68.コミケ案内(1)

第68話

人々がみな平和で幸福であれば良い、平和な空間を作ろう、騒ぎはいやだ。

この私が一番嫌いな考えは、そのまま今日の同人誌の大多数の意見と

なっている。

私はこれを「同人誌共産主義」というカルトと定義つけている。

今日、20世紀の大半を費やした「共産主義」が大失敗の末崩壊したのを

だれも疑うものはいないだろう。

だが、一度生まれた思想が消えてなくなることは決してない。

現実にヨーロッパには今でも錬金術師たちが活動を続けている。

では消えたはずの共産主義がどこへ行ったか、それは日本、そして同人誌、

ビックサイトの中に延々蔓延したのである。

人々がともに腹の立たなくなるよう生産手段や考え方を統一すれば平和で明るい世の中になる、80年代までは私ですらそう信じるしかなかった。

後年、この考え方は多大な犠牲をもって否定される。

社会主義国家とヤマギシズムの崩壊という事実を以って。

だが、コミケもいずれ社会主義国家と同じ末路を歩む。私はそう断言する。

ここでコミケとは何かということを読者の方々に言っておこう。

もはやコミケ自身を「歴史」として語ることができるからだ。

コミケ、その第一回は1975年、虎ノ門消防会館で行われたのを

嚆矢とする。当初は春も加え、年三回体制で行われた。

第一回は32サークル、600名でのスタートだった。

その後、大田区、川崎、晴海、幕張メッセ、晴海と会場が変わり、

参加者は右肩上がりで伸びていった。この頃私もその一員として

参加した。

この「第二次晴海時代」のコミケは地獄であった。今ほどコンビニが

なかったから、食事は駅弁がなければ、自作を持参。会場の自販機と

屋台までもが売り切れが当たり前、朝6時に会場について、会場に入れるのは

2時ごろで、会場には冷暖房設備などなかった。

1995年、「世界都市博覧会」を中止に追い込んだ青島幸男東京都知事は

博覧会場予定地の有明の地に新しい国際見本市会場を作る。

「東京ビックサイト」である。

この頃、晴海でのコミケはすでに2日間開催でも参加者は13000サークル、

20万人を超えていた。もはや晴海では限界に近かった。

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