27.伊勢湾

第27話

昭和34年9月26日、相模湾で訓練をする一隻の船があった。

「尾崎教授!大変です!」

「どうした、平田君!」

「台風15号が日本に接近しつつあります!すぐ訓練を中止して港に入りましょう!」

「それでは晴海へ戻るとしよう」

「ちょっと待ってください!江ノ島へ一時寄港するとかの対策は取れないのですか?」

「晴海へ帰る」

「しかし、ここからでは3時間かかります。台風15号は既に潮岬の南に迫っています。

すでに外海はしけになっています。それでも帰れというのですか?」

しかし尾崎教授は晴海行きを命じた。

「台風だけはなんともならないが、尾崎教授はそれ以上だ」

やがて海は大嵐になり船は大きく揺れたが、尾崎教授は晴海へ戻れとしか言わなかった。船員たちはみな「なんとかならないのか」とつぶやくばかりだった。

「よく聞け!負けたらいかんのは逆境にではなく自分にだ!何とかならないかとつぶやくよりも何とかしようという気持ちが明日を作るんだ!」

平田は思い出した。東大に入ったとき最初に受けた授業に路面電車の事故で遅刻したときのことだった。事故で遅刻したというと尾崎先生からこっぴどくしかられた。

「事故で遅れているとき、お前は何をやっていたんだ?」

「はい、電車の中でつり革につかまってイライラしていました」

「それが甘いんだ!電車の中でつり革につかまってイライラしていたって少しも状況の打開にならないだろ!そんな時には電車を降りて線路の上を進行方向に向かって駆け足するくらいの根性見せろ!コラ!」

やがて嵐がひどくなって平田は立っているのもつらくなったとき、船の上に人影を見た。尾崎教授である。

「これが予科練根性か・・・」

尾崎教授は船に予科練時代の隊旗をつけていた。これは戦時中、尾崎教授が所属していた隊の隊長が「見えない星を目指す」と南十字星を図案化した旗を隊旗としたのだ。そして終戦直前、その隊長は「若い奴らだけを死なせはしない、本当は隊長自らが先頭に立って進まなければならない」と自ら特攻隊に加わり、部下だった尾崎教授に隊旗を託す。隊長は二度と戻ってくることはなかった。その1週間後に戦争は終わった。それ以来、旗は尾崎教授が持っていたのである。

やがて、しけにもまれながらも夜半に船は晴海へ到着した。するとラジオでは名古屋で台風15号が大変な被害を出したことが報じられていた。後にこの台風は「伊勢湾台風」と命名され、長く語り継がれることになる。

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