108.算額
第108話
1627年、吉田光由が数学書「塵劫記」を著した。分かりやすい数学書で明治時代になっても改訂版が発行され、現在でも教科書にその一部が取り入れられている。
1630年代に吉田光由が自ら出版した「塵劫記」の改訂版には自らこう記している
「数学を知らない人には人の数学の実力など分かるものではない。ただ計算が早いだけの人でも人の目には数学の名人と映る。そこでただ計算が速いだけなのか真に数学の名人なのかをはっきりさせるためにここに解答を付けない問題を12題出題する。われこそは数学の名人なりと思わんものはこの解答を本にして発表するがよい」
これを「遺題」という。
この「遺題」は反響を呼び多くの数学者が解答を出版した。そしてその本にはさらに難しい問題を付け加えていった。これが繰り返され1700年代に入ると、もはやそろばんだけでは解くことができなくなっていった。
これこそ数学を基礎とした世界最初のコミュニティと言えるだろう。しかし当時の日本は発展そのものを悪とみなす時代だった。
そのため方程式や幾何学は現在の高等学校とほぼ同じレベルが庶民の間で広く普及し研究されていたにもかかわらず江戸時代ではパズルやなぞなぞの類でしかなく
ご隠居の楽隠居の遊び程度のものでしかなかった。現在から見れば数学なら役に立つ分野はいくらでもある。そのため問題が解けても神社に奉納されるだけだった。
庶民が数学の問題が解けると神社に数学の問題とその解法を絵馬に書いて奉納した
これを「算額」と言う。現在熱田神宮に残る18世紀の「算額」は重なり合う円の面積をとくもので現在では高等数学だが、これを奉納したのは町人である。と、いうことはかなりのレベルの数学が一般庶民に伝わったと言えよう。
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