第37話 敵

「わ、悪かった……うぐっ……!!」


 放課後の空き教室。

 窓から夕陽が差し込む部屋の中に男の声が響いている。

 切迫した声音は、声の主が危機的な状況にいることを表していた。


「本当にっ、ガッ、そんなつもりはっ」


 時折あえぐような音も混ざっていた。

 それもそのはず。哀れにもゆるしを求め続けるその男は、今まさにその相手に絞め上げられている。


 首元を掴んでいるのは、白く柔らかな女の手だった。

 その手から制服の袖、さらに顔へと視線を動かしていく……そこにあるのは月のように輝く銀髪と、他にどこを探しても見つからないような美しい顔貌がんぼうだ。

 彼女の表情からは冷たい殺意がチラ見えしている。


 水住紗良。

 我が校きっての美少女が暴力的な行為に手を染めていた。


 そして絞められているのは俺だった。

 つい自慢したくなって"ソフィアさんとお泊り探索いえーい"みたいな事後報告をかましたところ、漫画でしか見たことない表情の抜け落ち方をしたと思ったら数秒後にはこうなっていた。


「許してくれ……許して……おい、悪かった。そろそろ終わってくれ」


 命乞いの練習――もちろん水住も本気で絞めてはいない――で付き合ってはみたものの段々飽きてきた。

 ていうかそろそろに行かないと仕事が終わらない。


 水住もそれは分かってるようで、ムスッとしながらもようやく手を放してくれた。


「念のために言っておくけどもし姉さんに何か――」


「本当に何もなかった。まだそんなに信用ないか?」


「……………………なくはないけど」


 沈黙ちょっと長くない?



 床ホウキやチリトリを掃除用具入れに戻し、教室を出る。

 今日は校内美化活動とかいう鬼のように面倒くさい委員会活動に駆り出されていた。

 簡単に言えば追加清掃だ。


 毎日午後の掃除の時間では各クラスに1~2個ほど、使ってない教室や視聴覚室などが清掃箇所として割当てられている。

 ただ、自分の教室やその近くと違ってその手の場所は先生の目が届かない。


 なので一部の生徒さんは、つい魔が差して掃除をサボってしまうこともある。

 人間なんだし当然そういうこともあるだろう。

 とはいえ、いつの間にかゴミ山になっていて使いたくても使えない――という状況を避けるため、定期的に美化委員会がチェックを行っている。



 2人1組になって割り当てられた場所をチェックして清掃状態が基準を満たしてればOK、満たしてなければその場で追加清掃。

 これ追加いらないパターン存在するのか? ……ともかく初回の委員会の一件で水住と組むことになった俺は、放課後こうして各教室を回っているのだった。


「水住が空いてれば3人で行ったんだけどな」


「延期して」


「無茶言うな」


 ソフィアさんにもスケジュールがあるだろうに。

 それに3人で行ったからといって、和気あいあいの楽しい合宿になったかは微妙なところだ。ストラトスの件でちょっとギクシャクしてるっぽいし。

 下手すると俺が地獄のような空気に叩き込まれていた可能性もある。



 まあそれでソフィアさんの悩みが解決するなら腹もくくるが、全ては水住の考え次第。

 動画サイトの忌々いまいましい広告にこいつも出てくるようになりやがったから、いよいよストラトスも大詰めだろう。

 そのへんの解決は後回しにされるかもしれない。


「ん? 階段じゃないのか?」


 廊下を歩く水住が予想してなかった方に足を向けた。

 教室棟をつなぐ渡り廊下の方向だ。


「次は第2視聴覚室。サボって帰ろうとしてるでしょ」


「してな……いや、多分そうだわ。無意識を読まれた」


「顔に"面倒くさい"って書いてあるから」


 逆に面倒くさくないやつがいるのかと問いたい……第2視聴覚室?



 ……………………まずい。

 そこは俺が掃除当番だったはずの場所。


 "はず"というのはつまり担当として割り当てられてはいるものの、複雑な大人の事情により清掃活動に参加していなかったことを指している。

 強いて説明するなら、俺がいると他のメンバーが無言になる。

 それが申し訳ないので普段の掃除はあえて席を外しているのだ。


 他のメンバーがちゃんとやっているという奇跡には期待できなかった。

 ゴミが転がっている前提で覚悟を決めていった方がいい。

 言い訳を考えておこう。


「悪い、トイレ。小さい方」


「帰ってこないで」


 丁寧な自己申告に追放宣告が返ってきた。

 そのまま渡り廊下を行く水住を見送りつつトイレに向かう。

 女子のお下品ラインは男からすると摩訶不思議だ。男がいない(と思ってる)時はもっとエグいこと話してるイメージなんだけどな。




 お花摘みを済ませて渡り廊下を歩いていく。

 第2視聴覚室は渡った先のすぐそばにある。たいてい暇な生徒がたまり場にしてるので、そいつらの排除が最初の仕事になるだろう。

 まあ先に行った水住がとっくに蹴散らして――――――なかった。


 教室の入口に水住が立っている。

 中では数人が会話しているようだが、踏み入ろうとする気配はない。

 近づくにつれ、俺にもその会話が聞き取れるようになる。


「ぜったい天満くん狙いだって!」


 女子の声が響いた。


「水住さんお金とか興味なさそうじゃん? つかぜったい家お金持ちだし! 抜ける理由ほかにないっしょ」


「男追っかけてパーティー捨てたってこと? えっぐ」


「アハッ、あたしでもそーするけど!」


 衝動的に踏み出そうとする足をなんとか抑えた。

 俺よりも水住だ。

 教室の前に立つ水住の顔は……無表情だった。


「最近CMにも出てきてまじうざいわ~」


「ストラトスって開拓者じゃなくてもう芸能人だよね。なんか上の世界見せられてる気分」


「付き合わされた朱莉も結局バイバイかあ」


 俺の経験でしかないが、誰かに攻撃されて無表情になる時のパターンは2つ。


 1つ目は怒ってる。


 だがそのパターンは、たとえ無表情であっても見れば分かる。


「でももうちょっとマジメなだと思ってた。なんかガッカリ」


 ……そして水住は、怒ってはいなかった。

 俺が見る限り、それは別の意味を持つ無表情だった。


「――っ」


 水住が俺に気づいた。

 驚いた顔を、今度はすぐさま怒りの無表情に変えてみせると教室の中に踏み込んでいく。

 あとに続くと、中では3人の知らない女子が水住を前に凍り付いていた。


「美化活動があるから出て」


 斬りつけるような一言に女子達が逃げていく。

 教室に残されたのは俺達だけだ。





「水住」


 何か言おうとした水住を制する。

 俺が言うべきことは決まっていた。


「あいつらはブスだ」


「……え?」


「ブスゆえにお前に嫉妬して闇が暴走したんだ。許してやれ。俺もイケメンじゃないから気持ちは分かる。例えば俺は天満が死ぬほど嫌いだけどその理由の9割はイケメンだからだ。もしあいつの顔面偏差値が俺より1でも低かったら友達になれるかも――」


「浅倉くん」


 今度は俺がぴしゃりと止められた。


「やめて。何のつもりか知らないけど、あの人達を攻撃する理由はない。事実だから」


「お前が泣かされたのが気に食わない」


「泣かされた? ……泣かされた? どこを見て言ってるの」


 怒った表情で自分の顔を指した、確かにそこには一滴の涙もこぼれていない。

 けどな。


「目から水が出なきゃ泣いてないってか。廊下で自分がどんな顔してたか自覚あるだろ」


「分かったようなこと言わないで」


「分かるね、先輩だから」


「は?」


「"浅倉玄人"。ネットで検索してみろよ」


 実際には検索するまでもない。

 この名前を打ち込んだだけで、予測キーワードには、さっき水住が言われてた以上の言葉がずらりと並ぶ。


他称・・テロリストだぞ、俺は」


 そう、先輩なのだ。俺は。

 その意味を理解した水住が口ごもったのを見て、静かに笑って続ける。


「いいだろ、1人ぐらい代わりに悪口言う奴がいたって。自分で言える気分じゃねえんだから」


「…………浅倉くんは泣いたの?」


「泣いた」


「……でも、立ち直れたんだ」


「いいや、立ち直れなかった。立ち直れずに終わったんだ。けどお前がそうなることはない。……水住、めちゃくちゃ大事なこと聞くぞ」


 これ以上ないくらい、かつてないほど真剣に水住を見つめた。

 何一つ見落とさないように


「お前、ストラトスに脅されてるのか」


 ――水住は、その質問を聞きながら目を閉じていた。

 言い終わった後に一瞬のタイムラグもなく目を開けて、


「入ったのは私の意思。事情もあるけど話したくないだけ」


 何の動揺も見せずに答えてみせる。まあ予想通りだ。

 もし肯定してくれたら話は早かった・・・・・・んだが、元々家族ですら聞き出せない本音。

 そこまで期待はしていない。


「じゃあ遊佐に構ってやれ。あいつのメッセ面倒くさいんだ」


「朱莉と会ったの?」


「2本目のタワーの後に突撃してきた。お前のこと教えてくれってな」


「……はあ」


 ため息を吐いて俺から離れていく。

 近くにあった机に腰掛け、顔をそむける。


「もしかして遊佐のこと嫌い――」


「そんなわけない」


 声を荒げるほどではないが、きっぱりとした否定だった。


「でも、何も話してないのに友達を続けるなんて」


「ハードルたっか。陽太なんか俺を週刊誌に売りやがったぞ、ちょっと面白かったから許したけど。……まあとにかく嫌ってないならそれでいい、俺は好きにやるからな」


 今週末には4本目のタワーだ。

 水住と陽太が元々同行予定だが、今の話しぶりならそこに遊佐をぶち込んでも問題あるまい。



 そんなことを企む俺を水住が恨めしそうに見ている、と思ったらのこのこと近づいてきた。

 そして無言のまま頬をつまんでくる。


「なんだよ」


「浅倉くんは、相手の都合なんてまったく関係ないのね」


「ふん」


 鼻で笑い飛ばした。


「俺は水住に嫌われようが1ミリも痛くないからな。……お前もお前で、ちゃんと自分を固めとけ」


 じゃないと遊佐が迷う。


 言外の意味まで読み取ったかは分からないが、水住は小さくうなずいて手を放した。

 ちょっと不満そうな顔ではあるものの、ここに入った時に比べたら全然マシで、適当なことをしゃべりまくってよかったと思いました。




 ずいぶん長話してしまったが、ここに来た目的を果たさねば。

 美化活動だ。水住が周りをキョロキョロしている。


「掃除用具入れがない?」


「廊下にあるホウキとか使えってよ」


「え? 誰に言われたの?」


「担任。俺、元々ここの掃除当番だし」



 …………あ、やべ。


 机の間で屈みこんだ水住が、コンビニのおにぎりのガワをつまみ上げた。

 無言でこちらを見る目は、ひどく冷めていた。


 ……そして俺は監督にケツをはたかれながら、そのひと部屋をまるまる追加清掃させられることになったのだった。

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