18.鶴川の民主主義(後)
第18話
このころ、憲法私案なるものが作られた。各地で知識人たちが集まって憲法を論議して、私的に憲法草案をまとめたもので、現在日本では40ほど発見されている。有名なのは「五日市憲法草案」だ。こういった憲法私案は人権が特に強調されており、現在の日本国憲法につながる考えを示しているものが少なくない。
このころ鶴川にやってきた文学者に北村透谷という人がいた。土地の娘、美那子と結婚するが、自殺してしまい、現在彼の作品を目にすることはほとんどできない。この北村透谷の親友が大文豪、島崎藤村である。彼は透谷の死後、その考え方を引き継ぎ、差別されている貧しい人たちに自由と平等を与えるために書いた作品、それが彼の代表作「夜明け前」である。
鶴川の人々は自分たちの生活をよりよくするには、まず自分たちが動かなければだめだということをよく知っている。
1973年、鶴川に「団地生協」ができた。
当時、岩手県大船渡港から鶴川へ直接魚がやってきていた。
生協はその後再編を繰り返し、ついに1995年東京の生協が全部合併し
「コープとうきょう」が誕生した。
ところで、小島家は現在も鶴川の資産家として残っている。
小島家は、積極的かつ計画的に植林を進めた。小島家では一度植えた木は三代は絶対に伐採することはなかったので、大木がたくさん育ち、小島家と鶴見川を守り続けた。
戦後の農地改革で多くの地主が没落した中、小島家は没落を免れた。
また、町田市制施行当初から町田市は鶴見川の保全に乗り出し、鶴見川の水源となっている野津田の泉を町田市が買収し、自然保護区域として町田市によって守られている。
鶴川駅は、かつては田舎の駅に近かったが、小田急マルシェができて様相が一変した。しかし、まだまだ改良の余地がある。私は阪急三宮駅を何とか鶴川に再建できないかと考えている。昭和11年完成した旧阪急三宮駅は長く神戸市民に親しまれたが、阪神大震災によりその使命を終えた。あの駅を鶴川に作れないか?
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