52.多摩線物語
第52話
戦争が終わり、新しい住宅を多摩中央の丘陵部に作ることにした。
多摩ニュータウンの誕生である。
これにこたえるように、鉄道路線の建設も始まった。
西武、京王、小田急の三社がそれに名乗りを上げた。
このうち、西武は多摩川線の是政から路線を延長する計画を立てたが、早々に
撤退した。
残る京王と小田急の戦いになったが、京王は調布から路線を延長する計画に出た。これが当たり、現在橋本駅まで延びる京王相模原線となった。
現在は新宿はもちろん、都心にまで地下鉄を通って電車が行き来している。
さて小田急は喜多見から路線を延長する計画を立てた。
しかし、それでは多摩川にもうひとつ鉄橋をかけねばならず、工事費がかかりすぎたのだ。仕方がないので、多摩に近い川崎市の生田の西のほうに駅を作った。昭和35年、現在の百合ヶ丘駅である。
この頃の小田急はよっぽど先見性がなかったのだろう。同じ年に新宿駅の改修工事がスタートしているが、工事が完成してもすぐに輸送量がパンクしてしまい、また改修工事を繰り返すの連続だった。
結局新宿駅の改修工事が完成したのは、昭和54年、千代田線が代々木上原駅に乗り入れた後、普通列車を地下ホームに移設してからのことだった。
それでも数年後には輸送量がパンクしてしまい、現在各地で複々線化が進んでいる。
そんな時代だったから、小田急に余裕などあるはずがなく、せっかく多摩へ乗り入れするために作った百合ヶ丘駅も、掘割構造で土地もぎりぎりまで使ってしまったから乗り入れ駅の役割は担えなくなってしまった。
そこで小田急は百合ヶ丘駅の西側の丘陵地に新しく駅を作ることにした。
これが新百合ヶ丘駅である、ここからさらに永山へ路線を延ばして
昭和49年、多摩線が開通した。
翌年には多摩センターに延長され、平成二年、唐木田へ延長された。
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