84.白洲次郎
第84話
父が昭和30年に運転免許を取った時、村の青年団がみんな車に集まってきた話はよく聞かされたが,次郎氏はその5年前に免許を取っていた。
しかも、次郎氏は政界、財界にパイプを持ち、幅広い交友関係があったという。
どう考えても次郎氏と親父に接点がないわけがない。
だが、親はもちろん、鶴川の人は誰一人次郎氏のことについて語ろうとはしなかった。強いて言えば昔馴染みのガソリンスタンドの親父さんだけだった。
それだけではない。町田市が発行した歴史の本や広報誌には白洲次郎氏のことはもちろん、正子さんのことすらまったく記載されていなかった。
次郎氏は1985年、新しい時代を見ることなくしてこの世を去るのだが、
この時私は同じ町に住む高校生だった。
このころは私と同じように歴史の得意な奴らがいて学校行事などで地域の歴史を調べることはたびたび行われていたのだが、どの本もどのグループも
白州夫妻を取り上げることはなかった。
白州夫妻の業績をクローズアップしたのは、なんと富士山の向こうの中日新聞だった。次郎氏がトヨタの章一郎氏(現名誉会長、喜一郎氏長男)と親交があったのが縁なのだろう。それに次郎氏は騒がれるのがきらいだったらしい。
だから東京の新聞はいやでも、名古屋の中日新聞なら騒ぎ立てられなくてすむだろうと考えていたのか。しかしそれは甘い考えだった。
次郎氏の死後、次第にその業績が明らかになるにつれてクローズアップされていったのだ。犬丸一郎氏(元、帝国ホテル社長)が中日新聞で次郎氏の話を語ったのを発端として、次第にその名が知られるようになっていったのだ。
そして、白州夫妻は新しい時代を見ることなくこの世を去った。
白州次郎氏は左翼的考えの持ち主だったようだが、同時にその限界も知っていたはずだった。だから歴史を息子たちに語ることは無かったという。
そして2001年、旧宅を「武相荘」としたのだった。
正子氏はともかく、次郎氏の業績は明らかにならない部分も多い。
しかも、日本経済を支えたとはとてもいえないものだが、これも直に明らかになる日が来るだろう。
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