人返し令(後)
第16話
この「人返し令」が大失敗し、水野忠邦は1841年に失脚して翌年世を去りましたが
この失敗を予見して江戸町奉行を罷免された人物がいました。
その町奉行こそ、誰あろう「遠山の金さん」こと遠山金四郎景元その人なのです。
彼は江戸の発展のためには地方から来る人たちの力が不可欠と考えていました。
そのため就農をやめさせるよう進言して罷免されました。
(水野忠邦失脚後復帰したが、1852年に引退し、3年後に死去)
これに彼は反発し、水野忠邦を失脚するべく工作を重ね、ついに1841年に失脚させますが
その時日本史上唯一の事件が起こります。
なんと江戸市民たちが水野忠邦の屋敷に1万人も押しかけ、投石や暴行を働きましたが
取り締まるべき町奉行である彼はあえて取り締まることをせずにこれを黙認。
しかし奇跡的にもけが人は出ませんでした。
実はこの考えは石川島に人足寄せ場を作った「鬼平」こと長谷川平蔵の考えなのです。
「鬼平」は人足寄せ場に集まった元犯罪者の更生に力をつくしましたが
就職先は農業は少なく、技術を要する商工業に多いことがわかりました。
このことから鬼平は無理に就農させることはせず、江戸に定住して技術職にするほうが
江戸の発展になると考えたのです。後に長谷川家は断絶し、新宿にあった長谷川家の家屋敷は
遠山家の手に渡り、何とそこから五代にわたって遠山家が家屋敷を保有し、
遠山家が家屋敷を手放したのは何と1994年になってからのことです。
それも建て替えや破産の類ではなく、主の不祥事で没収されています。
「遠山の金さん」のひ孫、遠山景久は、ラジオ日本の社長として
ワンマンぶりを発揮し、会社を私物化したため社員の8割以上を退社に追い込むなど
乱脈経営を行い、ついに1993年に筆頭株主の日本テレビが告発するに及び
社長を解任されたうえ、損害賠償を請求された結果、自宅や株式などの財産を
日本テレビに差し押さえられてしまったのです。
なにしろ1987年に追突事故を起こして岸信介の口添えで不起訴にしてもらったという
とんでもない男です。産経新聞在職歴もあります。
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