第3話

 ホットコーヒーを右手に持った男性。着ているスーツはロイヤルブルーにネイビーのピンストライプ。同色のベストも着用。それにネイビーのシャツに紺のネクタイ。黒い革靴はピッカピカ。

 細面のお顔に細身の身体。オールバックで目つきが鋭い。イケメンの部類だろうけど……

 「え、あの、ど、どなたです?」

 男子が顔を少しひきつらせつつ、頑張って返答。そりゃ恐いよね。

 「柳楮やなぎかみと申す。それより、深泥池のことじゃ」

 「申す?」

 「ことじゃ?」

 女子が小声で言ってる。

 確かに、見た目は三十前後なのに言葉遣いが異様に古い。

 「じいちゃんみたい」

 「いや、うちのじいちゃんすら使わんて」

 男子も小声。でも聞こえちゃったのか、柳楮さんがギロリと睨む。男子、同時に口を手で押えた。面白いな、この子ら。

 「よろしいか。深泥池はな、昔はぎょうさんの人で賑わった場所じゃ」

 「え? ほんまですか?」

 男の子のひとりが口に当てていた手を下げて訊ねる。

 おじいちゃんっ子も追随。

 「俺ら小学生の時に遠足で行きました。自然豊かで景色はよろしいですけど、正直、他に何もないとこですやん?」

 「何もない、じゃと」

 柳楮さんが睨みつけた。

 「「ヒイッ!!」」

 男子ふたり、小さく叫んで再び口を手で押えた。まるでコント(笑)。

 「たわけたことを申すな。よいか。深泥池の由緒は正しく、天長てんちょう年間には淳和天皇じゅんわてんのうが行幸をなされておる」

 「天長? 江戸?」

 口を押えつつ、おじいちゃんっ子が呟く。

 「貴様らの言う平安の頃じゃ」

 柳楮さん、ドスの効いた声。

 「ごごごごごめんなさい」

 おじいちゃんっ子、わかりやすい反応。

 「ふん。まぁよい」

 柳楮さんが学生さんたちと私の席の間、空いている椅子に座る。

 「その後も和泉式部の和歌に詠まれ、貴様らの言う江戸の頃には名所図絵にも度々描かれとる」

 「景色がよかったから、ですか?」

 関東アクセントの女子が質問。

 「それもあるが……」

 「お地蔵さんがいはったんですよ」

 またも別の声。全員が顔を向ける。

 「おぉ、上城うえしろか」

 柳楮さんが破顔して呼びかけた。

 と、同時に。

 「きゃあ♪」

 「めっちゃきれい……」

 上城さんを見た女子ふたり、胸の前で手を組み、目がハート。

 そうなるよね。色白でキメの細かい肌。細めの目は目尻が少し下がってて優しい印象。鼻筋は通ってて高からず低からず、唇は薄い紅をさしたみたい。イマドキの韓流イケメン、といったらわかりやすいかな?

 ファッションも柳楮さんとは対照的に緩め。アイボリーのオーバーサイズ半袖シャツにブラックのスキニーパンツ。靴はアンバーが基調のレザースニーカー。イケメンは何を着ても似合うけど、この緩さ、女子は嫌いじゃないかも。

 「ちょちょちょちょ君ら、さっきの俺らのこと言えへんよ、それ」

 男子のひとりが女子の異変理由に気がついて言い募る。

 「せや、彼氏ふたりの前で……」

 「うるさいな」

 大阪女子がピシャリ。

 「そう、私たちはいやらしい気持ちないもん」

 関東女子も続く。

 「いやいや、プラトニックに惹かれるって、よほど問題や……」

 「ごちゃごちゃうるさいな。イケメン兄さんの話、途切れてもうたやんか」

 大阪女子、強し。

 「そうだよ。お地蔵さんがいたって、どういうことですか?」

 関東女子が上城さんに質問する。

 「そうだね。平安期に小野篁おののたかむらが彫ったお地蔵さんを、後白河天皇が京の都の6ヶ所、人の往来が多い街道の出入口に鎮座させたんだ。疫病えきびょうを退散させるためにね」

 言いながら、上城さんが柳楮さんの正面に座り、コーヒーフラペチーノをテーブルに置いた。チラッと私を見て、再び視線を学生さんへ。

 「疫病って?」

 関東の女の子が聞く。

 「今の言葉で言えば感染症じゃな」

 柳楮さんが答える。

 「最近でもコロナ禍なんてあったが、昔も感染症は大変だったんじゃ」

 「それで、お地蔵さんのうち1体が深泥池の湖畔に置かれた。時代がくだって室町期になると、一般の人たちの間でお地蔵さんを信仰するブームが起きてね」

 「ブーム、ですか?」

 大阪の女の子が訪ねる。上城さんを“イケメン”と騒いでいた時より、かなり落ち着いている。話に聞き入ってる感じ。

 「今と違って娯楽が多くはないし、お地蔵さんが信仰の対象としてわかりやすいからかなぁって、僕は思ってる。皆様から慕われて、ありがたいことだよ」

 上城さん、自分の言葉にウンウンって頷いてる。

 「慕われて?」

 「ありがたい?」

 男子ふたりが不思議そうに呟く。

 「まぁ、その、なんじゃ」

 柳楮さんが取り繕う。

 「兎に角、室町時代に地蔵信仰が浸透し、街道口に置かれたお地蔵さんを巡る“六地蔵巡り”が流行したんじゃ。その一番地蔵が深泥池地蔵。池の名前でもおん菩薩ぼさつの池と書いて御菩薩池みぞろがいけと書かれている書物があったくらいじゃ」

 「同じ漢字で“みどろがいけ”と読ませるものもあったなぁ」

 上城さんが補足。

 「あーねあー、なるほどね。それでたくさんの人が来てた」

 大阪の女の子が納得の表情。

 「うちのお母さん、お寺とか神社の御朱印もらうの趣味やから、なんとなくわかる」

 「ご母堂、良いご趣味じゃな」

 柳楮さんが優し気な笑顔。

 「え、えぇ、まぁ……」

 大阪女子、ちょっと照れてる。イケメンに弱いんだね(笑)。でも、なんにも気がつかない柳楮さん、表情を引き締めちゃった。

 「他にも八大竜王を祀っておった時期もあるし、何より江戸期には貴船神社きぶねじんじゃから分社した深泥池貴舩神社みどろがいけきぶねじんじゃを勧請しておる」

 「分社?」

 「勧請?」

 男子ふたり、安定の疑問系呟き。

 「ある神社の神様を別の場所でも祀ること、といったらわかりやすいかな」

 上城さんが優しく解説。

 「貴船神社は昔から多くの人が参拝していたんだけど、都からちょっと遠くて、季節によってはお参りに行きにくかった。そこで、深泥池の近くに勧請した。ちなみに、貴船神社も深泥池貴舩神社もご祭神、お祀りしている神様は高龗神(たかおかみのかみ)さま。わかりやすく言うと水の神様で龍神さまなんだ」

 「へぇ、なんか強そうやな」

 「深泥池の八大龍王ともつながったね」

 おじいちゃんっ子と関東の女の子が会話を交わす。なんとなく、この組み合わせのカップルっぽい。

 「左様」

 柳楮さん、ドヤ顔。

 「貴船龍王の瀧にも八大龍王が祀られておった。八大龍王に高龗神、いずれも龍の化身や神様じゃ。強そうであろう。カッコいいであろう」

 柳楮さん、めっちゃドヤ顔(笑)

 「そ、そやな」

 「うん、カッコええな」

 もうひとりの男子と大阪の女の子が気圧されつつ返答。このふたりもしっくりくる。

 「節分に豆をまいて鬼を追い払うようになったのも、深泥池にまつわる伝説があったからじゃ。よいか、その昔、湖畔近くに豆塚があって……」

 「柳楮先生」

 話の途中で、またもや声。

 私も含めて全員、カウンターの方向へ顔を向ける。

 「それに上城先生まで。うちのゼミの子たちが、なにか……」

 「秋庭あきにわ教授。お知り合いですか?」

 関東の女の子が少し驚いたように秋庭教授へ質問。

 「あぁ、お二方とも歴史学者さんだよ。京産大うちでも教えてはる」

 白いワイシャツに淡い朱色のジャケット。あの色は洗朱あらいしゅだったかな。それにモスグリーンのリネンスラックス。革靴は茶系で、あれは確か檜皮色ひわだいろ。年齢は四十代半ばに見えるけど、柳楮さんと上城さんに敬意を払ってる感じ。

 「左様。京都文化学科の非常勤講師じゃ」

 「君たちは秋庭さんの教え子さん?」

 柳楮さんに続いて上城さんが学生さんたちに訊ねる。

 「はい。同じ大学なのに存じ上げず、すみません」

 関東の女の子。受け答えしっかり。

 「気にしなくていいよ。学部や学科が違えば講師を知らなくても仕方ないよ」

 上城さん、優しい。

 「しかし、もう少し京都のことを学ぶべきじゃ。特に、男の子おのこふたり」

 柳楮さんが男子ふたりを交互に睨む。

 「そなたら京都の生まれであろう? 噂話ではのうて、ちゃんとした歴史を学びよし」

 「すみません……」

 「ごめんなさい……」

 男子ふたり、しゅんとしちゃった。

 「いやいや、柳楮先生。この子らもなかなかやりますよ」

 秋庭教授が学生さんたちに近づく。男子学生さんふたりの後ろに立ち、それぞれの肩に手を置いた。

 「経済的観点から京都の食文化を広める考察をしてましてね」

 「京の食文化はそもそも日本一ひのもといち。今さら広めるなど」

 柳楮さんが鼻で笑った。

 「……歴史があるからこそ埋もれているものもあります」

 おじいちゃんっ子、声は小さいけどハッキリした口調。がんばれがんばれ。

 「しかも平成以降、バブル景気後はコンビニの普及といった流通網の拡大により食の均一化が顕著です」

 「ほぅ。それで?」

 柳楮さん、少し興味を持ったみたい。

 「物流の発達により新鮮な食材が安定的に入手可能になるといったメリットがある一方、京都も含め地方の食文化の衰退を招いたと言いますか、忘れ去られてしまう要因を作った側面は否定できません」

 「京都を地方と申すは如何なものかとは思うが、まぁよい。続けよ」

 「は、はい」

 おじいちゃんっ子、残ってた抹茶ティーラテを飲み干す。喉、カラカラやろな。

 「そこで、物流などの発達を活用しつつ、主に京都のみで食べている食材を全国区にできないかと考えました」

 「読ませてもらったよ」

 秋庭教授がおじいちゃんっ子の肩をポンポンと叩く。

 「『酸茎漬けすぐきづけを全国区にするための方向性の検討と現状の課題および解決策』。なかなか面白いよ。量産体制の確立、コンビニや大手スーパーとのタイアップ、効果的なネット広告の活用、Z世代と四十代後半以上の世代の心を同時にとらえる戦略。見事だね。あの方向で進めてみようか」

 穏和な笑顔ながら、教授としての風格。

 「ありがとうございます!」

 おじいちゃんっ子がめっちゃ嬉しそうな笑顔で秋庭教授に顔を向ける。

 「あのぉ、教授。俺は?」

 もう一人の男子学生さん、不安げに秋庭教授を見上げる。

 「『辛味大根の新たな活用法と販路拡大に向けた考察』だったね。色んな活用法を提案しているのは面白いと思うよ」

 「めっちゃ美味しいし!」

彼女さん、嬉しそうな笑顔。作ってもらったんだろうなぁ。

 「確かに美味しそうだけど、販路拡大に関しての内容が弱いかな」

 秋庭教授が苦笑い。

 「美味しいものを作れば人が来る、というわけではない。加えて、地域の方たちが町興しとして知恵を絞りメディアやSNSも活用しつつ発信するのは大事なことやけど、我々が考えるべきは、もっと掘り下げて経済的視点にたった具体的な方策。例えば、メディアを見て興味を持った人に来てもらうだけではなく地域のリピーターになってもらうにはどうしたらよいか。さらには新たな美味しい食べ方を活用して他府県、関東や東海などの他地域でも辛味大根を取り寄せて食べてもらうための案。そのあたりの考えが盛り込まれると、なお良いかな」

 「わ、わかりました。練り直します」

 男の子、難しい顔して頭を掻いてる。

 「着眼点はよし。そやけど、もう1歩、あと2歩、かな」

 「2歩っすかぁ……」

 「いやいや、見直した」

 柳楮さんが笑顔。

 「ふたりとも、なかなか面白いことを考えておるではないか」

 「本当に」

 上城さんも穏和な笑みを浮かべてる。

 「どちらも実際に京都、特に北区を盛り上げられそうな研究。頑張ってね」

 「「はい!」」

 男子ふたり、良いお返事。

 「それなら、ちょっと大学に戻らへんか? 私も調べものがあるし」

 秋庭教授が男子ふたりを促す。

 「わかりました。俺もちょっと思いついたことがあるんで、可能かどうか過去の事例を調べます」

 軽いダメ出しを食らった男の子が立ち上がる。前向きだなぁ。

 「ほなら、俺も戻るは。なんか手伝うし」

 おじいちゃんっ子も腰を上げた。

 「ほんまに。頼むわ」

 「あ、じゃあ、私も戻る」

 おじいちゃんっ子の彼女さんも。

 「私は……もう少し残るわ」

 大阪の女の子だけ、座ったまま。視線は……

 「いやいやいや、この流れで上城先生をガン見て」

 彼氏さん、呆れてる。

 「いや、ほら、違うって。歴史の先生やったら、何かこう、ヒントになるようなこととか教えてくれるかなぁって……」

 「絶対そないなこと考えてない。イケメン好きにもほどがある。もぅ料理つくりません」

 「わ、わかったから。一緒に行くから」

 彼女さん、慌てて立ち上がる。彼氏さんの作るご飯、美味しいんだろうなぁ。

 「では、我々は失礼します。また」

 秋庭教授が柳楮さんと上城さん、それに私にも会釈して、学生さんたちを連れて行っちゃった。

 「噂話好きなダメ学生かと思うたが、なかなかどうして、よぅ考えとる」

 見送りながら、柳楮さんが呟く。

 「はい。面白い話を聞けました」

 上城さんが頷いた。うん、確かに面白かっ……

 「それよりも、紗羅」

 私の思考を遮るように、柳楮さんが私に視線を向けてきた。

 「え、わたし?」

 驚いて、目が真ん丸になっちゃう。

 「左様。お前の軽率な行動が今でも噂になっておるのじゃ。わかっておるのか?」

 「んもぉ、またそれですか」

 私、少し呆れちゃった。

 「何十年も前のことですやん?」

 「その“何十年も前のこと”で深泥池のイメージがホラーになったんだから、柳楮さんが苦言を呈するのも無理ないでしょう」

 上城さんまで私を責める。

 「そないなこと言われても……堪忍して」

 私、上城さんに手を合わせる。

 「……合掌されると弱いんだよなぁ」

 上城さんは困り顔で笑てはる。

 「そなたも変わらぬのぉ」

 柳楮さんが苦笑。

 「手を合わせてきはる人を無碍にはできませんよ」

 「そうは言うが、この者がタクシーであらぬことをしでかしたばかりに下らぬ噂が広まったんじゃ。反省してもらわねば」

 「だから、何十年前の話を……」

 「我らからすれば何十年前なぞ、つい最近のこと。だいたい年月の問題ではない。反省しているか否かの話じゃ」

 「反省してますもん」

 私、思わずむくれちゃった。

 「そうは見えんがのぉ」

 柳楮さんがめっちゃ呆れてる。

 でも、ちゃんと反省はしてます。

 反省してるけど、仕方なかったんやもん。

 だってあの日は……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る