第五章 たつみなるを忌む 2
捜索自体はそこまで難儀しなかった。
人っ子一人見当たらない河原院の南の界隈では、いくら息をひそめようとも、何人もの人間が行き交う足音や屋敷の内側から漏れるかがり火の灯りなどは誤魔化しようがない。明らかに怪しい邸宅が一軒見つかった。
ただ、肝心の娘の姿は築地の割れ目からでは確認出来なかった。
寝殿の中に囚われているのだろう。
すぐにでも検非違使に注進に上がっても良かったが、もう少し確証となるものが欲しかった。俺が読み取ったと思った暗号は全くの見当違いで、偶然別の賊の一味を見つけたという可能性も捨てきれなかったからだ。出来れば寝殿の傍まで近づいて、娘の声だけでも確認したい。
そんなことを考えていると、分かれて屋敷の周囲を探っていたおもと丸が戻ってきて、俺の肩をたたいた。何かを見つけたらしく、ついてくるよう手で合図をしている。
それに従って後を追うと、我が家と同じく築地の地面と接する辺りに、大きな穴が開いている箇所が見つかった。そこからなら忍び込んで中の様子をうかがうことも出来そうだった。
だが、見張りが置かれている可能性もある。
何かあっては危険なので、俺はおもと丸を手で制して、自分が先に行くという意図を伝えた。
そうして年長者らしく先陣を切り、肩をすぼめて上半身を入れたところまでは良かったのだが、腰から下が引っかかって抜けない。足をばたつかせるばかりで一向に中に入っていかない様子から、おもと丸も状況を察したらしい。
「……何をやっているのだ、この馬鹿!」
小声で叱責しながら後ろから押してくれるが、余計に壁と腰骨が擦れるばかりだ。
「痛ててて」
そんなことをやっていたせいで、頭が邸内に生えた葎に触れ、がさりと音を立てた。
「……む? 何だ、何か動いたぞ」
折悪しく巡回していたらしい賊の一人に、その物音を聞きとがめられてしまった。
「いたちか何かだろう」
「馬鹿言え。外れとはいえ、都の中にいたちなんか出てたまるかよ」
まずい。こちらに来る……!
俺は背後のおもと丸に向かって声を抑えつつ、咄嗟に指示を出した。
「大学寮に行け。順がまだ残っているはずだ。あいつなら事情を話せば検非違使庁までつないでくれる……!」
「やっぱりまた動いたぞ。心なしか声もしたような」
「うるせぇな。だったら、俺が見て来てやるよ」
「早く!」
俺が叱咤するとともに足をばたつかせると、おもと丸が離れる気配がした。
これで大体は大丈夫だろう。
子供のおもと丸が直接注進に上がっても取り合ってもらえないかもしれないが、名前だけは有名な順が間に入ってくれれば、検非違使も動かざるを得ないはずだ。
問題は残された俺自身の身柄だが……。
まぁ、楽には解放してもらえないだろうな。観念しながら、そう思った。
賊の一人が松明を掲げながら近づいてくる。なぶられるとしても、せめて息がある間に助けが到着してくれれば良いのだが。
茂みをかき分けて、灯りがかざされた。皮膚に刺さるような熱を感じる。俺は息を殺し、その場に突っ伏して、どうにか打ち捨てられた死体に見せかけようとした。
緊張の一瞬が流れる。
ややあって、賊が茂みから離れる気配がしたかと思うと、
「何もおらんぞ」
と言うのが聞こえた。
何が起こった?
俺は思わず顔を上げた。灯りを掲げる、刀傷の入った腕はそれにも構わず遠のいていく。
どうなっている。恐ろしいほどに目が節穴だったのか?
訳が分からず呆然としていると、とうとう空がこらえきれなくなったのか、激しい肘笠雨が降り始めた。大の盗賊たちもこれには参ったらしく、娘っ子のような悲鳴を上げて各々屋根があるところまで逃げていく。
未だに実感は湧かなかったが、どうやら助かったようだった。
さらに幸いだったのは、雨水が流れ込んだおかげで土がぬかるみ、うまい具合に壁から腰が抜けたことだった。俺は穴から這い出すと、つかの間その場に横たわった。死を覚悟したせいで、どっと消耗した。
しかし、折角内部に忍び込めたのだから、いつまでも休んでいるわけにもいかない。俺は気を取り直すと、茂みの中を四つん這いで進みながら、そろそろと寝殿への距離を詰めていった。
賊たちは一散に南面の廂の間に逃げ込んだらしい。それを避けるため、俺は北面へと回りこんだ。
寝殿の四方にはかがり火が立てられていたが、北面は格子が下ろされていて、見張りらしい人影も見えなかった。
よし、今のうちだ。そう判断して、縁へ上る。
格子の板もすっかりぼろぼろになっていて、閉ざされているといっても、あちこちの割れ目から中をのぞくことは出来そうだった。その中でも大きめの裂け目に立ち寄って、内部へ目を凝らした。
廃墟だけあって御簾も障子も全て取り外されており、母屋の奥まで視界を遮るものはなかった。そんな内部では燭台の灯りに照らされて、武装した男が形ばかりの几帳を隔て、内側の貴人に何かをしきりに懇願していた。
甲冑をつけた男の影が荒れた屋内にどこまでも伸びて揺らめく様は一種凄絶でもあったが、すぐにそんな見かけよりもほのかに聞こえてきた会話の内容の方に注意が向いた。
「……どうか一言了解していただければ済むのです。我々としても貴女ほどの高貴な方にこれ以上手荒な真似はしたくない。ご理解いただけましたならば、すぐにでも安全な場所へお送りいたしましょう」
「驚きました」
几帳の内側から声がした。
「人をかどわかす以上に手荒な行いが、あなたたちの頭の中にはまだあるというのね」
その声があの娘のものであると判別するまでにつかの間時間を要した。声は確かに耳にしたことがある気がしたが、その声色があまりにも大人びた、冷静なものであったために、日ごろの娘のあの無邪気な様子と引き比べると、すぐには記憶が結びつかなかったのだ。
「殿、いちいちそんな小娘の機嫌を取る必要なんざないですぜ。さっさと尼削ぎにして寺にたたき込んでしまいやしょう」
「そうそう。せいぜい大人しくして坊主どもから可愛がってもらうんだな」
南面に集まっていた手下たちの下卑た笑い声が飛び交い、こちらまで響いてくる。それに対して、殿と呼ばれた男は激怒した。
「うるせぇぞ! この方が冗談でもお前らなんかの絡んでいい相手じゃないことは知っているだろう。……申し訳ありません。礼儀を知らない輩ばかりで。よく言い聞かせておきますので、ご気分を害さないでいただきたい」
大の男が、しかも人さらいがここまで腰を低くするとなると、あの娘の身分は想像以上に高いのかもしれない。しかし、聞き捨てならなかったのは、手下の口にしていた、寺にたたき込むという一言であった。
こいつらは身代金と交換でも、娘の身柄を引き渡すつもりはないのか?
あるいは童女にたわぶれかかるような坊主に売りつけて、さらに金銭をせしめるつもりなのか。
男は当初口調こそ慇懃であったが、娘が何を言われても無視を続けていると、次第次第に苛立ってきたらしく、几帳につかみかかった。
「色良いお返事をいただけないのであれば、我々も考え方を改めなければなりません。全て事後承諾という形となるがよろしいな?」
手下どもが喜び、はやす声も聞こえる。
まずい、どうにかして気をそらさなくては。
俺は咄嗟に次のように詠じていた。
「われ頼む人いたずらになしはてばまた雲分けて登るばかりぞ」
これは賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)が詠んだとされる神歌であった。賀茂川の近くの邸宅という連想から思い浮かんだ。あわよくば神意の発現と誤解して恐れてくれないかとの思惑もあったのだが、威厳を出そうとしてかえって声が上ずってしまったし、そもそも人さらいにそんな教養があることを期待したのが間違いだった。ただ、男の狼藉を止めるという当初の目的だけは達成できた。
「何だ……! 今のは何の声だ!?」
男は狼狽え、刀を抜いて身体の動きを止める。騒ぐ手下たちの耳には入らかなかったものと見えて、またからかうようにはやしたてた。
「殿らしくもねぇ。ただの風の音でしょう。何をおびえてるんですか」
「お前らのその穴が開いているだけの使えない耳と一緒にするな。今確かに人間の声がしたぞ! 誰かに見とがめられたか、くそっ。お前ら、何してる、さっさと捕まえてこい。絶対に逃がすな」
男の叱責に促されて、ぞろぞろと簀の子に出てくる足音がする。一刻も早くこの場を離れなくては。
慌てて格子から身を離し、隠れられる場所を求めて視線をさまよわせたその時、外まで響く、凛とした声で娘が告げるのが聞こえた。
「不敬である」
その声には聞く人を射すくめるすごみがあった。がやがやと雑談をしながら縁を巡ろうとしていた足音が一瞬にしてぴたりと止んだ。
この隙にどこへなりとも逃げ隠れするべきだったのだろうが、耳慣れた娘の口調とのあまりの違いについ後ろ髪を引かれて格子の割れ目に舞い戻ってしまった。中をのぞけば、男も面食らった様子で身体を強張らせていた。
「我は賀茂別雷命であるぞ」
娘は人が変わったように言葉を続けた。
「畏くも我が神域でかようの狼藉。見過ごし難い。身の程を弁えよ、下郎」
まさか、本当に神懸かりになったのか? そうつかの間信じてしまいそうになるほどの堂々たる迫力であった。
「……殿?」
流石の手下たちも雰囲気に呑まれたようで、心細げに男へ呼びかける。
しかし、男は自身の不安を打ち消すように、かえって逆上した。
「はん、笑わせる。どこぞの神が降りてこようが、それなら俺には皇家の血が流れているのだぞ。恐れる必要などあるものか。罰を下せるものなら、下してみよ!」
そう叫んで几帳を払いのけ、娘に向かって刃物を閃かせる。
危ない!
と、息を呑んだ時、ずん、と腹の底まで震える地響きがした。
「何だ!?」
「まさか、本当に神罰!?」
賊たちが一斉に狼狽えている間に、もう一度大きく地面が震える。そして、木材の砕け散る音が俺の元まで届いた。一瞬の間をおいて、わぁーッという人声が邸内になだれ込んでくる。
正門が突破されたのだ。
賊もそのことに気付いて庭に躍り出るが、時すでに遅かった。手練れの検非違使たちを相手に、後手に回って抗しきれるものではない。おもと丸の伝令が間に合ったのだ。
俺はほっと安堵しつつも、寝殿には容赦なく矢が射かけられるので、慌てて近くの草陰に身を隠した。
邸内はあっという間に制圧された。
寝殿の内部にいた男や手下たちが両手を縄でしばられ、次々と引っ立てられていくのを見た。娘も無事身柄を保護され、輿に乗せられて運ばれていった。
もう俺も姿を現しても大丈夫だろう。
そう思って草の間から立ち上がったところを巡回中の検非違使の一人に見とがめられた。
「まだ残党がいたのか。おい、逃げるなよ。不審な動きを見せれば、すぐに斬り伏せると思え」
と刀を抜かれる。
泥だらけの身なりが災いして、賊の一味だと目されたらしい。俺は両手を挙げて直ちに弁解した。
「誤解だ。俺は捕らえられていたあの娘の知り合いだ。無事を確認するために隠れて忍び込んでいただけだ」
口にしつつも、我ながら嘘くさい話だなと思ったが、案の定検非違使には鼻で笑われてしまった。
「嘘を吐くにしても、もう少しましな言い訳を考えろ。お前のような下賤の者が、あの方の知遇を得ているはずがないだろう。あの方は先の帝、朱雀院の皇女、昌子内親王(しょうしないしんのう)にあらせられるぞ」
そして、その言葉に呆然とする俺は抵抗することも叶わず、検非違使庁まで連行されることになった。
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