第8話 特性追跡者 8

 夜の静けさが僕を包み込む中、僕は上原のブログに目を走らせ続けていた。

 薄暗い漫画喫茶の個室に座り、画面に映し出される文字を追う。


 上原の筆致は冷静でありながら、どこか狂気じみた魅力がある。

 彼の言葉は鋭く、時折目を逸らしたくなるような真実を突きつけてきた。

 それでも僕は読み続けるしかなかった。

 彼の世界を知りたいという衝動が、睡眠の欲求を完全に打ち消していたのだ。


 ☆☆☆


 彼のブログは、まるでパズルの断片のようだった。

 ひとつひとつの文章が点でしかなく、それぞれが繋がって初めて形になる。

 上原は歴史の出来事や、個人的な経験を織り交ぜながら、ループという現象の存在を探り続けていた。

 何世紀にもわたって繰り返される運命の糸を辿り、彼なりの解釈でそれを解き明かそうとしているのだ。


 時計を見ると、もう深夜を過ぎ、朝に近づいている。

 目が疲れ、視界がぼやけ始めたが、次々とスクロールする指は止まらない。

 上原が見つけたという事例の数々、どれもが現実離れしていて、まるでファンタジーのようだった。

 しかし、彼の言葉には妙な説得力があり、どこか真実を感じさせる力があった。


 気がつけば、僕はうっすらと眠気を感じながらも、最後の記事に辿り着いていた。

 上原の文章は、終わりに近づくにつれて次第に意味深長になり、暗示に満ちた表現が増えていた。

 彼が自分の死を予感し、次の分岐を選んだことを示唆しているかのようだった。


 スクリーンを閉じると、部屋の暗さが一気に広がった。

 漫画喫茶の薄暗い照明だけが、ぼんやりとした光を落とし、僕の顔を照らしていた。

 僕は椅子に深く座り直し、目を閉じて深呼吸をした。

 頭の中で上原の言葉がぐるぐると巡り、心の中に微かな不安が広がる。


 何かを見つけたような、何も見つけられなかったような、奇妙な感覚が胸に残った。

 僕はフラフラと立ち上がり、外に出ることにした。

 新鮮な空気を吸い込みたかった。


 ☆☆☆


 漫画喫茶の扉を開けると、冷たい朝の空気が僕の肌を突き刺した。

 街はまだ眠っている。

 薄い霧がかかったように見える街灯の光の中、僕は足を踏み出す。

 誰もいない、静まり返った通りをゆっくりと歩いた。

 朝の光が徐々に街を染めていく。


 僕はひとり、表通りへと向かう。

 まだ薄暗い東京の空を見上げると、そこにはぼんやり月が浮かんでいた。まるで、僕を見下ろしているかのように。

 都会の喧騒が始まる前の静かな一瞬の中で、僕は立ち止まり、自分が何を求めているのか、改めて考えようとした。しかし答えは見つからなかった。


 僕はただ、街の静けさに耳を澄ましながら、また歩き出す。

 今は、前に進むしかないのだと自分に言い聞かせながら。


 ☆☆☆


 東京の交差点に立つと、目の前には無数の人々が行き交い、まるで流れる川のようだ。

 朝のラッシュアワーで、人々はせわしなく足を運び、顔を下に向けてスマートフォンをいじりながら、自分の世界に閉じこもっているようにも見える。

 自動車のエンジン音と、人々のざわめきが混ざり合い、都会特有の雑音が朝を取り込み始めている。


 僕はふと立ち止まり、交差点の中央に目を向けた。

 赤信号が青に変わると同時に、無数の足音が一斉に動き出す。

 その様子はまるで、誰かが見えない指揮棒を振り、群衆を操っているかのようだ。

 信号の変わるリズムに合わせて、人々が自然と流れに身を任せる様子を見ていると、ふと考えが浮かんだ。


 もしかしたら、この人混みの中に、違う僕がいるのかもしれない。

 違う分岐を選んだ僕が、今この瞬間もここに立っているのかもしれない、と。


 上原の手紙にあった「特性追跡者」という言葉が頭に浮かぶ。

 僕たちは分岐を選び、新たな道を進む存在だ。

 彼がそう名付けたように、僕たちはそれぞれの人生で特性を追い求めている。

 今ここに立っている僕とは別の僕も、同じように特性を追い、違う人生を歩んでいるのだろうか。


 僕は自分の胸に手を当て、周囲を見回した。

 もしも別の僕がここにいるのなら、その僕はどんな顔をしているだろうか。

 何を考え、何を感じているのだろう。

 上原のように、また別の道を見つけ、新たな真実に向かっているのかもしれない。


 人の波が途切れることなく続く交差点で、僕は一瞬、とてつもない孤独感に襲われた。

 無数の人々の中に立ちながら、まるで一人ぼっちのような感覚が僕を咬む。

 それでも、僕は前を向き、足を踏み出そうと思う。

 違う僕がここにいるかもしれないという思いは、僕自身が選ぶべき次の分岐への意識をより強くさせた。


 青信号がまた赤に変わり、人々が立ち止まる。

 僕はその中で再び足を止め、周囲を見回す。

 何も変わらない日常の中で、僕だけが新たな何かを探し求めているような感覚。

 上原が言ったように、僕が僕である限り、見つけられるものが――そんなものが、あるのだろうか。

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