35.シンガポールで見たものは(後)

第35話

蝋人形の物語は続いているが、しばらくしていよいよ戦争絵巻が始まる。

「山下の打った芝居と・・・。」のパネル展示に続いて飛び込んできたのが、

1942年2月15日、あの「イエスかノーか」で有名なシンガポール陥落の

場面である。

日本占領下の資料の展示が続くが、明らかに日本と違うのは、日本軍を決して悪者扱いしていないことだ。「世界のパワーとしての日本の台頭」というパネル展示もある。

そして最後には1980年浦和市長から贈られたという昭和天皇の終戦詔書の

コピーの展示で終わっている。

その後は各地の軍事裁判と民族衣装の展示で終わっている。

意外なようだが、シンガポールやマレーシア、インドネシアの一部は

シンガポール陥落以来、玉音放送が流れるまでずっと日本軍が占領し続けていた。マレーシアでは戦時中日本軍が立てた政権がそのままイギリスからの独立運動の中心勢力になり、独立後も現在に至るまで政権を握り続けているのだ。

インドネシアの初代大統領スカルノ氏も戦時中日本軍に擁立された人物だし、

スーチーさんの父、アウンサン将軍もインド初代首相ネルー氏も日本軍に擁立されたり協力したりしたのだ。

のちにネルー氏はイギリス軍によって投獄されるが、このとき獄中で娘の

インディラ、後のインディラ・ガンジー首相に当てて書いた手紙を編集したのが、初歩の世界史のテキストとなる「父が子に語る世界史」という本だ。

後に東南アジアの人たちは口々にこういうようになる。

「日本と日本軍のしたことは決して無駄にならなかった。なぜならわれわれが独立して世界と対等に話せるのは誰のおかげであるのか。」

第二次世界大戦は戦争は勝っても負けても人間にとって何の価値もないことを教えてくれた。勝った国々でさえ、領土や賠償金を取れなかったばかりか、

支配していた植民地さえ手放すことになったからだ。

特にイギリスは戦後植民地の独立に力を入れた。世界最大の植民地を抱えながら、インド独立以降は積極的に独立させた。今日英語を話す国はたくさんあるが、イギリス植民地はほとんど世界には存在しない。

1959年マレーシアが独立し、1965年8月9日、シンガポールは独立した。そして、1999年12月20日のマカオ中国返還を以ってアジアの欧米植民地はすべてその姿を消したのである。ここにアジアは解放されたのだ。

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