パレスサイドビル

第17話

パレスサイドビルの地下には七夕ということもあって笹と短冊が飾られていましたが

「細川さん、ここに書かれている「東京日日新聞」とはなんですか?」

「これはずいぶん古いことを聞くなあ。戦前は朝日もそうなんだが、毎日は東京と大阪では

別会社で、大阪は「大阪毎日新聞」東京は「東京日日新聞」と言っていたんだ。

それが戦時中に統合したのさ。朝日も毎日も大阪が存続会社になったんだ」

後に中日新聞も東京新聞を会社登記上は吸収合併しますが、東京新聞の屋号はそのまま残しました。

これは中日では名古屋のイメージが強いことと、東京新聞の方が歴史が古いからです。

但しスポーツ紙は東京中日スポーツ(トーチュウ)となっています。

このため私は中日新聞と東京新聞を取り上げる時には「中日東京新聞」といっています。


短冊には「みんなが明るい未来を作れますように、東京日日新聞時代からの読者より」と書かれていました。

「東京日日新聞は終戦直前に大阪毎日と統合した、おそらくこの短冊の書き手は80歳以下ということはないだろう」

「そういえば、ずいぶん達筆ですね」

「この上に東京日日新聞の痕跡がある」

東京日日新聞の痕跡はパレスサイドビルの1階に残っていました。それは皇紀2598年(昭和13年)に

毎日新聞の飛行機が世界一周を果たし、その出発地である木更津に建てた記念碑でした。

当時は年号は皇紀で表記され、大阪毎日と東京日日の両社の名前が刻まれています。

戦時中に戦火にあい、一部が壊れたものを修復して1984年にパレスサイドビルの玄関ホールに設置して今に至っています。


それにしてもパレスサイドビルの荒廃は目を覆うばかりで、屋上は雑草だらけで歩くもままならず

後日私はこっそり板倉夫妻とあちこちを詳しく調べたのですが、非常逃げ出し口がない個所も多く

レンガはあちこちひびが入って崩落し、3月11日の大地震の日にパレスサイドビルが

大揺れして今にも崩れそうな有様でビル内が大混乱したとの証言が数多くネットに流れています。

板倉夫妻は「このビルは東海地震が来たら終わりだ」と予言しました。

確かに耐震基準のなかった当時に建てられて半世紀も経過したビルですから。外壁があちこち崩落していました。

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