「あの祠に近づくな!」ってうるさいホームレス燃やしてみたったw

大萩おはぎ

「あの祠に近づくな!」ってうるさいホームレス燃やしてみたったw


 これは僕が小学校高学年の頃の話だ。

 僕はけっこうな田舎に住んでいて、村の周囲が山に囲まれていた。

 その中でも「さんさら山」と呼ばれる山は特別扱いで、大人たちから強く立ち入りを禁止されていたんだ。

 だけど子どもの好奇心ってのは厄介なもので……。


 ――カリギュラ効果。


 ダメだと言われるほど、やりたくなる現象。

 それが働いたのかある日、僕を含む数人の子どもが「さんさら山」に踏み入ってしまった。


「禁足地とか言って、どうせ大したことねーよ」


 どの学校にも”悪ガキ”ってのはいるもので、僕のクラスも例外じゃない。

 仮にその悪ガキをAとしよう。

 僕はAと、その取り巻きであるBと一緒に三人で山を登っていた。


「道に迷って危ないからとか、熊が出るかもしれないかもって程度の理由に違いない。大人どもは俺たちのこと舐めすぎなんだよな」


 Aはヘラヘラ笑いながら僕たちを先導していた。

 当てもなく歩き続けているような気がして、僕は質問する。


「でも、山に入って何をするの?」

「まああわてなさんな、目的地はある」

「目的地?」

ほこらだよ」


 Aはキッパリと言った。


「ほこら?」

「ああ、じいさんたちが話してるのを盗み聞きしたんだ。細いけもの道を辿っていくと山奥に祠があって、その中には”村の宝”が眠ってるんだってよ」

「た、たから!? すごいじゃん!」

「へへ、どんなもんか見てやろうじゃん。いいモノだったらオレがいただいちゃうぜー」


 最初は乗り気じゃなかった僕も、”村の宝”というワードには心惹かれるモノを感じた。

 確かに小さいけど今、動物たちが草木をかき分けた痕跡を辿ることができている。

 徐々に日が沈み、逢魔時おうまがときが近づく中、僕らは先を急いだ。


「そろそろだ」


 やがて三人はひらけた空間に出た。


「これが……さんさら山の祠」


 ボロボロの木造の祠がぽつりと立っているだけだった。

 想像よりも遥かに簡素で古ぼけた出で立ちに、みんなガッカリするのを隠せない。

 だけど僕だけは、ふと気づいた。

 祠の周囲だけが、不自然に草木が生えていないことに。

 地面がむき出しになっていて、上を見ても木の枝と葉が空を覆っていない。


「これは一体……」

「さっさと行こうぜ」


 立ち止まっていた僕に顎で合図し、AはBを引き連れて祠に近づいた。

 木製の扉を躊躇なく開き、中をのぞき込む。


「……なんだよこれ、こんなもんが”村の宝”?」

「ちょ、マズいよ……」

「ビビってんじゃねえよ、こんなもん――」


 僕からは見えない祠の中の”何か”に手を差し入れるA。

 彼はBの忠告に耳を貸さず、中身をイジくっていた。

 その時だった――。


「コラァー! クソガキどもー!」


 僕らの背後からいきなり大声が聞こえた。

 ビクリ、と全身が跳ねる。

 振り返ると、ボロ布を身にまとった男が早足でこっちに近づいてきていた。


「「「うああああああああああああああああ!」」」


 今まで全く他の人の気配が無かったのに突然現れたその中年男に、思わず三人ともが叫び声を上げてしまう。

 すごい剣幕の髭面男に気圧された僕たち三人は、全力疾走でその場を立ち去ったのだった。


 逢魔時、沈む夕日だけが僕らの罪を見下ろしていた。





   「あの祠に近づくな!」ってうるさいホームレス燃やしてみたったw





「あのオッサン、あれ以来”さんさら山”にいついてるんだってよ」


 後日、Aがこう語った。


「近づく子どもだけじゃねぇ、大人だろうと誰だろうと『あの祠に近づくな!』って怒鳴りつけるんだってよ」

「そうなんだ……怖いね」

「怖くなんてねぇよ。ただの狂ったホームレスだろ。なあ、あのオッサンのことオレらで退治しねぇか?」

「た、退治って……?」


 恐る恐る聞き返す僕に、Aが自信満々に語った。


「あのホームレスさ、夜になったら祠の近くで新聞紙を被って寝てるんだってよ」

「寝込みを襲うってこと? でも相手は大人だよ」

「まあ、そうだな。あんなきたねぇオッサンでも大人は大人、返り討ちにされるかも。だからさ……作戦がある」


 僕とBは耳を貸し、Aの作戦を聞いた。

 そしてその夜、「ホームレス退治」作戦は決行となった。


「や、やっぱりやめようよ……こんなこと、よくないよ」


 草陰から祠の前で眠る男を盗み見る僕たち三人。

 相手を目の前にして怖気づいた僕は、Aに中止を呼びかける。

 だけど当然ながら、Aはひるまなかった。


「バーカ、大人たちもあいつに迷惑してるんだ。よくないどころかむしろ退治するのはいいことだろうが」

「でも……」

「まあ見てろって」


 Aはライターとライターオイルの缶を取り出した。


「親父の部屋からくすねてきた。おいB、この中身を新聞にぶちまけてやれ。そしたらオレがとどめを刺す」


 Aの腰巾着のBもさすがに躊躇していたけれど、最終的には首を縦に振った。

 ライターオイルを受け取ると、Aと共に眠るホームレスに近づいてゆく。

 ぐっすりといびきをかいて寝ており、男は起きそうになかった。


「よし……やれ、B」


 Bはライターオイルを新聞紙にかける。

 その後すぐにAがライターを点火した。

 Aの作戦はこうだった。

 燃えやすい新聞紙に火を点ければ、ホームレス男は熱くて寝ていられない。

 寝込みを襲われて安全じゃないことがわかれば、この山から出ていくだろう。

 そういう計画だった。

 ライターオイルが登場するのは計算外だったけど、新聞紙に直接火をつけるのは難しいかもしれないと思って追加でAが用意したのだろう。


「ひひひ、燃えろ燃えろー」


 新聞紙に着火すると、Aが意地悪く笑った。

 メラメラと焚き火のようにゆっくりと火が回ると考えていた僕らの予想を遥かに上回り――。

 ボウッ! 闇夜が一気に白く瞬き、男の身体全体に一瞬で火が燃え拡がった。


「なっ――!?」


 これにはAも予想外だったのか、驚きの声が上がる。

 だけどもう火を点けてしまったのだ。

 止まらない、止まれない。

 ゴウゴウと燃え上がる火の手は男の体から大きく立ち上る。


「ガアア゛アアアアアアアアアアアアアアアア゛アアアアアアアアアア!!!!!」


 そしてやっと目を覚ましたのか、男がのたうち回り始めた。

 すでに服に火が燃え移っていて、全身の皮膚がじゅうじゅうと焦げ始める。

 手脚をバタバタと動かしもがき苦しむ人影を前に、僕らは立ち尽くす。

 何もできなかった。

 はぁはぁと息を荒げ、見ていることしかできなかった。


「ギャアア゛アアアアアアアアアア゛アア!! オゴアアアアアア゛アアアアアアアアアアアアアア゛アアア!!!!」


 どれくらい時間がたっただろう。

 永遠とも思える間、炎の中で踊っていた男の影は……。

 やがて動きが鈍くなり、ギシギシと関節を軋ませて停止していった――。

 プスプスと黒い煙が立ち上り、焦げた脂の臭いが鼻をくすぐった。


「――うっ、うげぇ゛ぇ!!」


 耐えられなくなったBが口を抑える。

 だけどこみ上げる嫌悪感に負けてしまったのだろう。

 吐瀉物がボトボトと地面を汚した。

 その時――。


 一瞬だけ。気の所為だったかもしれないけど。

 僕は、燃え尽きる男と目があった――気がした。

 そしてその瞳は縦に裂けていて、まるで爬虫類のように見えたんだ。


「おげ、おげええええええ!」

「や、やべえぞ! Bのヤツ、ゲロが止まらねぇ!」

「山を下りよう!」


 嘔吐が止まらないBの様子に冷静さを取り戻した僕とAは、Bの身体を引っ張って下山した。

 全力疾走で立ち去った僕たち三人。

 その後は何も言わないまま解散となった。


 それぞれの家に戻った僕らは、次の日に学校で顔を合わせる――はずだった。

 Bが来ていなかった。

 体調不良で欠席とのことだった。

 無理もないだろう。嘔吐までして一番精神的に傷ついていたのだから。


「しかしよー、不思議なんだよな」

「不思議って?」

「オレさ、早朝にあの場所に行ってみたんだ」

「ええ!?」


 Aの言葉に僕は耳を疑った。

 昨晩あんなことがあったばかりの場所に、一人で?

 神経を疑いたいところだけれど、Aはいたって冷静に続ける。


「だけどホームレスの”死体”がなかった」

「それって……」

「案外軽症で、自力で下山したのか。それとも誰かに救助されたのか」

「でも救助されたのだとしたら、ニュースになっててもおかしくないよね」

「だな」


 村の情報網は早くて密だ。

 騒ぎになっていないということは、やっぱり自力で下山したという説のほうが可能性が高いかもしれないと思った。

 もしかしたら、それは僕の希望的観測だったのかもしれないけれど。

 そんな僕の気持ちなどつゆ知らず、Aは怪訝そうな顔でさらに疑問を述べる。


「でもよ、焼け跡すらなかったんだぜ。不自然なくらい何もなかったんだ……誰かに証拠隠滅されたみたいに」

「それって……もしかしたら昨日の出来事自体が集団幻覚だったとか?」

「集団幻覚?」

「ほら、Bがパニックになってたでしょ? 人に火を着けるなんてことやっちゃって、僕らの精神のほうが罪悪感でおかしくなっちゃった……とか?」

「はぁ? バカじゃねーの?」


 僕としてはそれなりに説得力のある仮説だったけれど、Aは全否定した。


「Bのゲロは確かに祠の近くに残ってたぜ」

「ならなおさら不自然だよ。焼け跡だけがなくて吐瀉物だけあっただなんて……やっぱりBのパニックに僕らが釣られて集団幻覚を見たんだよ」

「ううむ……そう言われたら、そんな気もしてくるな……」


 Aは顎に手を当てて首を傾げた。

 

「とにかく、Bが体調不良なのは事実みたいだからさ。学校が終わったらお見舞いに行こうよ」

「ああ、そうだな」


 僕の提案にAも同意した。

 この日の放課後は、Bの家に行くこととなった。




   ☆   ☆   ☆




「Bは病気だ。帰りなさい」


 Bの父親が玄関に立ちはだかり、冷たく僕らに告げる。


「でも――」

「流行り病だ、しばらくは誰にも会わせられん」


 ピシャリ、問答無用とばかりに扉が閉まった。


「流行り病……?」

「昨日吐いてたし、ノロウイルスってヤツなのかな」

「バカ、嘘に決まってんだろ! 大人がなんか隠してんだよ!」


 僕の仮説をAが勢いよく否定する。


「Bの親父、いつもは優しいのにあんな態度だぞ! きっとBが昨日のことまで全部ゲロ・・っちまったんだ! ホームレスの焼死体も、Bの親父が片付けたに違いない!」

「た、確かに……」


 昨晩のBの精神は憔悴しきっていた様子だった。

 Bが父親に相談し、父親が焼死体の証拠隠滅を図ったということなら理解できる。

 僕らをBに会わせられないというのは、再び悪意に巻き込まれないようにという意図だろう。


「とにかく真相を確かめないと」

「確かめるって、どうやって?」

「こっちにこい。抜け穴があるんだ」


 Aに連れられて、Bの家の側面の生け垣を見る。

 そこには確かに、子ども一人が通れるくらいの穴が空いている。

 穴を通れば、Bの部屋の窓まで最短距離だ。

 中に入れなくとも、窓から中の様子を探ることくらいはできそうだった。


「よし……」


 僕たち二人は抜け穴を通り抜け、Bの部屋の窓から中を覗いた。

 そこには――。


「あれは……B……なのか……?」


 部屋の中には、”何か”がいた。

 僕らと変わらない、子どもくらいの大きさで、形も人型。

 だけど違う。

 何か……決定的に違うのはわかった。

 肌にはうろこがビッシリと生え、瞳は縦に割れて爬虫類のように変貌している。

 自身の髪の毛をブチブチと抜き、口に詰め込み続けては嘔吐を繰り返す生物。


「なんだよ、あのバケモノ……!」


 Aも目を見開いて驚愕していた。

 僕は言えなかった。

 その爬虫類と人間のあいの子みたいな怪物に、どこかBの面影があることを。

 言えなかったんだ。

 だけどそのうち、僕らの耳に窓の奥からかすかに何か声が届き始めた。

 ブツブツと小さく、だけど延々と繰り返される言葉。


「アノ祠ニ近ヅクナ」


 止まらない。


「アノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナアノ祠ニ近ヅクナ」


「な、なんだよこれ……どういう」


 その時だった。

 窓の向こうの怪物と――僕らの目が、合った。

 ギョロリと見開かれる、縦に裂けた瞳。


「「っ――!」」


 二人、声も出せずに走り去った。

 不法侵入が見つかる心配なんてしている暇はなかった。

 思いっきり足音を立ててBの家から逃げ出したんだ。




   ☆   ☆   ☆




 それからBが学校に帰ってくることはなかった。

 病気が悪化し、都会の病院に移ることになったと聞いてからの続報はない。

 家族ごと流行り病で全滅したという噂もあった。


 僕とAもなんとなく気まずくなって疎遠になり、やがて中学校を卒業したタイミングで、僕は村から飛び出した。

 アルバイトを掛け持ちしながら必死で生活費を稼ぎ、いまどき中卒で生計を立てることになった。

 生活は苦しかった。

 だけど今更あの村に戻って家族に頼る気にはなれない。

 そのうち、僕は四十歳を過ぎて中年と呼ばれる頃合いになっていた。

 さすがに三十年も過ぎて、村での出来事は忘れかけていた。


 完全に忘れることができそうな頃に――故郷から連絡が来た。


 Aが、死んだ。

 その知らせだった。生前、Aは自分が死んだら僕に知らせるように周囲に強く念押ししていたようだ。

 僕は数十年ぶりの故郷に脚を踏み入れるのだった。


 Aの葬式に参加した。

 手を合わせ、少ないながらお金を置いて立ち去ろうとしたその時。


「お待ち下さい」


 Aの奥さんが僕に声をかけてきた。

 精神的な問題だけではなく、経済的にも苦しく家庭を持てなかった僕とは違い、Aは家庭を築いていたのだ。

 奥さんは憔悴しきった様子で、美人であったろう顔をやつれさせたまま僕にこう話した。


「夫は事故死と公表していますが……実際は自殺でした」

「自殺ですって?」

「ええ……ですがその方法がどうにも……不可解で」

「不可解?」

「夫は――自らの脚を喰った・・・・・のです」

「は?」


 耳を疑った。

 だけど冗談や嘘ではないらしい。

 奥さんは真っ青な顔をして、震える唇で続ける。


「解剖では胃の中に指や爪がギチギチに詰まっていたと……。警察が言うには、ノコギリを使って自らの脚を細切れに分解して……胃に詰め込んでいた……と」

「そんな……ことが。あ、あの、つかぬことをお伺いしますがAは精神的に何か……?」

「いいえ、夫はいたって健康な人でした。警察も、ためらい傷が何箇所にもあって、正気を失ってやったというよりは……その」

「どういうことですか?」

「夫は……確固たる意志のもとにこの死に方を選んだのではないかと……」

「確固たる……意志」


「夫からです」奥さんは最後に、僕に手紙を渡してきた。

 確かに僕当てで、Aの字で書かれていた。


「お一人でお読みください。さっき私の家に”F.A.B.”と名乗る怪しげな調査員が来て、根掘り葉掘り調べられました。けれど夫と約束した通りこれだけは隠し通しました。義理は果たしたはずです。もう私たち家族を……巻き込まないで」


 奥さんはそこまで言って立ち去った。

 僕は手紙を開く。

 その中には、黒ずんだ血文字でこう書かれていた。


『祠へ行け。過ちを正せ。方法はオレの――』


 祠へ行け……?

 僕の脚は”さんさら山”へ……向くわけがなかった。

 手紙を全て読みきる前にビリビリと破り去って、その場を立ち去った。

 再び村から逃げ出した。

 忘れよう、本気でそう思った。

 さらにバイトに打ち込み、過去の記憶から逃げようとした。

 溜めた金で風俗に行き、一時の快楽を貪った。

 中年フリーターの給料で老後の資産形成なんてできるわけがなかった。

 だからその日暮らしの先のない生活を惰性で続けた。


 そして十年の月日が流れた。

 身だしなみに気を使わないようになり、ヒゲも髪も伸びっぱなし。

 ボロキレみたいな臭い服を着て、こんな身なりでは職も得られず、僕は生活保護のお世話になっていた。


「……今、僕は何を……?」


 ハッと気がつくと、僕は自分の足を口に咥えていた。

 最初はカリカリと爪を噛むだけだった。

 だけど徐々に歯で指を噛むようになって、今日は血が滲むほどになっていた。


「……同じ、なのか……?」


 すぐに気がついた、これはAが亡くなった時と同じ。

「自分の足を喰っている」のだ。

 

「おなじになるのか? このままじゃ、僕も……」


 その時、僕の脳裏にAの手紙の文言がよぎった。


「祠へ行け。過ちを正せ」


 僕の足は二度と踏み入れぬと誓ったあの村へ。

 ”さんさら山”へと向かっていた。



   ☆   ☆   ☆




 そして。

 変わらぬ光景がそこにあった。

 さんさら山の奥。

 木造の祠の周囲だけが不自然に草木が生えていないままだった。

 僕は祠の前にたち、木造の扉を開く。

 初めて見るその中には……。


「ヘビの……ミイラ?」


 白い蛇の死骸がそこに横たわっていた。

 なんてことはない、小柄なヘビだった。


「これを……どうするんだ?」


 疑問に思った瞬間、Aの手紙の続きを思い出す。


「Aの自殺の方法……狂ったんじゃない、あれはヒントなんだ」


 Aは自らの足を喰って死んだ。

 そして僕も同じように、自分の足をかじるようになった。


「自らの尾を噛む蛇……円環を表す……」


 僕はゆっくりと蛇の頭と尾を掴み、近づけてゆく。

 尾を蛇の口に差し込み、円形にした。

 その時僕はわかった。

 最初にこの祠に来た時、Aは円状になっていた蛇を解いてしまったんだと。

 それを知っていたAは、中身の修復を僕に託すためにこの手紙を記した。


「全てを修復できるとしたら、やり直せるとしたら……過ちを、正せるとしたら……」


 僕は目を閉じる。

 もしもこの小さな祠に神様が宿っているとしたら。

 一つだけ願いを叶えてほしい。

 僕たちの過ちを正す、その機会を与えてほしい。


 僕は願った――円環を表す蛇に。


「――っ!?」


 目を開けると、そこはまだ山の奥だった。

 だけど立ち位置が違う。

 祠の直前から少しだけ戻っていて、草木の生えない空間の少し外に出ていた。

 祠を見ると、その前には僕じゃなくて、小さな人影が二つ。

 何が起こったのかはわからない。

 だけど直感的に、小学生くらいの子どもがせっかく修復した祠の中身をイジろうとしていることはわかった。


「コラァー! クソガキどもー!」


 思わず大声を出し、僕は祠に近づいた。

 子どもらしき人影が三つ、叫び声を上げて山から逃げ出した。


「はぁ、はぁ……くそっ、せっかく直したんだ。絶対に壊させはしないぞ」


 僕は祠の中身を確認しようとする。

 だけどなぜだか木製の扉は固く閉まってしまい、どれだけ力を込めても開きはしなかった。


「ぜったい、絶対にもう壊させないからな……!」


 この祠を守らなければならない。

 僕の何もない人生に、唯一絶対の使命が芽生えていた。

 その日から、僕は祠の周囲に寝泊まりすることにした。

 野草や木の実、野生動物を口にしながら。

 日に日に、カエルやトカゲが美味く感じるようになってくる。

 ”さんさら山”の環境に適応していく自分に底しれぬ満足感を感じていた。

 祠を守れる喜びを毎日感じることができた。

 人生でこれほどの充実を感じられる瞬間はこれまで無かったのだ。

 村の大人も子どもも老人も、僕は誰一人祠に近づけさせなかった。


 何日経ったのだろう。

 僕はその日もいつものように、祠の前で新聞紙に身を包んで眠りについた。


「――!?」


 異常な痛みと、じゅうじゅうと何かが焦げる音で目が覚めた。

 鼻につくような刺激臭。脂の焦げた音。


「ガアア゛アアアアアアアアアアアアアアアア゛アアアアアアアアアア!!!!!」


 そして次に自分自身が聞いたのは、僕自身の断末魔だった。

 ゴウゴウと、自らの肉が焼ける音。

 火を着けられたと気づいたときには、もう手遅れだった。


「ギャアア゛アアアアアアアアアア゛アア!! オゴアアアアアア゛アアアアアアアアアアアアアア゛アアア!!!!」


 た、たすけて。

 たすけてくれ。

 誰か、僕をたすけてくれ。

 僕は手を伸ばそうとする。

 僕に火を点けた誰かに向かって。

 だけど焼け焦げ硬直し始めた肢体は各関節が曲がって丸まってゆく。

 まるで、蛇のように。

 たすけて。

 たすけて。

 たすけて。


「――うっ、うげぇ゛ぇ!!」


 誰かが嘔吐する音がした。

 そして吐いた少年の隣に立つ男の子と――目が、合った。


 あ、ああ。

 その時、僕は悟った。

 あれは、僕だ。

 あの時僕らが燃やした男も……きっと、前の円環の。


 自らの尾を噛む蛇。

 あの祠の中にいたのは――。





   THE OUROBOROS…END.

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