13.バスが見せた未来

第13話

名古屋市北区、JR中央線大曽根駅。ここに全国初のガイドウェイバス「ゆとりーとライン」がある。大曽根駅からナゴヤドームを経て同じ中央線の高蔵寺駅までを走る。

このバスは、途中まで高架専用軌道を走り、途中から一般道路を走る。

だが、ガイドウェイバスの終点は高蔵寺駅前であってはならない。

私の考えるガイドウェイバスの終点は新宿駅前だ。そんなことができるかという人はいるだろう。しかし、現在名古屋駅発着の新宿行きバスを大曽根駅発着に変えれば対応可能だ。

高蔵寺駅から先は、東名春日井インターから中央道で首都高速初台ランプ迄行けばよい。初台から新宿西口までは専用軌道を作ればよい。戦前、新宿駅前は東京都電の終点だった。その跡が新宿西口の立体駐車場だ。

かつての新宿は寂れた街で、大正時代は見渡すかぎりの畑だらけの土地で、

店といえば、田中屋(現、構内営業「にっしょく田中屋」)と高野果物店

(現、タカノ)と紀伊国屋炭店(後の紀伊国屋書店)くらいしかなかったというほどさびしい町だった。新宿が栄え始めるのは昭和になってからのことだ。

私はガイドウェイバスを何とか東京に持ち帰れないかと考えている。作るなら多摩センターから町田駅前の間だ。地方から東京に初めてのものを作る場合、第一号は町田にできる場合が多い。何かと話題のスーパー、ダイエーも東京第一号店は昭和36年町田にできた。

新宿からやって来る小田急が最後に通るのが町田駅であることから、町田は最後の東京と呼ばれていた。だが最後は同時に最初もつかさどる。

歴史というものはいつまでも同じ時代が続くとは限らない、そして古い時代を終わらせなければ新しい時代はやってこない。これが道理なら、町田は古い時代を終わらせ、新しい時代を東京に運んできた町といえる。

私が名古屋でよく乗るのが、「基幹2号バス」だ。このバスは道路中央部分に専用バスレーンが設けてある。

名古屋駅からこのバスに乗ると面白いものが見える。なみはや銀行、あおぞら銀行、旧兵庫銀行ビル、新生銀行、幸福銀行の名古屋支店が同じ通りに軒を並べている。

お気づきの方もいるだろう、これらはみな過去に破綻した銀行である。

SMAPの名曲「夜空の向こう」に出てきそうな情景だ。

このバスレーンは後に町田市民ホール前に設置された。

土曜日ともなるとこのあたりは混んで、いつもなら30分でつくバスが2時間かかることもあった。

1979年、町田市民ホールが完成したが、私は歩いていくことが多かった。

かつてのボウリング場を改修したものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る