粗大ごみ
増田朋美
粗大ごみ
もう秋らしくなってきて、いくらなんでも半袖で外出するのは嫌だなあという季節になってきた。そういう日になると、少しは体も動かしやすくなってくる。スポーツの秋とか、読書の秋、芸術の秋と呼ばれる時期に突入するのだ。
その日も、杉ちゃんたちは、いつもと変わらず、製鉄所でご飯を食べていたところだったが。
「こんにちは、梅木です。実はちょっとお願いしたいことがありまして、お伺いしました。」
と言って、梅木武治さんこと、レッシーさんがやってきた。
「はいはい、一体どうしたの?なにかあったのか?」
杉ちゃんが、玄関先へ行ってみると、レッシーさんが一人の小さな男の子を連れていた。年は、5,6歳くらいの少年だと思うのだけど、なんだか訳アリの子供さんのようであった。
「どうしたのこの少年は。どっかから、拾ってきたのかい?」
と、杉ちゃんが言うと、
「はい。実は富士駅の周りをウロウロしていたものですから、放っておけなくて、連れてきたんですよ。」
と、レッシーさんは言った。
「そうですかとは、言えないな。少年、お前さんは、どっから来た?」
杉ちゃんがそうきくと、
「わかんない。知らないで気がついたら駅にいた。」
と少年は言った。
「多分、眠っているところを、駅に置き去りにされたのではないでしょうか。多分ですが。」
レッシーさんがそう言うと、
「お前さん名前は?」
と、杉ちゃんが聞いた。
「信夫。」
少年は答える。
「年はいくつなの?」
杉ちゃんがまた聞くと、
「六歳。」
と、彼は答えた。
「そうなんだね。じゃあね、信夫くん。富士駅に来る前にはどこにいたのか、教えてもらえるかな?」
レッシーさんがそうきくと、
「全然、覚えてない。」
と、信夫くんは答えた。
「そうですか。それでは、親御さんを探すのも難しいだろうね。まあまずは何か食べてもらわなくちゃならんね。カレーを作ってやる。ちょっとこっちへ来い。」
杉ちゃんは信夫くんとレッシーさんを、食堂へ連れて行った。手早くカレーライスを作って、信夫くんの前にそれが置かれると、信夫くんはとてもうれしそうな顔になって、むしゃむしゃとカレーライスを食べ始めた。
「よく食べるな。流石に6歳だな。そういうことなら、子供さんとして、正常だよ。だけど、お母さん探すのは、本当に難しいぞ。」
「そうですね。なんとかして、保護者の方に引き渡したいと思うんですけど、何も教えてくれないんですよ。」
「僕、帰りたくない。」
杉ちゃんとレッシーさんがそう言い合っていると、信夫くんはきっぱりと言った。
「なんで帰りたくないの?」
レッシーさんが言うと、
「だって、帰れば、いつもカップラーメンばかりで、こんな美味しいカレー食べたことないもの。」
と、信夫くんは答えた。
「なるほどね。つまるところ、ネグレクトか。そうなると、警察にも連絡しなくちゃならないかもしれないね。でも、こういうときは犯人を特定できるような証言をできないんじゃ、解決は難しいぞ。それにこいつが、どうやって、富士駅に来たのかもわからないし、その前後のことだって、わからないわけでしょ。」
杉ちゃんは、腕組みをした。
「本来であれば、親のところに戻すのが、最善策なんだろうが、それをしてしまうと、信夫くんがまた被害に合う可能性があるから、それもしてはいけないと思うんだよね。」
「そうですよね。だからどうしようか迷ってしまって、僕は、ここへ連れてきたわけです。児童相談所なんて、有名無実であることは、僕もニュースなどで知っていますから。」
レッシーさんも杉ちゃんに言った。
「そうなんだよな。あれほど、役に立たない組織はない。とりあえず、信夫くんという少年がここに来たことは、警察さんへ通報しようじゃないか。」
「そうですね。」
レッシーさんは、杉ちゃんのスマートフォンを借りて、すぐに富士警察署に電話した。とりあえず子どもがネグレクトの疑いがあると言ったのであるが、子どもの名字がわからないので、どうにもならないという返事であった。全く、警察も、手がかりがなければ動いてくれないものである。レッシーさんは、行方不明の子どもの事件などがないか、聞いてみたのであるが、そのような事件はなにもないという返事であった。それもまたおかしいなと思ったが、いずれにしても、警察というのは、本当に事件性がないと、動いてもらえないものである。
その日から、信夫くんは、帰るところがないので、レッシーさんの自宅で過ごしてもらうことにした。その日は、レッシーさんといっしょに彼の自宅へ帰った。レッシーさんの自宅は、彼が歩けないことから、二階のない平屋建ての小さな家であった。なんでも、彼のクライエントさんの一人が、中古だけど手軽なものをと言って、譲ってくれたのだという。彼の家には、子供向けのものはなく、テレビさえもなかったが、信夫くんは、とてもうれしそうに、畳の上にごろりと寝たまま、にこやかにしていたのであった。その上、レッシーさんが、一人でしていた、風呂に入ったり、トイレに行くのを手伝いたいと言い出す。これには驚くが、信夫くんは、全く抵抗感なく彼の世話をした。子供らしいといえば子供らしいが、なんだかレッシーさんのような不自由なところがある人に、信夫くんは、すぐに手を出してくれる、優しいところがあるらしい。
次の日にもレッシーさんは、老婦人の家に訪問して鍼を打つ仕事があった。信夫くんを製鉄所へ預けることも考えたが、信夫くんは、彼と一緒に行くと言った。何度も言っても聞かないので、レッシーさんは、道具箱を持って、信夫くんを連れ、タクシーに乗って、仕事先のおばあさんの家に行った。おばあさんは、レッシーさんが信夫くんを連れてきたことに、はじめはびっくりしていたようだけど、信夫くんが、とても礼儀正しいので、考えを改めてくれたようだ。レッシーさんが、腕や足などに鍼を刺しているさまを、信夫くんは真剣に眺めていた。帰り際には、おばあさんが二人にお菓子を出してくれるまでしてくれた。
「おじさん本当に楽しそうだね。」
帰り道、タクシーを待ちながら、レッシーさんに信夫くんは言った。
「何が楽しそうなの?」
レッシーさんが聞くと、
「だっておばあちゃんと楽しそうに話してたもん。僕のママとは全然違う顔してるもん。」
「そうかも知れないけど、鍼とか灸の仕事なんて何もたいしたことないよ。それにお金だって大した額じゃないもの。」
レッシーさんがそう言うと、
「でも、僕のママより楽しそう。だってママは、いつも怒って、忙しすぎて、僕のことはどうでも良くて、何もしてくれなかったよ。」
と、信夫くんは言った。
「そうなんだ、君のお母さんは、なんの仕事をしていたのかな?」
レッシーさんは信夫くんに聞いてみた。
「わかんない。」
と信夫くんは答える。せめてお母さんの名前でも聞くことができたら良かったが、それはできなかった。そのあたりを聞き出すことができたら、事件は進展してくれるのではないかと思ったのであるが。
そういうわけで、レッシーさんと信夫くんの生活は続いたのであるが、信夫くんは彼の両親のことや、住んでいるところについては全く明かさなかった。そういうわけで、警察へ通報することもできず、じれったい日々が続いてしまった。仕方なく、信夫くんを仕事へ連れて行かなければならなかったが、レッシーさんが、鍼をクライエントさんの背中に刺したり、膝などに灸を据えるさまを、真剣に信夫くんは眺めていた。
「おじさん本当にお仕事が楽しそうだね。おじさんのような鍼とか灸で、人を元気にしてあげられるようになりたいな。」
信夫くんは、そうレッシーさんに何度も言った。
「おじさんはどうして、そういう仕事になろうと思ったの?」
子供らしくそう聞く信夫くんだが、レッシーさんは答えられなかった。
「ママはいつも、仕事をするには理由があるって言ってるよ。」
ということは、信夫くんは、なにか高尚な職業の女性の子どもだったのだろうか。まさか、就職できなかったので鍼灸学校に入ったなんて、口が曲がっても言えないとレッシーさんは思った。
「ねえ。僕、おじさんが、一緒に暮らしてくれればいいなって思ったの。だって、ママみたいに、怒ったり、怒鳴ったりしないじゃない。だからずっと、おじさん側にいて。」
信夫くんは真剣な顔をしてそう言っている。レッシーさんは困ってしまって、信夫くんが、お風呂に入っている間、警察へ電話してみたが、行方不明の子供さんの事件や、児童虐待事件などの報告は入っていないという。
「そうは言われてもですね。現に子どもが一人、うちで生活しているんです。子供だけで行きているわけではないでしょう。親が必ず近くにいるでしょう。本当に、そのような事件は何もないのですか?どうして、親御さんを探そうとか、そのような事をされないんですか?」
レッシーさんは、そう電話先で言ったのであるが、
「そうですけど、事件は何も起きていないのでねえ。もしかしたら、管轄が違うとか、そういうことでしょうかねえ。」
と警察はのんびりと言うのである。
「管轄って、子どもが一人、親もいないで、うちにいるんですよ。それなのに管轄がどうのとか言ってる場合じゃないでしょう!」
レッシーさんは、思わずそう言ってしまったが、お風呂から出てきた信夫くんが、
「おじさん怒らないで。」
と言ったので、ごめんなさいと言った。
「本当に、行方不明の子供さんや、虐待事件などが、起きていないのですか?」
レッシーさんはいうが、
「はい。ございません。信夫という子供さんを捜索してくれとか、そのような依頼は何もありませんし、信夫という子供さんが、家庭で暴力を振るわれているとか、ネグレクトをされているとか、そのような、通報は何もありません。」
と言われてしまう有り様だった。
「そうですか。でも本当に、信夫くんという6歳の子供さんがうちにいるんです。保護者の方がいらしてくれたら、すぐに僕がいるところに、連絡するようにお伝え下さい。」
レッシーさんはがっかりと落ち込んだ顔で、電話を切った。
「おじさん。僕は、おじさんと一緒にいたいのに、なんで無理やりママのところに、帰れと言うのかな?」
信夫くんは、小さな声で言うのであった。
「だって、ママが一緒だと、すぐ怒鳴るもん。すぐ怒るもん。だから僕、一緒にいたくないの。それに、おじさんがやってる鍼の仕事に僕もなりたいの!」
「そうだけど、、、。」
レッシーさんは困ってしまった。
「鍼とか灸とかって、こういう訳アリの人がなるんだよ。」
とりあえず、そういう事を言ってしまう。
「そうかな?」
と信夫くんは言った。
「訳アリって、おじさんはとても優しくて、いろんなおばあちゃんたちを楽にしてあげられるじゃない。僕のママの仕事よりよほどいいじゃないか。僕のママは、みんな偉い偉いって言うけれど、でも、僕には冷たくて、周りの人から、随分つらい思いをさせられるんだよ。」
ということは、誰かに恨みをかう職業なのだろうかとレッシーさんは思った。そうなると、高利貸しとか、そういう仕事でもしていたのだろうか?
「じゃあ、君のお母さんは、金貸しとかしてたの?」
優しくそう聞いてみるが、信夫くんは泣き出してしまってそれ以上彼の母親のことを突き止めることはできなかった。でも、母親が他人に辛い思いをさせる職業についていることは、確信できた。レッシーさんはすぐにメモアプリにこの発言を記録し、もう一度警察へ電話してみる。
「はあまたあんたか。もうしつこいな。だから子どもが行方不明とかそのような通報は。」
警察の人は嫌そうに言っているが、
「いえ、そういうことではありません。今日、子供さんと話をして、彼の母親は、他人に恨みを買うような職業だったことがわかりました。だから、そういう職業の女性から、通報がなかったかもしれないと思って。」
とレッシーさんは言った。
「そうですか。それならなおさら、そのような通報はありませんね。だって、まず初めに他人から恨みを買うような人は、通報なんかしてきませんからね。」
と警察の人はそう言っていた。レッシーさんは、少し考えて、
「それでは、逆のパターンと言うか、そういうことはありませんか?」
と聞いてみた。
「それはどういうことですかな?」
と、電話口で警察の人はいう。
「先程の質問と同じことになりますが、人に恨みを買うような職種ではなく、人に尊敬されるような女性で、育児の悩みなどを抱えている女性がいなかったかどうかです。」
レッシーさんは、自分でも何を言っているんだろうなという気持ちでそう言ってしまったのであるが、
「ええ、それがですね。」
と警察の人は言った。
「実は、女性センターに聞き込みに行きましたところ、一人、子供さんとの接し方で悩んでいる女性がいることはわかったんです。しかし、あんな高尚な身分の方が、子どもを虐待するはずがないって、言われました。」
「そうですか。ちなみに、その女性の名前は?」
レッシーさんが言うと、
「杉浦とか言うらしいですが、詳しくはわかりません。」
と警察の人は言った。
「わかりました。ありがとうございます。」
とりあえずそれを言って電話を切る。そして、杉浦とメモアプリに記録をし、明日、女性センターに行ってみることにした。
翌朝。レッシーさんは、製鉄所に信夫くんを預け、自分は、またタクシーに乗って、今度は女性センターに行った。女性センターの名乗るだけあって、利用者は女性ばかりの建物であったが、とりあえず、スロープはあったのでそこから、中に入る。
「あの、すみません。僕は、梅木武治と申しますが、ちょっとお尋ねしたいことがありまして。」
と、受付の人にレッシーさんは言ってみる。何でしょうかと受付に言われると、
「こちらに、杉浦という女性が利用していませんでしょうか?」
単刀直入に聞いてみた。
「ああ、杉浦さんっていいますと、あああの杉浦さんのことですかね。杉浦日沙子さん。」
「杉浦日沙子?」
なんだか聞いたことがある名前だった。
「あの、それってもしかして、新聞にも掲載されている名前ですよね?確か、あの、静岡大学で、、、?」
レッシーさんは言ってみる。
「はい。その杉浦日沙子さんです。」
受付はあっさり肯定した。
「失礼ですけど、なんのために、杉浦日沙子さんが、こちらを訪ねているのか、教えてもらえませんか?実は、僕の家で、信夫くんという6歳の男の子が、居候しておりまして。」
レッシーさんこと、梅木武治さんは、正直に話してみた。
「そうなんですね!」
受け受けは急に態度を変える。
「そういうことなら、やはり杉浦日沙子さんと一緒にいたのは、信夫くんだったのでしょうか?それでは信夫くんの母親が、杉浦日沙子さん。そういうことで間違いないですね?」
レッシーさんがそう言うと、受付は黙ってしまった。
「でも確かに、あんな有名な女性であれば、子供さんを放置することはありえないかもしれませんね。講演会を聞いたことはありませんが、聴衆を魅了する、すごい弁舌だって、いいますものね。 でも、それでも、彼女が。」
「ええ、こちらだって何度も断ったんです。でも、彼女は、そうしてくれって言って聞かなくて。何度もこちらでは対応できないっていいましたが、それでもしつこくて、、、。」
受付は、なんだか慌ただしく、レッシーさんに言った。
「そうですか。つまり、杉浦さんは、信夫くんと、縁を切りたいとか、そういう事を相談に来たわけですか。それにしてもなんで、親なのに子供さんを愛さないのでしょうか。やり方こそ、きちんとしようとしているのかもしれないけど、粗大ごみを捨てるわけではないのですし。」
「ええ、そうなんですけどね。今は多いですよ。子どもが鬱陶しいとか、いなくなってくれればいいとか、そういう事を相談してくる人はいっぱいいます。まあ、杉浦さんの場合、職業が高尚なので、こういうところに頼みに来るという知恵があったんだと思いますが、でも、やることは、階級も関係ないです。」
レッシーさんにそう言われて、受付はやっと真実を述べてくれた。レッシーさんは、杉浦さんの住所を教えてもらえないかと聞くと、須戸というところに住んでいると言った。
そこで、今度は、女性センターから、またタクシーに乗せてもらい、教えてもらった住所に行ってみることにする。その住所付近でおろしてもらうと、ものすごい広大な屋敷であった。こんなところによく住めるなとレッシーさんは思った。でも躊躇しないで、インターフォンを押し、自分の名を名乗る。出たのは、家政婦さんで、車椅子の尖った耳の男がやってきたことに、びっくりしていたが、杉浦日沙子先生をお願いしたいというと、しばらくお待ち下さいといって引っ込んでいった。その代わりにやってきた女性に向かって、
「あの、僕は梅木武治といいます。信夫くんを、富士駅で見つけて、こちらで預かっていますので、お引き取り願います。」
と、レッシーさんは言った。女性は、どうしてこんな人がという感じの顔つきをしたが、
「おわかりになりませんか?信夫くんは、あなたの息子ですよね?どうして、富士駅に置き去りになんかしたんです?」
と言ってしまう。
「まさか育児が面倒くさくなったとか、そういうことですか?」
と聞いてみると女性は、とても大学のセンセイとは見えない顔をして、なにか言おうとしているようであったが、何も言えなかった。
「お願いします。信夫くんを連れて帰ってくれませんか。彼は決して悪い子供さんではありません。僕が、鍼を打っていると、同じことがしたいと言い出す、優しい子です。だから、それをあなたのわがままで消してしまいたくないのです。」
レッシーさんがそう言うと、女性は、何を言っているの!というような顔をした。レッシーさんは、身分の高い女性はこうやってわがままを通せてしまうのだなとわかったので、ひとことこういった。
「世の中いろんなものに恵まれると、本当に大事なことはできなくなってしまうものなのですね。」
粗大ごみ 増田朋美 @masubuchi4996
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