34.シンガポールで見たものは(前)
第34話
阪神大震災の少し後、私はシンガポールへ行った。
大阪と見まがうぐらいの活気のある元気な町だった。
この国のMRT(地下鉄)の切符には4ヶ国語で注意書きが書いてあるが、
料金表示は書いていない。
シンガポールは国際自由港(フリーポート)で、港とチャンギ国際空港、
そしてマレーシアとつながる「コーズウェイ・ブリッジ」のみが入り口となる。
町全体が独立国家であり、免税店なのだ。
川の河口を掘り込んで港を作り、町が栄えた例はいくらでもある。
ロッテルダム、ロンドン、ニューヨーク、広州、バンコク、
わが日本においては大阪、新潟、名古屋などがその例である。
これは、港が人間の活動になくてはならないものであること。そして、貿易の発展こそが町の、国の発展に貢献したことを示している。
周りに海を持ちながら、大して資源のなかった国日本。
確かに国は金持ちだが、個人はそれほど金を持たなかった。
だから日本は船を持ち、周りの国に乗り出して貿易を行うよりほかに発展の道はなかった。自由主義資本経済の徹底拡張発展展開と自由貿易の死守は
私の持論である。過去の日本の歴史を見ても日本の発展は結局それしかなかったのだから。
シンガポールも同じことが言えた、そして今、シンガポールは目覚しい発展を遂げている。自由貿易の効果が関税なしでもあるのだから。
さて、シンガポールの南端、セントサ島と言う所に「第二次世界大戦戦争資料館」がある。ここでは1819年、スタンフォード・ラッフルズ卿がシンガポールの領有に成功した場面から、蝋人形による物語が始まる。
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