第33話 続・特性追跡者 6
試写会の会場は、まるで華やかな舞台そのものだった。
大きなシャンデリアが煌めき、レッドカーペットを歩く関係者たちの笑い声があちこちで響いている。
映画のポスターが飾られた壁には、記者たちがカメラを構えて立ち並んでいた。
僕は会場の片隅で様子を窺っていた。
映画関係者として招待されたのは確かだが、華やかな雰囲気はどうも馴染めない。
上映が始まるまでまだ時間があったので、適当な席に腰を下ろしていた時、突然声を掛けられた。
「先生、ここにいらしたんですね」
振り返ると、そこには恵理が立っていた。
彼女はプレスリリースのためだろう、黒いドレスを身に纏い、肩口から背中にかけて大胆に開いたデザインが目を引く。
長い髪が巻かれたスタイルがエレガントさを際立たせ、普段の彼女とはまるで違うように見えた。
「恵理さん……派手ですね」
僕がそう言うと、彼女は軽く笑ってから、自身のドレスを見下ろした。
「まあ、映画の宣伝ですから。それに、先生があのシーンで見せてくれた迫真の演技がなければ、私もここに立てなかったかもしれません」
「僕の演技なんて、ただの成り行きでしたよ。そこまで大袈裟に言われると困ります」
そう言いつつも、彼女の視線が妙に鋭いことに気づく。
「でも、本当にすごかったんです。あの時、先生は……本当に誰か別の人になったみたいでした」
彼女はそう言いながら、じっと僕の顔を見つめた。
その目の奥には、ただの賞賛とは異なる感情が揺れている。
まるで、僕の内側に潜む何かを見透かそうとしているようだった。
「……まあ、誰だって過去はありますから」
僕は軽く肩をすくめ、話をはぐらかした。
試写会の始まりを知らせる音楽が流れ始め、会場が静まり返る。
スクリーンに映し出される物語に、僕もまた巻き込まれていくのだろう。
そんな恵理の姿を横目に、僕は今後の展開がどこへ向かうのか、妙な不安を感じていた。
☆☆☆
「ご無沙汰しています」
僕が声を掛けると、中嶋さんはすぐに気づいて振り返った。
細身の体にピッタリとフィットしたスタイリッシュなスーツがよく似合っている。
その横には、大柄な奥井さんが立っていた。
いつものラフな格好のままで、やはり変わらないなと、思わず笑ってしまう。
「先生、本当にご無沙汰しています」
中嶋さんがそう言いながら近づいて来る。
彼女の表情は驚きと親しみが混じり合っていて、久しぶりに再会する旧知の友を見つけたかのようだった。
「驚きましたよ。まさか先生が俳優デビューなさるなんて! 本当にびっくりです」
奥井さんも腕を組んで頷きながら笑っている。
「まったくだ。先生の演技、みんな褒めてましたよ」
「いやいや、そんな……勢い任せでやっただけですよ」
僕は照れくさく笑って応じる。
試写会に向けて準備が進んでいる会場の雰囲気に少し気後れしつつも、昔からの仲間たちに囲まれていることで多少は安心感を覚えた。
「お恥ずかしい限りです。本職じゃないのに、あんな大役を任されるなんて思ってもみませんでしたから」
「先生らしいですね」と、中嶋さんは軽く肩をすくめて笑った。
「でも、それも映画の魅力じゃないですか。まさかオカルト教授が演技を披露するなんて、雑誌の記事を書く立場としても誇らしいですよ。今度、ぜひ取材させてください」
「おかげで僕たちも特別扱いされています」と奥井さんが言い、プレスエリアの方を指差す。
記者たちの中でひときわ注目を浴びている二人は、今回の映画の原作が掲載された雑誌の編集者として、特別な存在感を放っていた。
「それにしても、またこうして顔を合わせるなんて、何かの縁でしょうか」
僕は二人に向かってそう言い、昔のことを少し懐かしく思い出した。
雑誌の取材で一緒に鏡山村を訪れたあの日々が、どこか遠い過去の出来事のように感じられる。
「まさか、またこんな場所で再会するなんてね」
中嶋さんが優しく微笑む。
僕たちの再会が、また新たな物語の始まりになるのかもしれない――そんな予感が、かすかに胸をよぎった。
☆☆☆
試写会が終わり、舞台挨拶に立つと、すっかり舞い上がってしまった。
服部監督も恵理も、僕を持ち上げ、まるで準主役のように称賛してくれた。
僕は恐縮するばかりであった。
周囲からの拍手と歓声が心地よかった反面、すこし怖いなとも思う。
演技を通じて殺人者を演じた僕は、まるで半分、異常者になってしまったような感覚にもなっていたからだ。
果たして、これは演劇であって、現実の自分とは切り離された存在なのだろうか。
いや、そう思いたいが、周囲の反応がそれを許さない。
皆が期待を寄せる中で、演技と現実の境界が曖昧になっている気がする。
これが演じるということか。
恵理が人生を賭けて取り組んでいるということも少しだがわかった気がする。
ある特有の刺激と興奮。
感情が爆発することで得られる高揚感。
誰もが他人の痛みを演じることで、何かを感じ取ろうとする。
狂気の世界だが、体験できて良かったと思う。
☆☆☆
その時、舞台上から記者の中に、覚えのある男を見つけた。
新田悠也。
彼の姿を目にした瞬間、僕の心臓が大きく跳ねる。
新田は、僕が演じた殺人鬼のような顔をしていた。
その目には、何か暗い光が宿っているように見えた。
まるで僕を見透かすように、冷たく、そして哀れみを含んだ視線が突き刺さってくる。
彼の存在は、僕の心の奥に潜む恐れを刺激した。
「どうしてここにいるんだろう?」
僕は思わず呟いた。
新田は、あの日の記憶を引きずる存在であり、僕が何度も直面してきた自分の過去の影のような存在だ。
舞台上での演技が、彼を引き寄せてしまったのだろうか。
あの狂気の演技が、彼の心に何を残したのか、気になって仕方がなくなってきた。
「演技が本当に巧いですね、先生」
新田が笑みを浮かべながら近づいてくる。
その声には、どこか嫌な響きがあった。
彼の言葉が、再び僕をこの世界に引き戻す。
あの夜の恐怖が、また蘇りそうになる。
☆☆☆
新田が狂気の笑顔を浮かべたまま舞台へ上がってきた。
異様な雰囲気に気づいた司会者が困惑して、慌てて制止しようとするが、新田は意に介さずに歩みを進める。
観客席からも不穏なざわめきが広がり始め、誰かが「おかしいぞ、あいつ」と声を上げた。
その瞬間、僕の視線は新田の手元に釘付けになった。
銀色に光る冷たい刃が、彼の手の中でちらついているのが見えた。
心臓が冷え込むような感覚が全身を走り抜けた。
まさか――いや、あり得ない。
「刃物を持っているぞ!」
僕は叫んだ。
「警備員!」
だが、叫び声が響くと同時に場内は一層の混乱に陥り、出演者は慌てて席から立ち上がって逃げようとした。
警備員が駆け寄って来るも、新田はその混乱の中でも冷静さを失わず、まるで計画通りに事を運んでいるかのようだった。
僕は、もみくちゃになりながら、舞台上の新田を見失わないように必死で目を凝らした。
すると、静寂を切り裂くように、聞き覚えのある声が舞台に木霊した。
「――いい演技だったよ、先生」
その声は、僕自身の声だった。
新田の口から、まるで模倣するかのように僕の言葉が紡がれていた。
嘲るような響きを帯びた声が舞台に充満し、僕の心を締め付ける。
新田は、狂気と哀れみを交えた視線を僕に向けて、口元を歪めた。
「俺たちは本物のバケモノだ。そうだろう、先生?」
僕はただ、言葉を失い立ち尽くしていた。
新田が次の瞬間、恵理の方へ素早く向きを変えた。
刃が彼の手で一瞬輝き、恵理がその場で身動きできずに硬直している。
「恵理!」
僕は叫んで駆け寄ろうとしたが、混乱した観客たちに遮られ、身動きが取れない。
まるで世界がスローモーションになったかのように、新田が一歩ずつ恵理に近づく。
刃が閃き、恵理が息を呑んだ次の瞬間、鋭い悲鳴が響いた。
刃は彼女の脇腹に突き刺さり、彼女の身体は崩れるように床へと落ちた。
「嘘だろ……」
僕は声を震わせながら必死で人波をかき分け、舞台に飛び込んだ。
だが、その時には新田は既に警備員に取り押さえられ、地面に押し倒されていた。
それでも彼は狂気じみた笑顔を浮かべたまま、低く嗤っていた。
「見たか? 先生――これが本物のリアリティだ」
新田の声は舞台全体に響き渡り、まるで他人事のように軽々しく響いた。
僕は血だまりの中に倒れ込んだ恵理の元へ這い寄り、震える手で彼女を抱き起こそうとする。
しかし、その目は既に光を失い始めていた。
冷たくなりつつある肌を感じ、喉の奥が締め付けられるような痛みに襲われた。
恵理は小さな声で何かを言おうとしたが、その声は空気に消えた。
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