江戸の火事
第6話
私は四谷三丁目の消防博物館(四谷消防署併設)で
驚くべきことを発見しました。
江戸時代最大の10万人が犠牲になった「明暦の大火」(振袖火事、1657年)は本郷が火元で
火元の「本妙寺」は現在は巣鴨に移転し、千葉周作や遠山金四郎の墓があります。
「目黒行人坂火事」(1772年、死者1万人)「芝車坂火事」(1807年、死者1200人)の
いずれでも本郷は被災しています。
また、「八百屋お七」で有名な「お七火事」(1683年)も本郷が火元です。
「八百屋お七」の墓は現在白山の円乗寺にあります。
そこで私は江戸時代の記録を調べているうちにあることに気がつきました。
「目黒行人坂火事」の火元は当時は寺でしたが、現在は目黒雅叙園の一部となっています。
たまたまそこで華道家の仮屋崎省吾さんの生け花展示会があっていったときのことです。
目黒駅から雅叙園へ行く途中にある坂が火元の「行人坂」ですが
ここは急坂になっていて雅叙園が谷底になっていました。
火災の原因は当時ここにあった寺の坊主が修行に耐えかねて放火したのですが
大火の後で火付盗賊改長谷川平蔵が犯人を捕らえるのですが、「鬼平犯科帳」の記述と
実際の地形は一致しました。
本郷も谷底のような地形です、詳しく調べてみるとそれは一度火が広がれば
酸素が十分に供給されて火が燃え上がる危険性が大きいものでした。
私は直ちに東京中の地形を調べました。すると本郷、目黒、高輪、渋谷の4箇所が同じような地形になっていました。
しかもこの4箇所はいずれも大火の火元であると同時に近年のゲリラ豪雨で水没した土地でもあります。
この4箇所に防災設備と対策を備えないと大変なことになります。
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