第三章 かねてこそいへ 2

「曾丹、いるか?」

 渡りに船とはまさにこのことだった。俺はすぐさま立ち上がると、娘たちを追い払うべくしっしっと手を振った。

「ほら、客が来た。こう見えて俺は忙しいんだ。ほかに用件がないのなら、さっさと帰れ」

「えぇー、好忠のけち」

「姫様、こんなやつにかかわり合うのはもう止めましょう。姫様の師としては人品が悪すぎます」

 何とでも言うが良い。俺は沓をつっかけて、門を開けた。

 すると、外には二十代後半といった風情の男が二人並んで立っていた。

 どちらも粗末な狩衣を着ている辺り、懐は温かそうには見えない。つい先ほどまで上等な着物を着た娘たちを見ていたから、余計にそう感じるのかもしれない。ともかく、その片割れは俺も良く知る人物だった。

「重之(しげゆき)か。よく来たな」

 源重之。

 人の好さそうな目と若々しいつやのある肌が印象的なこの男は一見二十四、五といっても通りそうな外見をしている。だが、実際のところは俺の一つ下の二十九歳で、しかも二人の子持ちである。戯れ歌のような笑いの要素のある歌が得意で、恵慶や順などと共によく会う飲み仲間でもある。

 そうしたわけで俺の気質も知り抜いているからか、開口一番怪訝な表情で怪しまれた。

「珍しいな。普段は門をたたき壊すくらいたたいても出てこないくせに」

 何故快く客を出迎えただけで気味悪がられなければならないのか。

 たちまち気分を害した俺は、

「なら、今からもう一度門を閉ざしたって良いんだぞ」

「まぁ、待て。そう怒るなよ。今日は頼みがあって来たんだから、聞いてもらわないことには困る」

 頼み? 源重之が俺に? 意外そうな思いが顔に出ていたのだろう。

「俺じゃなくて、依頼人はこっちな」

 と、先ほどから重之の後ろで所在なげそうに立っていた男を指し示した。見るからに大人しそうなその男は慌てて頭を下げた。

「橘正通(たちばなのまさみち)と言います。文章生で、お噂はかねがね順先生からうかがっております」

 順の先生の知り合いか。それがどうして重之に連れられて訪ねてきたのかは不明だが、俺とて初対面の客を外で立たせ続けるほど情け知らずでもない。とりあえず上がれと言って母屋に案内した。

 すると、そこにはあれだけ帰れと言いつけておいたのに、相変わらず娘とおもと丸がちょこなんと座っていた。

 子持ちの重之が真っ先に反応した。

「おいおい、曾丹なんぞの家にふさわしくない可愛らしい娘さんたちがいるじゃないか。どこからさらって来やがった?」

 何でどいつもこいつも最初に俺がかどわかした線を疑うんだ。俺が頭を抱えていると、白々しい顔つきで娘がぺこりと礼をした。

「こんにちは、はじめまして、好忠の弟子です」

「弟子じゃねぇだろ」

「ちゃんと挨拶が出来てえらいなぁ。俺の娘も丁度同じくらいの年なんだよ。見れば見るほどそっくりな気がしてきたぞ」

 すると、娘はまぁと口に手を当てて笑った。

「私にそっくりということは、娘さんも大層可愛らしい方なのね」

 どうしてこう俺の周りには馬鹿と自信家しかいないんだ。

 しかし、と重之が感慨深そうに呟いた。

「あの曾丹が弟子とはなぁ。恵慶の爺さんが曾丹の家で可愛い女主人を見たなんて言ってたから、とうとう惚けが始まったかと疑ったものだったが、良い傾向じゃないのか? 人様の役にこれっぽっちも立とうとしないでこの男はどうするつもりなんだろうと前から思っていたんだ」

 余計なお世話だ。

 というか、恵慶の爺さんはこの数日でもうそんなことまで言いふらして回っているのか。今後知り合いに会う度に同じことを言われるのかと思うと、今から頭が痛くなってきた。

「あの……」

 すっかり蚊帳の外になっていた橘正通が声を上げた。

 そうであった。俺もいささか存在を忘れかけていた。

「今から大人の話をするんだ。分かったらお前らはとっとと帰れ」

「私、口は固いわ」

 そういう問題じゃねぇんだよ。

 と思ったが、思わぬところに援軍がいた。

「そんな無理に追い返さなくたっていいじゃねぇか。可哀そうだろ」

 親馬鹿の重之はすっかり小娘たちに同情的になっていた。

 元はと言えばお前が連れてきた男が話しにくそうにしているから気を遣ってやったんだろうが。

 そう思ってにらむと、俺の考えが伝わったものか、重之は正通に水を向けた。

「正通だって構わないよなぁ。今さら誰に聞かれても聞かれなくても名誉になるような話じゃないもんな」

 そんなことを言ったら、余計話しづらくなるだけだろうと思ったが、正通は、

「はい……」

 と頷いた。

 俺の元を訪ねてくる奴にまともな恥の観念があると思ったのが間違いだったかもしれない。

「実は、歌の代作をお願いしたいのです」

 正通はおどおどとした様子で続けた。

「順先生も認める名人に詠んでいただけるのなら、これほど心強いことはなく……。謝礼は勿論お支払いします」

 代詠の依頼か。

 実のところ、頼み事があると言われた時から薄々見当はついていた。知人を通じて、こうした依頼人を紹介されるのはままあることなのだ。官吏といえどもまともな俸禄をもらえていない俺のような者にとっては、貴重な内職と言えた。

「分かった。話を聞こう」

「さっきは金を積まれても自由な時間は売らないとか言っていたくせに」

 後ろでおもと丸が陰口をたたくのが聞こえたが、当然無視する。

 いくら聖人君子の俺とはいえ、仙人ではない以上、霞を食って生きるわけにはいかない。背に腹は代えられぬというやつだ。

 ただし、疑問が二点あった。

「だが、どうして重之に頼まない? そいつだって、俺ほどじゃないが、歌は得意だろうに」

 その問いに対しては重之が馴れ馴れしく肩を組むようにして答えてきた。

「まぁ、そこは俺の厚い友情の故だな。俺自身はこのところそこまで懐が苦しくないから、代わりに懐の寂しそうなやつへ仕事を回してやろうというわけだ」

 恩着せがましい言い分にむっとするが、懐が淋しいのは事実なので反駁するのは我慢した。

 代わりにもう一つの疑問を尋ねた。

「それなら不名誉な話というのはどういうことだ。ただ他人に歌の代作を頼むだけなら、珍しいことでも、恥でもあるまい。何かわけありの案件だな?」

 俺がそう言うと、重之はすっと身を離して、呆れた様子で俺の姿をまじまじと見た。

「そんなみずぼらしいなりをして、お前って時々鋭いよな」

 だから、格好は関係ないだろう。

いい加減文句を言うのも面倒くさくなって、当の依頼人の正通を見据えた。正通は恥ずかしそうに面を伏せて頷いた。

「全くおっしゃる通りです。自分でもどうして良いか分からず、こうして頼みに参った次第なのです」

 俺はため息を一つ吐いた。友情のためだのなんだのと言いながら、結局は面倒事を回して来ただけではないか。

「恋歌か?」

 そう尋ねると、正通は目を丸くした。

「すごい。そこまでお見通しなのですか」

 何も驚くことではない。明らかに真面目そうな文章生がこうまで恥ずかしがるということは、恋の話題だろうかと当てずっぽうに言ってみただけである。

「何だ? まさか初恋で文の出し方も分からないというわけでもあるまい」

 当てずっぽうついでに言い添えると、正通も苦笑した。

「はは……流石にそこまで奥手ではないです。むしろ最初は順調に行っていたくらいで」

 そう言って正通は事の次第を語り始めた。

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