100.碓氷峠の釜めし

第100話

群馬県松井田町横川、ここに東西越えの難所碓氷峠の入り口がある。

明治時代に鉄道になっても碓氷峠はわが国最大の難所とされ、機関車も特別仕様で峠越えに挑戦した。それらの足跡は現在横川駅の傍らにある鉄道資料館で目にすることができる。

さて、なんと言っても横川の名を全国に知らしめたのが名物駅弁「峠の釜めし」だ。強烈な個性こそないが、知名度は全国一であった。

かつて私が学生時代たびたび軽井沢に出かけた折、わざと横川の通過時間を昼過ぎにした列車を選んだり、食事を抜いてくることなどは恒例行事だった。

そうまでして食べるほど「峠の釜めし」はうまかった。東京から軽井沢に来る人は一人としてこの釜飯を食べない人はいなかった。

釜飯の発売元「おぎのや」も努力を怠らなかった。暖かい釜飯には必ず別容器の漬物が添えられていた。これは漬物は暖かいと強烈な匂いが出てしまうがさりとて漬物は外せなかったのだ。

また、売る時はあらかじめ袋に個数別に分けて入れておく、横川駅の列車の停車時間は10分も無いからだ。それにもかかわらずほとんどの人が釜めし目当てにホームにあふれる。

やがて列車が発車すると売り子たちはいっせいに整列して何度もお辞儀をして乗客を見送ってくれる。これもまた「おぎのや」の名物だった。

諏訪に「おぎのやドライブイン」ができたおかげで、私はここ四半世紀一年とて一回も「峠の釜めし」を食べずに過ごした年は無い。

釜めしは横川駅だけではなく、横川駅前の食堂、軽井沢駅、新幹線車内でも食べられる。いずれも私は経験している。

横川駅前の食堂はこぢんまりとしているが、威厳は大きかった。

現在でも横川駅には鉄道マニア、登山者に混じってわざわざ釜めしを求めて

横川駅に来る客があとを絶たない。

さて、軽井沢駅は現在は鉄道資料館になっている場所が旧駅舎だった。

自動販売機も昭和が終わる頃やっと取り付いたもので、その前はみどりの窓口

兼用の出札口しかなかった。

私はこの駅を出て合宿場所にいったのである。狭いスペースでたいした物は買えなかった。もっとも旧街道沿いの店がたくさんあったからそちらの方に行って買うほうが良かったのだが。

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