第三章 かねてこそいへ 1


 九月十六日。

 あろうことか我が家では子供の声が増えていた。

「ええー、どうしてまた駄目なの、好忠」

「そうだぞ、姫様に対して無礼だろうが、貴様!」

 前者は例の娘であり、自信満々に自作を持ってきて俺に鼻で笑われたことを抗議しているだけなので、どうでも良い。ただ、後者の新顔が問題だった。

 どうあってもうちを訪ねてくるというのであれば、せめて一人歩きは止せ、伴の者を連れてこいと言ったのが前回で、娘も殊勝な態度で分かったわと答えたものだった。

 ところが、ふたを開けてみれば、似たような年恰好の少年を連れてきただけだったのだ。

 元服もまだなのであろう、長く伸ばした髪を首の後ろで縛り、桔梗色の狩衣を着ている。その顔立ちは娘同様整っていて、こちらの方が目鼻立ちのくっきりとした華やかさが添うていた。流石良家は下仕えの者まで見目の良い者をそろえているのだなと感服する一方、これでは余計に人買いの目に留まりやすくなっただけな気もした。

「お前さぁ、もう少し心強い御伴はいなかったのかよ。大人の男とかさぁ」

「貴様、私では不足だと言いたいのか?」

 いきり立つ少年を抑えて、娘は穏やかな顔つきで言った。

「このおもと丸は私の乳母子で、私にとっては一番信頼のおける従者なのよ。屋敷に雇われている侍は乳母の夫が寄せ集めてきただけで、そこまで気心も知れていないし、外に出してなんて頼んでも許してはくれないわ」

 そういえば、この娘は実の父とは死別しているのだったか。経済的にはその乳母夫が支えなのだろうが、本当の意味で気を許せる存在というのは家中でも少ないのかもしれない。

 と、危うく誤魔化されそうになったが、明らかにこんな外出を認める従者の方が駄目だろう。そんな俺の不審の念を感じ取ったのか、おもと丸と呼ばれた少年は不満そうに鼻を鳴らし、娘に言い募った。

「姫がどうしてもとおっしゃるからついて参りましたが、何なんですか、ここは。こんな鬼でも嫌がりそうな廃屋に何の用があるというのです」

「だから、最初に説明したでしょう。好忠に歌を習いに来たのよ」

「こんなうだつの上がらない男に本当に歌など詠めるのですか? 姫の御製に対しても無礼に駄目だとか申しておりましたが、実のところ何も分からずただ駄目だ駄目だと言っているだけなのではないでしょうか」

 あわよくばそのまま連れて帰ってくれと思っていたので最初の雑言は聞き流したが、声変わりもまだな小僧っこが俺の実力を疑うに至っては聞き捨てならなかった。

「駄目なものを駄目だと言って何が悪い」

「なら、姫の作のどこがいけないのか、説明してみろ!」

 良いだろう。

 俺は唇を舐めて、再度娘の持ってきた作例に目を向けた。

「端的に言えば、発想が平凡なんだよ。どれもこれも良いとこの娘の手習いなら及第点かもしれないが、独立した歌としては単純に面白くない。例えば、これだ」


 寒き夜の草のむぐらのきりぎりす過ぎ行く秋を惜しみなくらん


 という一首を指さした。

「きりぎりすが秋の終わるのを惜しんで鳴いているなんてのは誰でも思いつく、詠みつくされた発想だ。お前のはそれをただそのまま詠んでいるだけなんだよ。俺なら同じ発想でもこんな単調な詠み方はしない。そうだな……」

 俺はつかの間考えて、


 なけやなけ蓬の杣のきりぎりす過ぎ行く秋はけにぞ恋しき


 と詠んだ。

「平凡な発想でも、きりぎりすに呼びかける自分を登場させることで一首の世界を広げることが出来る。発想が貧困なら、それを補うだけの工夫が必要なんだよ。あとは、これもだ」

 話しているうちに気になって、別の一首も取り上げてしまった。


 唐衣たつたの山のもみぢばは秋風の染む錦なるらん


「紅葉が秋の染めた錦っていうのもこれまた常套的な表現だな。唐衣、裁つ、染む、錦と縁語を駆使している分、まだ技巧的とも言えるか。だが、縁語だってただ羅列すれば良いってものでもない。ちゃんと一首の中で言葉が生きていなきゃならない。これも、俺が詠むなら……」

 しばし考えて、こう口にした。


 箱根山ふたごの山も秋ふかみあけくれ風に木の葉散りぼふ


「箱、ふた、あけと続けて、山の風景を閉じ込めたまぼろしの箱を二重写しにするわけだ。これくらい出来て初めて一丁前の歌と呼べるんだよ」

 俺が話し終えると、おもと丸と呼ばれた少年が屈辱に耐えているというような、泣きそうな顔でこちらをにらんでいるのに気付いた。

「そんな穴だらけの、変な狩衣を着てるくせに!」

「服装は今は関係ないだろうがよ」

 一方、娘は今俺が言った内容を熱心に反芻するように口の中で唱えていた。俺は柄にもなく師匠然としたことを口走ったのが面映ゆくなり尋ねた。

「大体何で俺なんだ。わざわざこんなところまで来なくとも、良家のお嬢様なら、それ相応の歌は教養として教えてくれる先生がいるだろうよ」

「確かに歌を手習いとして教えてくれる専属の女房はいるわ。でも、好忠が言った通り、一般的な詠み方を教えてくれるだけだし、私が詠んだ歌をお上手ですって褒めることはあっても、的確な批判はしてくれないわ」

「それで充分なんじゃねぇのか。別に歌人として身を立てるわけでもあるまいし、恥をかかない程度に詠めれば」

「それじゃつまらないの!」

 子供らしいわがままのようでいて、その声の含む切実さに俺は驚かされた。

「誰でも詠めるなら、私が詠まなくたって一緒でしょ? そんなのじゃなくて、好忠がこの前詠んだははそ原の歌みたいな、この世で自分しか詠めない、生まれてきた甲斐があったと思えるような歌が詠みたいの!」

 何も悩みなどなさそうな小娘にも、一端に思うところがあったようだ。そして、それを呼び起こしたのが俺の歌だったというのは、悪い気はしなかった。

「でも、やだね。他人に物を教えるなんて、面倒なことは真っ平だ」

「えぇー」

「貴様! 姫様がこんなに真剣に頼んでいるのに断るつもりか!」

 絵に描いたように顔を真っ赤に染めていきり立つおもと丸を、俺は鼻で笑った。

「俺の自由な詠作の時間が奪われるだろうが。いくら金銀財宝を積まれても、そればっかりはご免だね。それに俺の歌は天性の才能で詠んでいるから教えるなんて無理なんだよ」

「私たちが来るまですっかり朝寝をしていたくせに……。好忠だって一から一人で詠めるようになったわけじゃないんでしょ? 恵慶さんが言ってたよ。好忠も恵慶さんの師匠に教えられた、いわば兄弟弟子なんだって」

 あの爺、そんなことまで話してやがったのか。

 この前の酒の席での記憶がないから、どこまで尾鰭をつけて語ったものかは分からないが、事実はそう大仰なものではない。

 十三で母と死に別れて野垂れ死にそうになっていた俺を拾ったのが、恵慶の師匠である老師だったというだけだ。確かに漢籍や物の読み書きについてはその人に教わったと言ってもいいが、歌に関して何かを習ったという覚えはない。老師は専ら漢詩を詠む詩人だったからだ。強いて言うなら、老師の元で知り合った恵慶や順の影響で歌を詠み始めたというところはあったかもしれない。しかし、奴らとて懇切丁寧に一から詠み方を教えてくれるような連中ではなかった。だから、誇張でも何でもなく、俺の歌は完全に我流なのだ。

「そんなに指導者が欲しいなら、それこそ恵慶の爺にでも頼めよ。あいつは助平だからきっと喜んで教えてくれるぞ」

「恵慶さんは好忠より歌が上手なの?」

「いや、俺の方が上手いな」

「じゃあ、駄目じゃない。私は一番上手な人に教わりたいの」

 全く、贅沢な小娘だ。

 らちの明かない押し問答が始まりそうになった時、突然我が家の門をたたく音が聞こえた。

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