83.武相荘
第83話
鶴川の東部に「平和台」という町がある。
戦後になって開発された新しく坂道が多い場所だが、この場所に古い民家が
ひっそりと建っている。「白洲正子記念館」である。
随筆家として知られ、1998年に世を去った白洲正子さんの旧宅である。
実はここは私の実家から1キロとて離れていない。歩いてもいける。
鶴川駅からバスに乗ってもいいのだが、歩いてくることも可能だ。
1940年、正子さんの夫、次郎氏はここの民家を買い、隠遁生活に入った。
時に次郎氏38歳。隠居にしては早すぎるのだが、次郎氏の親友がかの吉田茂といえば、当時は疎まれていたと思われる。
その証拠に次郎氏は戦後GHQとの連絡係やサンフランシスコ講和条約の外交団随行員として陰で吉田内閣を支えていったのである。
この白洲次郎氏を調べていくと分からないことだらけだ。
平凡社コロナブックス「白洲次郎」には私が信じられないことが書いてある。
逆ならありえる話だが、兵庫県三田市出身の関西人がわざわざ鶴川に「武相荘」
を建てて住んだりするのはよほどの田舎好きでなければありえない。
それも次郎氏はかなりのおしゃれだったらしい。隣の玉川学園前ならともかく
戦前の鶴川はさびれた町で、農業は盛んだったのだがそれ以外はまったくなかった町だった。昭和50年代まで買い物は町田駅前まで行くのが当たり前だった。農村でおしゃれはできないものだ。
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