9.町田市制施行
第9話
明治初年、町田は25の村だった。
このとき、かつて大谷村と呼ばれていたところがあったが、八王子にも同名の村があり、同じ南多摩郡で不便ということで、八王子の大谷村は北大谷村、町田の大谷村は南大谷村とすることにし、今も地名が残っている。
明治22年、大日本帝国憲法発布と同時に町村制が施行され、町田市は、町田、南、忠生、堺、鶴川の各村となった。大正2年、町田村は町田町となった。
そして、昭和28年町田町は南村を合併した。
残る各村とも精力的に話し合いが行われ、忠生、鶴川は合併にほぼ同意した。
問題は堺村だった。この地域は八王子との結びつきが強いため、八王子か町田か合併で村が二分した。八王子なら吸収合併だが、町田なら対等合併なので発言力が確保できる。そして村議会での採決の結果、一票差で堺村は町田への合併を決定した。こうして昭和33年2月1日、町田市が誕生した。
このときの各村役場は改修された上で、現在の各地区市民センターとなっている。
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