48.夢を運んだモノレール
第48話
この本のタイトルは「東京むかしむかし」だが、一部ほかの地域も入れたい。
私はこの本はタイトルは東京でも、記述は日本全部を書いている。今までの記述でも大阪や名古屋の記述が出てきただろう。
私はこの本がいつか日本の歴史を変えることを信じて書いてきた。そのために
いくつか東京から外れた記述を書いてみる。
昭和2年、小田急が開通したとき、川崎の二ヶ領用水の流れる地に「稲田登戸駅」を作り、その近くに公園を作った。向ヶ丘遊園地である。
戦前の向ヶ丘は遊園地というより、純粋な公園で入場料は取らなかった。
ただ、桜の木はたくさん植えてあったので、花見客は来たという。
駅から離れていたから、稲田登戸駅(現在の向ヶ丘遊園駅)から小田急は
レジャー客誘致のため、豆電車を走らせていた。
昭和41年、県道の改修工事で豆電車は姿を消すことになったが、これに代わってモノレールが設置された。私も何度となく乗ったが、往復160円の切符を買って乗る。片道で乗る人がほとんどいなかったため、遊園地正門駅には
係員はいなかった。改札はすべて向ヶ丘遊園駅でやっていた。
眺めは最高で、当時は民家とダイエーが見えるだけだった。といっても3分でついてしまう。しかし、バブル期から老朽化が激しくなり、たびたび運休した。
そしてついに、2000年2月、モノレールは1年間の運行休止に入った。
その結果、小田急はついにモノレールの運行を断念し、翌年、向ヶ丘のモノレールはその35年の使命を終えた。その駅の跡地には「藤子・F・不二雄ミュージアム」が建っている。ここがまさしくモノレールの駅の跡地なのである。
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