99.門司のバナナの叩き売り

第99話

下関から関門海峡を渡って20分、北九州の門司につく。

かつては貿易港として栄え、大正時代からの伝統商売がある。

「基隆港から海の甍を越えて、ようやく着いたは門司港」

この名調子で知られる「門司のバナナの叩き売り」は昭和54年に

伝統芸能に指定され、現在は保存会の人たちによって守られている。

門司港は台湾がまだ日本領だった時代、台湾から運んだバナナの荷揚げ港として大いににぎわった。対岸の下関が漁業と朝鮮貿易で栄えた事とは対照的だ。

また、バナナはいたみやすく現在でも冷蔵庫で長い間は持たない。

ましてや大正時代のこと、貿易自由化などあるわけはなくいたみやすいバナナは下関から列車に乗せて運ぶことなどできなかった。祖母の話では昭和に入っても戦前は病気になってもバナナなど食べられなかったという。

そんな貴重品でも時間がたつと腐ってくる、現在のスーパーも同じだが

いたんでくれば値段を下げて売るより仕方がない。

そこでどんどん値段を下げて売る「叩き売り」が登場した。

「バナナの叩き売り」は門司から全国に広がり戦後になると東京にも登場し

東京・世田谷では昭和の世が終わるまで活躍していた。

一房150円、いや100円と現在のスーパーに比べても遜色ない値段だが

それでも売れない時はしばしばだった。昭和50年ごろは80円ぐらいになるまで買わなかったくらいだ。

門司港は魚より野菜の入荷が多く、かつての寝台列車の食堂車は野菜が足りなくなると門司駅に電話で注文していた。その当時の人気メニューがレタスの上にハムを乗せてマヨネーズをかける「ハムサラダ定食」だった。

寝台列車から食堂車が消えてもビーフシチュー、カレーと共に「ハムサラダ定食」は新幹線の食堂車の人気メニューとして守られて20世紀を生き抜いたのである。

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