15.教会と東急ハンズ

第15話

1985年、町田の現在地に東急ハンズができた。

これまでの商店の常識を破って、人が自ら手作りする材料を売っている店だ。

この店の大切さは、後にトヨタからこう教えられて知った。「外国で作った物を輸入して使っているだけでは、日本はいつまでたっても一流になれない」トヨタはそれがわかっていたからこそ、織機や自動車を苦難の上に国産化した。今やトヨタの車は世界に輸出されている。大正時代、日本は車などアメリカ製で珍しいものだった。今は誰でも車を手に入れられる時代になった。新たな生産と創造なくして日本の未来はありえないのだ。東急ハンズができた当初、母は私に一万円札を持って上から下まで歩き回ってみろと言い渡した。言われるままにそうしてみたら下につくころには見事に一万円札が消えていた。この頃、金森にあるプロテスタント教会へ行くようになった。教会といっても、古い民家の広間にカーペットを敷いて礼拝を行っていた。プロテスタントでは教会はいたって質素な例が多く、特別の儀式でもなければ牧師が黒い服を着ることはなく、ふだん、牧師はスーツ姿で説教をした。だから外見ではまず牧師はそうとはわからない。もっとも私が最初に牧師から受けた言葉は「よいか、いくらボロを着ていても人をバカにしてはいけないよ。」というものだった。

牧師さんからは多くのことを学んだ。インクジェットプリンタがない時代にコピーのカートリッジを替えてフルカラーの広報誌を作っていた。機械好き、無線好き、持病の花粉症やおひつじ座生まれというところまで私と同じだった。

牧師は私に「先見の明」があることをわかっていたのだろう。大学受験のとき、私は名古屋、甲府、札幌の大学に受かった。迷っていた私に名古屋行きを勧めたのは牧師だった。

愛知県出身の牧師だけに、愛知県には私のように「先見の明」を持っている人が多いことを知っていたのだろう、実際、そうだった。

トヨタにカゴメにリンナイ、パロマ、ノリタケ、ブラザー、皆名古屋で先見の明をもって成長した企業だ。

革新的な試みは各地で行われている。たとえば、名古屋市の給食はアメリカ式「スクールランチ」である。これは決められた点数をクリアすれば、生徒は何を取って食べていいという新しい給食だ。みんなが同じメニューで一斉に食べる時代は終わった。

だが、自治体は親から給食費を取ってはならない。もともと給食は義務教育の普及のために篤志家が資金を出して貧しい子供たちに食事を与えたのが始まりだ。義務教育はこれを無償とするというならば、給食費を含めた雑費まですべて国と自治体で面倒見るのが本当だ。

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