2.江戸の昔の住民運動

第2話

江戸時代になると、登山信仰が生まれていった。

丹沢山にある大山神社への信仰街道として、「大山街道」ができ、

現在の小野路町が宿場となった。

江戸時代初期、徳川家康公の遺体を日光へ運ぶ際、棺を乗せた車の軸が小野路で壊れてしまった。そこで、現在多摩市の乞田町にいた鍛冶屋を呼び寄せて修理した。この功績により、現在の町田市の全域は小野路宿以外への「助郷」を

徳川家続く限り永久に免除すると約束された。

これは、宿場町へ農民が手伝いに行くという、重い負担だった。

これが免除されたことにより、農民は家康公をあがめた。

現在でも鶴川の能が谷神社においては家康公を祭神としている。

江戸時代の小野路は、名主橋本家の屋敷と10軒ほどの宿屋があるだけだった。

江戸時代初期、「忠左衛門」という名の名主がおさめていたが

とんでもない悪徳名主で、農民の財産をむさぼっていた。

江戸時代後期なら一揆もあったろうが、これは元禄時代の話。

しかし、小野路の人々は黙っていることはなかった。

人々は江戸の奉行所へ訴え、驚いたことに奉行所はこの訴えを認めて

忠左衛門に追放の判決を下した。元禄時代では珍しいケースだ。

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