92.杉本健吉画伯
第92話
名古屋から名鉄電車で一時間、知多半島の住宅もまばらな小高い丘の上に
小さな美術館がある。「杉本美術館」である。
日本を代表する洋画家、杉本健吉画伯がたてた美術館である。
「美術品は個人によって死蔵されてはならない、
公共の場で多くの人に見ていただくものである。」
この杉本画伯の信念の通り、現在杉本画伯の作品はほとんどが個人の物に
なっていない。
杉本画伯は名古屋市の自宅から現在もここまで通われておられる。
あるとき、私は杉本画伯にお会いすることができた。
画伯は当年(2002年)御年97歳になられていた。
金屏風に張られた「新平家物語」の挿絵を見終わると展示室の出口に
「お気に入りの絵はありましたか?」と画伯の自筆がある。
このあたりの美術館や博物館にはたいていレストランや喫茶室があるが
その用意がない小さな博物館でもどこでも茶室や休憩室があり
例外なく抹茶とお菓子が出てきた。
その先にある休憩室で抹茶を飲んでいると野球帽をかぶった
両手に杖をついた一人の老人が現れた。この老人が杉本画伯である。
体は不自由ではあったが、気力と会話はしっかりしていた。
これだけで私は体がこわばってしまった。それほど気迫があった。
「何かお気に入りの絵はありましたか?」画伯が私に初めてかけた言葉だ。
画伯は私の目の前で数字の「2」のあとに三重丸を描いた。画伯は言う
「これで2000年」2002年は2と2の数字の間に二重丸を描いた。
画伯はさらに漢字の「杉」の字を描いた、そしてその杉の字の木編に
さらに横線を一本引いて「本」の字にして「これで杉本」と言った。
「絵心は遊び心、遊び心がなくてはだめだ」
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