リーダーズダイジェスト日本支社

第2話

それではリーダーズダイジェストという雑誌の成り立ちから見てみよう。

そもそもリーダーズダイジェストという雑誌は1922年2月5日にデヴィット・ウォレスにより創刊された。当初は彼の自宅で編集され、一部10セントで通信販売であった。現在でもリーダーズダイジェストが通信販売に力を入れるのはこのためである。

しかし、通信販売は固定客を支えるのには力になっても、新たな顧客の獲得にはつながらない。ゆえに3代にもわたって購読する読者は多いものの、リーダーズダイジェストそのものの存在を知らない人もまた多い。一部10セントというのは当時の雑誌としては平均的な価格であったと思う。当時の靴磨きの代金とコカコーラ一杯が共に5セント、労働者の時給が3ドルの時代である。

その後1929年には雑誌売り場で売られるようになり、1935年には発行部数100万部を突破、1938年には英国版も発行するなど順調な成長を続けた。

日本においては、終戦直後の1946年2月から発行を始め、40年間継続した。創刊号の16万部はたちまち売り切れてしまったという。まだ出版界が戦争の傷跡より立ち直っていない時代でもあった。この雑誌が唯一の海外からの情報を得る手段だったのである。発売日には書店に数100メートルの列ができたと聞いている。

当初はほとんどがアメリカ版の翻訳だったが、1970年代中頃から日本語版オリジナルの記事が3割ほどになっていた。

当初はほかの雑誌同様書店売りだったようだが、1953年から定期購読制となった。

この間、1951年には東京竹橋に自社ビルを建てた。このとき設計を担当したのが、アントニオ・レイモンド、かの帝国ホテルを建てたライトの弟子である。彼がこのビルを建てるために作った建築設計事務所が現在聖蹟桜ヶ丘に本社を持つパシフィック・コンサルタンツとなる。

そして1961年12月に日本リーダーズダイジェスト社が成立する。その直後にパレスサイドビルの建設計画が持ち上がるが、みんなこれには苦慮したという。何しろ当時でも名建築の誉れ高かったのである。

設計者はレイモンドさんにも了解を得たが、その時に「レイモンドさんのリーダーズダイジェストの模型をつくってどっかへ置こう」という話を持ちかけたが、レイモンド自身が「その必要はない」と断ったという。この背景にはビルの取り壊しの理由が耐震性に問題ありということで、失敗作を残したくなかったのだろう。

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