第32話  続・特性追跡者 5

 死は劇的でなくてはならない。


 そんな考えがどこから刷り込まれるのか。

 おそらく、生まれてから死ぬまでずっとだ。

 特に、死が身近にない環境で育った者ほど、その感覚は強い。

 小説、漫画、映画、演劇――どれもが劇的な死を描く。

 嘆き、悲しみ、憤る。

 死はドラマの起点となり、人生においては決定的な転換点として位置づけられている。


 当然のように、自分の死もまた、多くの友人や家族にとって、嘆きの日になるはずだ。

 それが自然だと思っている。

 生きている者にとって、死は未知であり、だからこそ過剰に感情を揺さぶる。

 それも仕方がない。

 誰も、自分の死を体験したことがないのだから。


 特性追跡者でもない限りは。


 前回のループで、僕は確かに死んだ。

 それは劇的な死とはほど遠かった。

 映画やドラマに描かれるような、血まみれで泣き叫ぶ最期ではない。


 その夜、僕は千鳥足でふらつきながら、国道沿いを歩いていた。

 速度超過の大型車両が迫ってくる中、前ループの僕――新田悠也は、そっと背中を押された。

 それだけだった。


 次の瞬間、僕の肉と骨は粉砕され、ただの肉塊になって、意識は途絶えた。

 脳髄が焼き切れるほどの激痛が走り、最後に残った思考の中で、呑んで死ねるならまあ良いか、などとぼんやり考えていた。


 僕には多くの人から恨まれる理由があった。

 人々のプライバシーを暴き、記事にして、責任を取ることはなかった。

 それで怒りを買わないわけがない。

 だから、僕がこの世を去るのはある意味当然で、運命だったのだろう。


 そして、僕は確かに物質世界と別れるはずだった。


 しかし、気がつくと――僕はまた数年前に戻っていた。


 今度の世界では、上原雄介が自殺し、僕は長谷川智也という大学教授として生きている。

 そして、先のループのように、いずれ新田悠也が再び死を迎える夜が来るのかもしれない。

 その時、今の新田悠也の魂は何処へ行くのか?

 数年前の僕――この世界の「オカルト教授」長谷川智也としてまた生きるのだろうか。


 ループの仕組みはわからない。

 僕の意識は今も混乱しているが、真実は一つだ。

 一つだと思いたい。


 僕は、ただ生きていたかった。

 それだけだったのに、否応なくループという螺旋に巻き込まれている。

 もし、この死のない螺旋から抜け出す道があるのなら、どんな犠牲を払ってでも脱出するしかない。


 ☆☆☆


 助監督が呼んでいる。

 そんなに死が見たいのか。

 いっそ、僕が経験した“死”をそのまま再現してみたらどうだろうか。


 ――提案してみるか。


 あの夜の淡々とした殺しを。

 粛々と進む死を。

 感情のない冷徹な終わり。

 血みどろの演出も、劇的な絶叫もない。

 ただ、時が止まり、肉体が砕け、意識が途絶える。


 それが本当の死の姿だ。


 その無情さを、彼らが望むならば。

 ――正気ではないこの世界で生き続けている僕にしか、演じられないもの。


 僕ができる“演技”が、もしあるのだとすれば、それはこれしかない。

 正気ではない世界に生きている僕しかできないこと。


 命が時を超え、永遠に終わらない地獄の一遍を垣間見せてやる。


 ☆☆☆


「カ、カット――!」


 監督の声が掛かる。

「先生。その……なんというか。良かったです。本当に」

「え? そうですか? ありがとうございます」


 拍子抜けするくらいあっさりと返答する僕に、周囲は少し戸惑っているようだ。


 セットのソファにもたれかかる恵理が、呆然とした顔で虚空を見つめている。

 彼女の夫役も、血塗れのまま倒れていた。

 彼が演じたのは、狂気に呑まれた僕――”恩師”から、"なつ"を庇い刺される夫。

 そして、僕もなつの正当防衛によって死んでしまうのだ。


 物語では、トラウマを抱えた"なつ"が、鏡に映る亡き夫と狂った恩師の狭間で翻弄されるというものだ。

 実際のところ、チョイ役どころか、物語の核を担う役割になってしまっている。

 いや、今さら文句は言うまい。


 二人の亡霊のどちらを重要視するかで、方向性が変わってくる。

 僕がナベさんに提案したのはホラー寄りだったので、恩師の亡霊が出てきては、美しい未亡人を追い詰めていくというものであった。


 実際にナベさんが小説で重用したのは夫の方で、これは多分にお涙頂戴の物語になっている。

 ただ、それはそれで良いと思う。

 実際に、それで売れたのだし、僕が提案したものはよく考えてみると、在り来たりだったのかもしれない。


「あんな感じで良かったですか?」

 僕が尋ねると、監督はしばし黙った後、口を開いた。

「良かったというか……多分、議論にはなると思います。いやあ、ちょっと先生の意外な一面が見られてビックリしましたよお」


「議論になる?」と僕は思わず心の中で繰り返す。

 さっきのシーンがカットされるかもしれないのか。


 まあ、それも仕方がないだろう。

 僕が、休憩後に「無言劇でやらせてください」と突然提案したのが始まりなのだから。


 しかし、実際に演じてみると、恐ろしいほどのリアリティが出てしまった。

 荒い息の下で大人三人が縺れ合って、野獣のように殺し合う。

 本物の殺害現場のような、冷たい狂気と無情さがそこに浮かび上がった。

 だが、断言してもいい。

 これこそが、最も死に肉薄した本物である、と。


 周囲は誰も言葉を発せず、場の空気が異様に重く沈んでいた。

 本当に“何か”が起こったように感じさせてしまったのだろう。

 劇的でもなく、ただ淡々と――恐怖が静かに、しかし確実に染み込む演技。


 恵理の表情は未だ虚ろで、彼女が何を感じていたのかはわからない。

 しかし、彼女の中に何かが深く刻まれたことだけは、僕にも感じ取れた。


 リアリティというのなら、そうかもしれない。

 なんせ本当に死んだ男が演じたのだから。


 オカルト教授として名は通っているが、実際のところ、まともな検証なんてしたこともない。

 いつも取材や聞きかじった知識で話をしているに過ぎないのだ。


 だが、今回は違う。

 僕自身が死を経験し、そしてまた生きている。

 だからこそ、今ここで撮影されているのは――本物のバケモノだ。


 もしこれが完成すれば、きっと史上初の“本物”を捉えた映画になるだろう。

 バケモノ本人が言っているのだから、これ以上確かなことはない。


 そんな不気味な考えが頭を巡る中、僕は冷静な顔を保ちながら、周囲を見回した。

 監督やスタッフは、どうしてあの演技があれほどのリアリティを持っていたのか、きっと想像もできないだろう。


 恵理も、あの呆然とした顔のまま、本当に何かを見てしまったかのように凍りついている。

 彼女の目には、僕の中に“何か”別の存在を感じ取ったのかもしれない。


 本当は、僕も自分が何者なのか、わからなくなってきているのだが。

 生き返った者が死を演じる――そんな皮肉に満ちたを、僕はいつまで続けられるのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る