5.「2・6の市」

第5話

2000年2月のビーミー町田大丸の閉店によって私が物心つく前にあった

町田の商店はすべてのれんを下ろした。現在町田にある商店はすべて80年代にできた店ばかりだ。これ以前は町田には数多くの露店があった。

もともと江戸では現在のように店構えを持って営業する店は少なかった

元禄時代、越後屋(三越)が開業してから増えてきたが、それでも終戦後しばらくまでは東京はどこへ行っても、露店があった。

鎌倉時代から毎月何日か決めて市が立っていった。そのうちいくつかは地名となって残った。三重県の四日市は毎月末尾が4の日に市が立ったことに由来する。

だが、町田はあまりにも商業が盛んになりすぎてこれでは足りず、「2・6の市」が立った。月のうち、2,6,12,16,22,26の日に市が立つのだ。

このころの市は、今で言うフリマのようなものだったらしく、古着や古家具が多かった。

ある人が町田に来てほしいものがあるが金がない、そこで自分の上着を脱いで売って二時間後自分の上着を買い戻しに来たらすでに上着は売れた後という話も残っている。

先ごろ閉店した「都南デパート」もそうした店が集まってできたものである。

「2・6の市」の繁栄はかなりのものらしく、大正時代には商店街で資本金を出し合って、「町田銀行」が資本金5万円で設立されている、現在の10億円以上である。「町田銀行」は昭和の金融再編で現在の横浜銀行となるのであるが、いかに町田の商業が盛んだったことかを物語っている。

「2・6の市」戦後は露店が常設する形で続き、1979年、町田小田急百貨店が完成するまで栄え続けたのであった。

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