38.豊田村長の決断

第38話

大正時代、荏原郡玉川村の豊田村長はこう提案した。

「そのうち、玉川村は東京のベットタウンになるから今のうちに下水道とかを整備しておこう」

この頃の村長は現在のように選挙で選ばれるのではなく、形式的には天皇陛下から任命されることになっていた。しかも報酬は一切なかった。

だから敬遠することも多く、よほどの財産家で人格が高潔な人しか村長にならなかった。だから現在と比べたら大変な仕事だった。

この言葉に玉川村は二分した、そのとおりだとする賛成派と土建業者が儲かるだけだという反対派で、学校や子供たちまでが分かれた。

東京では戦前は戸籍業務は町内会がやっていた関係で、玉川村では議会を置くより町会長の総会を開いたほうが都合がよかった。最もこの時代、村長も報酬なしなら地方議員も報酬なしだった。

大正15年、ついに採決が行われ、わずかの差で賛成が多くなり、豊田村長の提案どおり、事業が始まった。

豊田村長は土地を地主から村が買い取り、下水道などを整備した後もとの地主に買い戻してもらう方法で次々と進んだ。

次第に世の中が豊田村長の言うことに進んでることがみんなにわかってきたため、賛成者は日増しに増えていった。

都市基盤整備は玉川村が東京市世田谷区二子玉川となった後も引き続き世田谷区の手により行われ、戦後昭和23年、豊田村長はその完成を見ぬままこの世を去るのだが、その頃には二子玉川の住民のほとんどが協力者となっていたのである。その4年後、二子玉川の都市基盤整備事業は完成した。

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