82.産業技術記念館が教えてくれたこと

第82話

さて、舞台は再び栄生の産業技術記念館に戻る。

ここにある機械はいずれも明治、大正に作られた機械ばかりだが

中には平成の世になるまで働き続けた機械も少なくない。

今日も機械たちは元気に働き、布を織り続けている。

しかも、その布は十分使用に耐える。

100年以上前に豊田佐吉翁が作った機械は今なおその命脈を保ち続けているのだ。

車も同じ、戦前のトヨタの一号車「トヨダAA型」は一たび動き出せば

現在でも人を乗せて走る。

20世紀はじめの機械や戦前の自動車が60年以上たっても動いているということはその当時の日本の技術力が優れていたということを私たちに雄弁に語ってくれるのである。優れた技術なしでは60年も動き続ける機械など作れるわけは無い。その当時でさえそうだったのだ。

ましてや現在の日本人がそれよりはるかに優れたものを作れること、その自信を子供たちに持たせること、そしてそれらの技術には隠れた先人たちの苦労があり、その上に私たちが暮らしていることを産業技術記念館は私たちに教えてくれている。

産業技術記念館の一角に不思議な展示物がある。「トヨタ製プロペラ」だ。

自動車生産に生涯をかけた豊田喜一郎はヘリコプターも手がけていた。

その設計図の一部も残っているが、昭和初期としては信じられない設計である。

回転翼の角度を変えるだけで前進、後退、空中停止ができるという後の

川崎KH-4型と同じ設計だった。飛行機ですらリンドバーグの大西洋横断や

ロケットがやっとゴダードの液体燃料ロケットができて戦争専用から脱却しかかっていた時代の話だ。

そんな時代にまだまったく分かっていなかった大空への夢を膨らませていたのだ。そして現在でもトヨタでは飛行機の研究が続けられている。

「障子を開けてみよ、おもては広いぞ」豊田佐吉の言葉である。

この言葉はいかようにも解釈できるが、私はそのままコミケの仲間に伝えたい。

障子を開けることすら恐がる日本人が多いこと、そしてそのためになんと多くの日本人が不幸にあったことか。

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