前だが、都合の悪いこと、嫌なことにもすぐ泣かなくなった。



結婚し、家庭を持った菖蒲。


仕事も忙しく、なかなか母も妹も両方の面倒を完璧に見れなくなったと心配していたが、少なくとも朔良はもう大丈夫だと思えた。



菖蒲が母親の部屋に辿りつくと、その扉の前に一人の男がいた。



スーツを着て、真面目そうなその男はジッと立っては、落ち着かない様子でソワソワと周りを見渡す。


怪しい男がいることに菖蒲はそれ以上近付くことを躊躇とまどう。



すると男がこちらを見た。



「…………あ、アヤ姉ちゃん」



菖蒲はそう呼ばれたことに「え?」と更なる戸惑いが生まれた。



「あ……あの、サクちゃんが先に入って待っててって言ってたんだけど……その、僕一人が勝手に入って大丈夫なのかわからなくて……」



菖蒲の目の前まで来た男は自信なさげに喋り出す。


困ったような表情に、見たことある面影に菖蒲はようやくピンときた。



「ソウ!?」


「え……うん?」


「噓ー!!本当にソウ!?ウソウソ!!めちゃくちゃデカくなって!!何よー!!スーツなんか着ちゃって!!」



久々の従弟との再会に菖蒲は興奮した状態で、創の肩を何度も叩いた。


朔良から創と時々会っていることは聞いていた。


しかし菖蒲の目で現在の創を見るのは初めてで、菖蒲の結婚式の時も創の両親が出席しただけで、創とは会わなかった。


記憶の中の創の最後の姿は中学生で止まっているのだから、菖蒲の驚きは仕方ない。



「生意気に私よりも身長抜かしやがって!!」



菖蒲は手を伸ばして、創の頭を無理矢理撫で回し、髪をぐしゃぐしゃにした。



「わ……わわ、アヤ姉ちゃん?」



創は戸惑うようにそれだけ言い、菖蒲のされるがままにされた。


体が大きくなっても、創は小さい時の大人しい男の子のまま、変わっていないと感じた。



「何?今日はどうしたの?」


「えっと、サクちゃんが今日おばさんのとこ行くって聞いて……僕も…って思ったんだけど」


「アハハ、あなた達相変わらず仲良いね〜」


「え……っと、まぁ……」


「まぁ仲良いというか、小さい時は朔良が一方的に振り回してた感じかな?本当にごめんね、あんな妹でさ」



菖蒲の身内故の批判に対し、創はようやく少しだけ笑った。



「まぁ朔良も朔良だけど、ソウも大概だったよね?」


「僕?」


「そう、朔良に甘いっていうか、どんな理由だろうと、いっつも朔良の味方しちゃってさ」


「えっと……ははは、まぁ……そうだったっけ?」


「あ……でも朔良ももうすっかり大人になって、泣きわめくことも我が侭も減って、しっかりしてきたと思わない?」


「え……」


「って、まぁ姉の私が言うのもなんだけど……」



創は突然、菖蒲から視線を外して菖蒲の後ろを見たのがわかった。


だから菖蒲も振り返った。



「えー、ソウ何で入ってないの?お姉ちゃんと世間話?」



クスクスと笑いながら、朔良がヤカンに水を入れて戻ってきたのだ。



菖蒲も笑って、久々に再会した興奮をそのまま朔良に伝えた。



「もうーソウがめちゃくちゃデッカくなっててビビった!!あんなヒョロヒョロだったのにさ」


「そうでしょ?それに男前になったとも思わない?」


「えー、顔立ちは子供の時のままと同じ感じだよ。そうよ!ソウも彼女とか出来たの!?」



菖蒲の質問に創は驚いた表情を見せたあと、顔を赤くした。



「え……まぁ……そ……その、……」



創の反応にそういう人がちゃんといるのだと菖蒲は判断して、顔がニヤけた。



「さ、こんな廊下で固まって立ち止まってないで入ろう?」



朔良がそう促し、全員で母の部屋に入った。



今日の母親は終始ニコニコとしていて、そのことに菖蒲は少しホッとした。



しばらくして朔良は隅に置いていた自分のカバンを持ち、立ち上がった。



「じゃあお姉ちゃん、私そろそろ帰るよ」



朔良のそれに合わせて創も立ち上がったから一緒に退室するようだ。



「お母さん!!私帰るね」



朔良に挨拶された母はニコニコと笑顔を返した。



「はい、いつもありがとうございます」



そう言った母に朔良は言葉なく微笑んだだけだった。



母に挨拶を済ませた朔良と創は部屋を後にした。



そこで時間を確認したら、そろそろ自分の旦那も来ると言っていた時間が近付いてきていたことに気付いた。



それなら駅まで旦那の車で送ってやろうと思った菖蒲は二人を追った。



エレベーターまで行ったが、もう二人の姿はなく、結局ロビーまで下りることになった。



そして外の入り口でようやく二人をすぐに見つけた。


見つけたが、菖蒲の足は止まった。



朔良が創に寄りかかり泣いていたのだ。



透明の自動ドア越しで見える朔良の顔は創の肩に埋められて見えないが、時折体を震わせて嗚咽をもらしているのが見てとれた。



創はそんな朔良の肩や背中を優しく叩いたり、擦ったりしていた。



菖蒲はそれをただただ見ていた。



懐かしい光景だった。



泣き虫な朔良の傍にいた、朔良の一番の味方は小さな背中。


夏休みの特番で怪談話がテレビで放映されているのを一緒に見てはくっついて離れなかった二人。


その背中はもう小さくない。



泣き顔を上げて、朔良は創に向かって少し笑った。



何か少し話してから朔良は再び病院の中に入ってきて、一人でどこかへ行ってしまった。



方向からしてお手洗いで化粧を直すのかもしれない。



その場で立ったままの創は離れていく朔良をジッといつまでも見守っていた。



ただ大きくなっただけではなく、顔付きも子供ではなくなっていた。



その顔を見て、菖蒲は急に理解した。



男前になったと言っていた朔良のそれは、きっと男の顔の創をよく見えているから。


創が朔良に向ける顔がきっとそうだから。



菖蒲は創の傍まで行った。



「ソウ」


「……あれ?アヤ姉ちゃんも帰るの?」



創は少し驚いた垢抜けない顔に戻り、菖蒲は少し腹が立ちデコピンをした。



「何よ、言えばいいじゃない」


「え?」


「付き合ってるのって……朔良でしょ?」


「…………あ、」



菖蒲の指摘に創の顔を真っ赤にさせた。



「……ごめん、隠してたつもりはなくて」


「別に私に言わないといけないことじゃないけど。まぁそれに黙っていたのは朔良もそうだからソウ一人を責めるつもりはないわよ。でも」


「……でも?」


「腹が立った」



そもそも二人の関係に口出すほど偉い立場でもないと菖蒲はわかっているから、それ以上何かを言うつもりもなかった。


でも秘密にされたのは仲間ハズレにされた感覚に近かった。


しかし小さいときの朔良と創はいつもそうだった。


お互いの耳にコショコショ話をしては大人達には教えず、二人だけでクスクス笑っていたのだ。



「それにしても、朔良が泣いてるのを……久々に見たな」


「そう……なんだ」



創は眉を下げて自分のおでこを爪で掻いた。



「僕はどちらかと言うと……いつも泣かしてしまってるよ」



菖蒲は「そう」と笑った。


きっと朔良は創の前では子供の頃のまま泣き虫で無茶な我が侭を言い、変わらず創を困らせているのだろうか。


大人になって泣かなくなった朔良。


だからと言って丸ごと人格が変わってしまう人間なんていない。


ただ我慢を覚えただけで泣き虫に変わりないのだ。



「お母さんね……」



菖蒲がおもむろに始めた話に創は少しを首を傾げただけで話に耳を傾けた。


昔から最後まで人の話をよく聞く子だったと菖蒲は思い出した。



「今日は調子良かったけど、この前はひどかったの」


「ひどい?」


「私達に向かって『あなた達誰なの?触らないで!!』ってパニック起こして大暴れしたの」



創は黙っていた。



「少しずつだけどやっぱり進行が始まってるの」


「……」



その時の朔良は少し困った顔をしてだけで決して涙は落とさなかった。


でも朔良はずっと傷ついていたのかもしれない。


今日のような笑顔の裏で。


創は溜め息を吐いた。



「そういやこの前、すっごく不機嫌に当たり散らされたことがあった」


「そうなの!?」


「……サクちゃんは、泣くばかりで、あまり僕に言ってくれないから……」



創は自分に言ってもらえないことに不甲斐なさを感じるのか泣きそうな顔をする。


しかし、むしろそれでもいいと思う。


朔良にとって子供の頃のまま甘えられる創がすぐ傍にいてくれるのだからと、菖蒲は嬉しく思った。


いっそ寂しく嫉妬すら覚えた。



「ねぇ、ソウ覚えてる?私が朔良のこと怒ってさ」



創は「そんなのたくさんありすぎて、どれかわからないよ」と笑った。


菖蒲も一緒に笑った。



小さい頃の朔良は菖蒲に怒られて「もういい!!」とどこかに行ってしまうと、創は行ってしまった朔良の背中を見て、怒りが収まらず仁王立ちの菖蒲を見上げ、交互に見て困った顔をするくせにいつも最後は朔良を追いかけていくのだ。


昔から人の話も最後まで聞いて賢い子だったから、きっと意味も状況も創にはわかっていたんじゃないかと菖蒲は思っている。


だけど例え朔良の方が間違っていても創はいつも朔良の元へ行くことを選んだ。



朔良を追いかける小さな背中。


それが菖蒲が強く印象残っている思い出だ。



「アヤ姉……」


「ん?何?」


「実はさ……その」



創は急に真面目な顔を菖蒲に向けた。



「サクちゃんと一緒に暮らしたいって考えてるんだ、僕」



今日初めて創がようやくまっすぐに見つめてきたように思う。



だから菖蒲は少し口を緩めて柔らかく笑った。



「そう」



色々言われることを予想していたのか創は急に焦った表情を見せた。



「そ……その、だから近々挨拶に行こうと思ってて、言うの遅くなって本当にゴメン」


「挨拶?ははは、真面目ねぇ。保証人とかは大丈夫?私サインしようか?」


「え……いや、その……」



菖蒲は創の背中を軽く叩いた。



「今度二人でウチにおいで」


「え?」


「晩ご飯ぐらいごちそうするよ。それに久々にたくさん話もしたいしね」


「……うん、ありがとう」



創は笑顔でお礼を言ったあと「あれ?」と聞いた。



「そういやアヤ姉、どうしたの?サクちゃんに用事が?多分そろそろ戻ってくるんじゃ……」



創は周りを見渡したが、菖蒲はそれを制した。



「いいの、朔良とはまた今度ゆっくり話すわ」



本当は車で送ってあげようと思っていたのだが、菖蒲は口にしなかった。


おそらく朔良は菖蒲に泣いている姿を見せたくないだろうし、創が一緒なら大丈夫だと思った。


そしてきっとゆっくり歩いて帰るだろう。


創と。



菖蒲は創から離れて施設に入った。



受付で名前を呼ばれるの待っている施設のフロア。


バラバラと行き交う人の間で菖蒲は振り返った。



入り口で菖蒲とは入れ違いで朔良が創の元に戻っていた。



泣き顔はすっかり無くなり、創に向かって笑って何かを話しかけている。


そして創はまたあの顔に戻り、優しく微笑んでいた。


朔良の笑顔もまた、子供の時とは違うものを創に向けている。



そして二人で手を繋いで帰っていった。


その後ろ姿に菖蒲は笑った。


手を繋いで二人で歩くその光景がやっぱり子供の時から変わらないとも思ったからだ。



変わったこと、変わっていないこと。



そんな二人に菖蒲は暖かい気持ちとなって、二人から視線を外し母の部屋に戻ろうと廊下を歩き始めた。

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