東京の水道遺跡(後)

第2話

後に西新宿がビル街となるに及び浄水場は東村山へ移転して都内のほとんどの地域に水を送ることになりますが

現在の玉川上水は羽村の取水口こそ現役ですが一般人が見学できるのも事実上そこだけで

小平(西武線玉川上水駅南側)からは取水管を通して東村山に水を送り、そこから都内全域に配水します。

羽村の取水口は支柱こそコンクリートになっていますが、支柱の間に木材を敷いて流木を防ぐと言う

仕組みは玉川兄弟の頃から現在まで変わっていません。

小平から三鷹までは現在は排水路になっており、最終的には水は井の頭公園の先でで神田川に排水されます。

その先は現在は埋め立てられて首都高速4号線の高架下になりますが、代田橋や笹塚あたりでは現在でも

わずかながら遺構は残っています。しかし初台付近では跡形もありません。

これは笹塚から新宿までは京王線の地下線路として玉川上水の跡地を利用しているためで

やがて新宿駅の南口から新宿御苑の北側を通り四谷へ至ります。

実はこの区間は現在でも大雨などの緊急排水路となっており、実際に水を流すことも出来ます。

四谷から先は渋谷の東横百貨店をを経由して渋谷川となり天現寺橋を経て最終的に港区の浜崎橋から東京湾に注ぎます。

そして淀橋浄水場からは本郷配水場を経由して日本橋に配水していましたが

この本郷配水場の跡には現在は「東京都水道歴史館」(文京区本郷2丁目)があり、

玉川上水の歴史が紹介されています。

それにしても43キロの工程中で高低差はわずか92m、1mにつき2cmしか低くなっていないのに

水が流れるという技術は大変高度なものでした。当時の日本にはこれだけの技術があったわけです。

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