第35話 誰がための奇跡 2
漫画喫茶での数時間は、まるで異世界に迷い込んだかのような感覚だった。
サダコとの会話を通じて、彼女との関係は徐々に変化していった。
半ばふざけ合っていた日々から、僕らにはしっかりとした仲間意識が芽生え始めたように思う。
それは、ただの友人以上の、何か深い絆を感じさせるものだった。
彼女が実家へと向かった後、僕はその決断を尊重しつつも、心の中で何かの変化が起きたことを感じていた。
サダコの父、武山先生との対話は、彼女にとって重要な意味を持つだろう。
過去の傷を癒し、新たな一歩を踏み出すための勇気が試される瞬間だと、僕は考えていた。
その間、僕は何度もサダコのことを思い浮かべた。
彼女の笑顔や、時折見せる不安な表情が頭の中で反復され、どこか自分も彼女と一緒にいるような錯覚を覚えた。
実際には彼女は彼女の道を歩み、僕は僕の道を歩んでいる。
ただ、心の距離が縮まっていく感覚は、まるで同じ空気を吸っているような一体感を生んでいた。
三日後、待ち望んだサダコからの連絡が来た。
スマートフォンの画面に表示された彼女の名前を見た瞬間、鼓動が高鳴る。
短いメッセージだったが、どこか緊迫感を感じさせる内容だった。
「父と話した。話すことができたよ」
その言葉は、彼女にとって大きな一歩だったのだろうと、すぐに思った。
僕はメッセージに返信を送りながら、彼女が何を感じ、何を思ったのかを考えた。
どんな結論を出すにせよ、彼女を受け入れる準備はできている。
それがどんなものであれ、彼女の選択を尊重するつもりだった。
次の瞬間、僕の心の中に温かい思いが広がっていくのを感じた。
あの漫画喫茶での会話が、彼女を勇気づけるきっかけになったのかもしれない。
サダコが、自分の人生を選び取るための力を少しでも得てくれたなら、僕は嬉しい。
「何があったの?」と聞くと、すぐに返信が来た。
「色々あったよ。でも、今は大丈夫。あなたに話したいことがある」
その言葉に、僕の心は再び躍った。
どんな内容であれ、彼女が自分を開いてくれることに感謝し、受け入れる準備が整っていた。
サダコが再び僕のもとに戻ってくるその瞬間を、心待ちにしながら、深い呼吸をした。
サダコからのメッセージの中には、これまでとは違った響きがあった。
「あなた」と呼ばれるその言葉には、彼女が心を決めた証が込められているように感じた。
これまでの関係性から一歩踏み出し、互いを対等な存在として見る覚悟を決めたのだろう。
彼女の言葉は、ただの呼び方の変化以上の意味を持っていた。
過去の傷や恐れ、迷いを乗り越えようとする彼女の姿勢が伝わってきた。
僕はその瞬間、彼女が内に秘めた思いを受け止めたくなった。
自分が「師匠」として彼女を導くのではなく、互いに支え合う仲間として歩むことができるのだと。
「あなた」と呼ばれることで、彼女は自分の意志を強くし、独立した存在としての一歩を踏み出したのだと思った。
彼女がそうすることで、僕もまた新たな責任を感じるようになった。
彼女の選択を尊重し、支えていく存在になりたいと心から願った。
心が満たされる一方で、どこか不安もあった。
彼女がどのような道を歩み、どんな結論を出すのか。
その結果を受け入れる覚悟はできているが、彼女の未来がどのように展開していくのか、想像することは難しかった。
でも、その不安も含めて、これからの関係がより深まる予感がした。
サダコとの会話を通じて、僕たちの間に新たな絆が築かれていくことを感じていた。
彼女の選択を見守り、共に歩むことができるなら、それこそが最も重要なことだと思ったのだ。
☆☆☆
週末、鏡山村の駅で待ち合わせた。
駅舎の前に立つと、そこはどこか懐かしい雰囲気が漂っていた。
サダコが姿を現すと、彼女の表情には少しの緊張感が感じられたが、それ以上に大人の余裕を持った様子が見て取れた。
これまでの彼女とは違う、成長した彼女に目を奪われた。
「行くか」僕が声をかける。
「うん」サダコは力強く頷いた。
彼女が言葉を続けた。
「ねえ、師匠……じゃなかった、長谷川先生」
「なんだ?」と返すと、サダコは少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「師匠はもうやめたのか?」
「うん、やめた」とサダコは答えた。
彼女がそんなことを気にかけるようになったことに、少し嬉しさを感じた。
「……手、繋いでいい?」
サダコの言葉には、僕を信じようとする決意が滲んでいた。
「いいよ」と僕は答え、彼女の手を優しく握る。
指が絡み合い、互いの温もりが伝わってきた。
僕らは二人で歩き出した。
鏡山村の静かな街並みを背に、これから向かう場所に思いを馳せた。
どんなことが待っているのか分からないが、サダコと共にいることが心強かった。
彼女の側にいることで、僕自身も少しずつ自分を取り戻していくような感覚を覚えていた。
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