第5話 自己満足と愛憎劇 ますます

 薫は悩みに悩んで「柳の君」に会いに行った。この欲求だけは逆らえなかった。今日も憂いをヴェールのように纏って月を眺めている。夜が近づき強い光を放つ月ではない、控えめな薄青をした三日月を眺めていた。


「今日は無口なのね。」


 その言葉にはっとする。耳に流れ込んだ薫の血潮のような音。そして、少し眺めていただけで無口と言われるほどに「柳の君」と話していた事実にも高揚した。


「あなたはもう、わたしに話しかけてくださらないのかしら。」


 冗談混じりにくすりと笑った姿がいじらしい。薫が「柳の君」の虜になっていることに彼女は気づいている。そうして思い出した。彼女は幽霊なのだ。都市伝説のひとつとして語られる。でも人間味もあって何が何だかわからないところがまた彼女らしい。


「僕のこと、わかっているのに。」

「ふふ。」


 そんな会話をしていると、人間の頃も人を惹きつけたのだろうと察するところがある。

 薫には制御できなかった。奴なんて捨てて、未練をさっぱり脱ぎ捨てて昇天してほしい。それが彼女の幸せかもしれない。自分を馬鹿にしてばかりで、勝手に幸せになっている奴を思い続ける彼女を見ている方がもはや辛かった。


「今から、つらい話をします。」

「急にどうされたの。」


きょとんとする顔まで可愛らしい。好きだ。


「あなたの好きな人は『東透』ですね。」


驚いた表情の彼女を見ながら語り続ける。


「もうご存知かもしれませんが、『東透』は今、結婚しています。」


「ここからです。何度もあなたを考え続けた。悲しませたくない、でもあんな奴を思い続けるあなたを解放したい。」


「『東透』は、あなたと交際、または結婚している間に、今の妻『東咲』と不倫をしていました。」


「確かめさせて。」

「あなたがつらい思いをするだけです。」

「現実を突きつけられてこそ、執着を捨てられる。」


 薫は頷くしかなかった。元々彼女の願いを叶えたいと思ったことが始まりだ。遠回りをしたが彼女の意思を遮るなんてことできるはずがなかったのである。

 彼女は聞くだろか。あんな会話を。不倫していた頃の下衆な考えを。聞いてしまうのかもしれない。でも彼女が行くと決めたのだ。

次の日、彼女はいなかった。


 それから3日経ち、1週間経ち、3ヶ月が過ぎた頃。


「あなたは毎日、わたしがいないとわかっていながら、きてくださっていましたね。」


 何も言えなかった。無論、あの会話を聞いたかどうか問うことすらできない。


「あなたが何を考えているのか当てて差し上げる。わたしのことを、今の彼がどう思っているのかということを。そして彼と今の奥様との、わたしに関する会話をわたしが聞いたのか、ということではないですか。」

「その通りです。よおく分かりました。わたしはつまらない女。」

「そんなことは。」

「ところで。ニュースはご覧になった?」

「まさか。」


 ある家に火災が発生した。焼けた遺体は、男女2人と推定される。映った家のニュースを見て、まさかとは思ってたが。まあ、その可能性もあるか。彼女がやったことなら僕は尊重する。


「お恥ずかしいのだけれど、初めて彼の家に行ってから毎日、その家に通っていたの。あなたがわたしに会いに来てくれたように。」

「ふふ、彼、あと彼女、怯えていたの。わたしをみて。そうして思ったの。おもしろいなぁと。実はあの家を焼いたのわたしなの。ちょっとそこらの男を誑かして家に火をつけさせたの。」

「わたしにこんなことができるなんて、不思議なこと。もしかしたら、人間の間で、人を誑かす女がいる、なんて都市伝説として語られていたのかしら。ほら、わたし幽霊だもの。人にどう思われるか、語られるか、認識されるのかで変わるのかもしれない。」

「でも聞いたことがあるの。信仰されていた祠に住む神さまが、忘れられて消えてしまった。怨みを持って邪神になった。とか。ならわたしもそうかもしれないなと。」


 彼女の独白は恐ろしくも美しいものだった。未練を捨てさっぱりとした笑顔の彼女は、もう奴が好きだった月を眺める必要も、執着を持って囚われることもなくなったのだから。

 それに、都市伝説だなんだと噂していのは僕たちだ。彼女の力になれたと思ったら、これ以上の幸せはない。仮に、彼女の代わりに放火魔として出頭しろと言われたらもちろんそうする。

幸せなことだ。


「あなた、声に出ていますよ。あなたを身代わりになんかさせません。でもあっさり終わってしまったの。もう少し遊びたいのです。ねえあなた、まだ通ってきてくださる。」


「もちろんです柳の君。」


「じゃあ、今度はひとを連れてきて。あなたのきらいな上司とかでもいいの。もう少し、遊びたいの。人を誑かすって楽しいのね。」


「わたしもすでに誑かされております柳の君、お忘れですか。」


「あなたは勝手に恋をしたのでしょう。わたしに。」


「辛辣なことをおっしゃるようになったのですね、柳の君。でもそんなあなたにも恋をしてしまう。」


「おもしろいひと。軽蔑するかと思ったのに。あなたがわたしをなじってくれたらそれこそ、おわりにしようとおもったのに。」


「わたしが断っても、それこそわたしを誑かして遊んでいたくせに。」


「あなたこそ、辛辣なことをおっしゃるようになったのですね。」


「ねえ、あなたがわたしにあんなことを伝えなければこうはならなかったのよ。」


「それでも、あんな奴を思い続けて何年もあなたを苦しめなくなかった。あなたのことを大切にしない男を思うあなたを見るのが辛かった。」


「結局は自己満足ではないですか。でもそのおかげで、こんなさっぱりできたのよ。感謝してもしきれない。」


「あなたはお優しい。本当に素敵だ。どんなあなたも。恋するあなた。悲哀の中にいるあなた、そして家を焼くあなた。そして、少し恐ろしいあなた。」


「ねえ、あなたの言うとおり、わたしは恐ろしい。わたしは恐ろしい都市伝説。ならあなたも都市伝説。だって、人を誑かすわるい幽霊、いえ、いずれ人を喰うかもしれない怪異に協力するなんて。」


「あなたと共に語られるなら、喜んで。」

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