旅立ちは桜の散る頃に~高校生物語~

岡本蒼

第1話 小さな恋の芽生え

 2018年11月。

 この町で生まれ育った蒼井翼にとって今年も自分の好きな季節がやってきた。山々は真っ赤な毛布をまとったかのように紅葉し、冷えた風が木々から散った葉を吹き払うように駆け抜けて行く。

 そらは遥か果てを見渡せるほどに透き通り、白色のクレパスで散りばめたようなうろこ雲がどこまでも続いて、その中をチドリやカワセミが舞う。翼はそれを見ているだけで、田舎町もまあ捨てた者ではない、と思うのだった。


 緑陽台りょくようだい高校のビルは、街の大抵の所から姿を臨むことが出来る小高い丘にある。その為、人々にとってそれは道しるべとなり、中でも濃い青色の体育館は道に迷いそうな時には丁度いい目印になる。その高校を地元の人は緑校りょくこうと呼んでいた。



 朝8時。登校時間。


「おはよー、翼」

 毎日決まって一緒に登校する岩村俊。小太な体系でお調子者、そして争うことを嫌う。彼は興奮すると”ブー”と臭いおならをする事から”ブー”と呼ばれており、思ったことは直ぐに表に現れる。まあ、嘘のつけない人間だ。彼は舞踊塾の先生をしている母親と二人暮らし。


 そして、天然パーマの男、

「はーい、お二人さん」

 合流してきたのは前園金星。呼び名は”金”。金星という名づけ理由は子がお金に恵まれるようにと親が授けたらしく、そのご利益のせいか彼のふところ事情は裕福なものだった。身長は178センチと大柄な体格、それなのに昆虫が苦手だと言う小心者だ。そして何より彼は女性を見るなり、性欲が高まると”あーん”と言って自分の乳首を触るのが癖だった。



 朝8時。正門前では教員がここぞとばかり待ち構え、身だしなみチェックを行っていた。

 緑校は県内でも校則が厳しいことで名を知られ、容姿一つから教育は始まるのだ、と言う厄介な堅物頭の教師も多かった。



「おはようございまーす」

 そう言って翼は門を潜ろうとしたときに女性の教員が、


――待ちなさい、翼君。あなたまだ茶髪ね


「だからこれは生まれつきなんだって言ってるだろ」


――言い訳無用。早めに何とかしなさい! まったくもう


 翼の朝はいつも決まって怒鳴られることから始まりを告げる。




 翼の席は3年A組の窓際から3番目、最後列から3番目のゾロ目の位置にあった。左隣りの席には月岡瑠香。彼女は学問では学年トップで可愛いルックスの持ち主だが、暗い壁で身を覆っている大人しい子だ。そして頭脳とは裏腹に、運動はまるでダメ。体育の授業になると決まって腹痛を起こしたと言って保健室に運ばれるが、真相は分からない。それでも気付けばこぞって男どもは瑠香を見ていた。でも、そんな瑠香を翼は余り好まなかった。


二時間目の授業が始まってからしばらくたって、

「弁当、弁当」

翼はバックから弁当を取り出して、教科書を机の上に建てた。


「ちょっと、翼。何してんの?」

瑠香がそう言うと、

「早弁だよ、早弁。お前もウインナー食うか?」

そう皮肉るといきなり、

「ふざけないで!」

怒りのあまり瑠香は立ち上がって机を


”バンッ!”


と叩いた。

「なんだよ、俺のおふくろが作った料理に文句か!」

そう言って、翼も


”バンッ!”


と負けずに立ち上がった。


「こら、二人とも何だ!」

先生が怒鳴った。すると、


「ニャー、ニャー」

と瑠香のバックの中から子猫の鳴き声がした。


「いったい何の真似だ、瑠香も翼も廊下で立っときなさい」

先生の怒りはあっという間に沸点に達し、二人は水の入ったバケツを持って廊下に立たされた。

廊下では、

「おい、いったいあの猫どうしたんだ?」

「それは……それは私の友達だから、一人だけのね」

「友達?」

「あなたには関係ないでしょ」

瑠香は猫が大好きで、大小のぬいぐるみを部屋中に飾るほどだ。




 昼休みになるといつものように翼は彼女の安西登紀子と一緒に校舎の屋上にいた。秋晴れの薄い青空は遥か山々の向こうまで続いている。



 登紀子は父親一人で育てられ、高級な指輪やネックレスを身に着ける社長令嬢だ。

「ねぇ、早く高校卒業して結婚したいわね」

登紀子が赤いマニキュアの指で翼の唇を、そっとなぞりながら言うと、

「後半年の辛抱だ。その時は……俺と結婚してくれ」

「えぇ、勿論よ。子供も多い方がいいわ」

「ふふ、そんな体力は俺にあるかなぁ」

「またー、照れちゃって、可愛いわ」

「ううん……」

翼は長い前髪をかき上げた。


 その一部始終を階段の陰で瑠香が見ていた。

「なかなかやるじゃん、翼の奴」

そして子猫にパンをちぎってあげた。

「痛い……もう、噛むことはないでしょー、ミーちゃん」

 そして、しばらく青空を見上げた次の瞬間、


――あ、ミーちゃん!


 瑠香が目を離した瞬間、ミーちゃんは屋上の格子の隙間を抜けて行く。


――危ない!


 翼はミーちゃんに素早く反応し、飛びついた。

 瑠香は、

「ミーちゃん!」

と絶叫した。その後ミーちゃんは無事だった。だがしかし、翼は肘にかすり傷を負った。


「な、何なのあなたは?」

突然の瑠香の登場に登紀子はびっくりするしかない。

「ごめんなさい」

そう言い残して瑠香は階段を足早に降り、一階まで来ると立ち止まった。

<大丈夫、ミー。怪我はない?>

瑠香は優しくミーちゃんを両手で抱いた。


<翼っていったい何者なの?>

 その時から瑠香は、孤独好きな自分の心の中に、恋という羽根が生え始めた。


――相手は彼女がいるのよ

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2024年10月13日 08:15

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