第35話 予幻

 怪我はさせない。

 諦めてくれるまで粘ればいい。


 ――などという考えは甘かった。

 甘すぎた。

 ソフィアさんの実力は、この街に入ってから散々見せつけられていたのに。



 4つの妖精が同時に《風の矢》を発射する。

 それぞれ別の角度から俺を狙ったたそれを、誘導だと分かっていても回避せざるを得ない。


 そして回避先には、既に別の3つが合力して放った《風の槍》が迫っている。

 左手の《フェンリルの爪》でそれを薙ぎ払う――当然その動き、硬直が見逃されるはずもなく。


 超感覚が背後から撃たれた2本の矢を感知する。

 足を奪うことが目的の低軌道。フェンリルの《雷の矢》が危うくそれを打ち消した。


 ……かと思えば、頭上ではもう7つの妖精が次の矢を準備している……。


 ジリ貧とはこのことだった。

 今のところ被弾はしてないものの、散々転げまわった俺の見た目はもうボロボロだ。


 一方で、妖精をいなしながらチラ見したソフィアさんの顔は涼しいものだった。

 なにせ俺からまともな反撃を飛ばせていない。

 ソフィアさんを攻撃していい道理がないので、フェンリルが魔法を撃つのを厳禁しているからだ。

 そうじゃなくてもそんな余裕があったかは微妙だが。

 いっそ逃げようと思って使った《影縛り》には驚いたみたいだが、遠距離主体なら動く必要がないので冷静に放置された。



 体力は少しずつ削られる。

 なんとかして妖精を削ろうと思ったが、奴らのスピードは速すぎて爪でも剣でも間合いの外へと逃げられる。

 《ゴースト》なら間合いは無視できるが、結局は相手の動きを捉えきれなければどうしようもない。



 ――焦りがつのっていた。

 この4日間で強くなったはずの俺達は、たった1人の人間の魔法さえ攻略できていない。その恥にも似たような思いが、俺にリスクのある行動を選ばせる。


 《風の矢》を避けた後、ルーチンワークのように飛んでくる《風の槍》を無視して死角を狙っていた妖精を破壊。

 背後から襲ってくる風槍はフェンリルが迎撃するだろう、そう見込んでの動きだった。


 突然変わった動きにもフェンリルは対応し、《雷の槍》を展開――しかしわずかに間に合わない。


「がッ――!?」


 ギリギリで振り返りはしたものの、迎撃をすり抜けた風槍が俺に直撃。

 衝撃が胸で弾け、吹っ飛ばされた俺は地面に叩きつけられ転がった。



 痛みで、目の奥がチカチカと瞬く。頭の中はまだ転がり続けてるような感覚に支配されている。

 そのどちらも無視して立ち上がろうとした瞬間。


<――――ッ!!>


 頭の中から、フェンリルの声にならない咆哮が聞こえた。

 怒りの叫びではない。

 人間のもので無理やり表現するなら……嘆きだろうか。


 これまで一度も感じたことのない感情が伝わってくる……それは、圧倒的な無力感。

 立ち上がるために着いていた手から力が抜け、そのまま仰向けに倒れて空を見る。



 《風の槍》を喰らったのは、タイミングを外した俺が悪い。

 けど、もしフェンリルが完全な状態だったなら、あのぐらい簡単に迎撃できていただろう。


 最強の魔法と最高の魔力。

 それまで当たり前だったものを"ノア"との戦いで失ったのは、こいつも同じだった。


 フェンリルの嘆きは続いている。

 ボスは"情を移すな"と言っていたが……俺はやっぱり、こいつを生き物ではない何かだとは思えなかった。

 失くしたものを取り戻す手伝いぐらいはしてやりたいと思ってしまう。


 今日はこのままボロボロにされて帰るとしても。

 明日以降だって魔法式を集めに行く時間ぐらいは作れるはずだ。

 少しでもフェンリルを完全に近づけ、Aランクを倒して……その後は。


 ……その後は?


「一旦タイムでお願いします……」


 俺は転がったまま片手を挙げた。

 ソフィアさんの足音が止まる。


「あまり長くは待ちません」


 少し離れたところから声が聞こえた。

 けど待ってくれるらしい、そういうところが好きだ。

 手をべしゃっと地面に落とした。



 ――Aランクを倒したとしたら、そいつから手に入る魔法式はこれまでと比べ物にならないはずだ。

 それでフェンリルの修復・・が終われば、こいつが俺の中に居座る理由はなくなるかもしれない。

 その時はきっと"ノア"に復讐しようするだろう。


 そして負ける。


 これまで見てきたものから考えるに、それがどんなに強力なモンスターであっても、この世界で造られたものはあいつに勝てるようにはできていない。

 それが分かっていたとしても、フェンリルはもう一度挑む。


 けど……俺がいれば。


 この世界の外の存在なら"ノア"に対抗できる。

 だから、勝つ為には俺の力が必要なのだと、こいつに認めさせなければならなかった。


「はは……」


 苦笑いが漏れた。

 Aランク戦なんかどうでもよかったな。どうせ勝つまで挑めばいいんだから、それが百回だろうが千回だろうが大した違いじゃない。

 その先のことを考えなきゃいけなかったんだ。


 左手の爪を解除した。

 フェンリルの戸惑いが伝わってくる。

 そのまま見てろ。


 俺が積み上げてきたものはそう多くないが……その全てが一級品だと尊敬する人が言ってくれた。

 その真価を、今ここで引き出そう――。


 両目を閉じて魔力を集める。

 そのまま目を開ければ以前の二の舞だ。実際の世界と魔力の世界、二重になった視界にあふれる情報で脳がパンクすることになる。


 だから、目を閉じたままで、魔力の世界を実際の世界に近づける。


 アークでは土や木、水や風、どんなものだって魔力を持っている。

 その魔力を小の小、極小のところまで余すところなく超感覚で捉えきる。

 そこに魔力があるのなら……この目に映らないことこそあり得ない!


 極限まで磨かれた超感覚が、その要求に応えた。

 暗闇の中、蛍火のように点々と灯された魔力が爆発的に増殖し、新たな世界を描画する。

 数秒の後――俺の視界にはその蛍火と闇だけで構成された景色が広がっていた。


 目を閉じたまま立ち上がる。

 両手の位置に顔を向けると、蛍火に形づくられた手の輪郭が目に映った。

 イルミネーションみたいだな。この世界では魔力と、それを持つものだけが光の強弱で表現されている。


「お待たせしました。……すみませんが、もう少しだけ付き合ってください」


 魔力をまとうソフィアさんの姿もまた、蛍火の輪郭しか映らない。

 だからどんな表情をしているかは分からないが、周りに浮かぶ妖精ははっきりとその攻撃性を主張している。


「遊んでいるわけではないようですが、まさか目をふさいで戦うおつもりでしょうか?」


「はい」


 この目には何かがある。その直感に従って俺は頷いた。

 沈黙が返り、ソフィアさんの周りで魔力が活性化する。


「そうですか。――すぐに終わらせます」


 その言葉が終わる前に起きた視界の変化で――俺は勝利を確信した。


《妖精達が俺を取り囲む》


 何歩か前に歩いて振り返る。

 一瞬で飛翔した妖精達が、を包囲した。


《遠距離から2本、至近距離から1本の矢が放たれる》


 また数歩歩いただけで、発射する前にはもう射線から逃れていた。

 さらには近づいてきた妖精を剣で破壊する。


《風の槍が俺からわずかに逸れた位置を通り抜ける》


 それが視えて・・・いたから一歩も動かなかった。

 すぐそばを抜ける暴風が、ただ俺のジャケットを揺らして過ぎていく。


「何が……!?」


 ソフィアさんの声が聞こえる。

 目を閉じたままの俺が、いきなり達人のような動きを始めれば驚きもするだろう。


 そのからくりは単純な、しかし絶対的なルールだった。

 魔法は魔力がなければ発動しない――つまり魔法が動く時は、その前に必ず魔力が動く。


 俺の目にはそれが映っている。

 《風の矢》や《風の槍》であれば、発射されるよりも前にその軌道が映る。

 《妖精》であれば、その移動先に敷かれた魔力のレールが映っている。


 魔法の準備と発生までのタイムラグ。

 それを映像化したこの幻視はさしずめ……"予幻よげん"とでもいう、恐るべき力となっていた。



 先が読めるなら手段も増える。

 矢の嵐をするするとかわしながら《ゴースト》を呼び出す。

 いつも使っているのは、魔法への干渉を意識した死霊の手。

 それを破壊に特化した刃の形態へと変化させ、間合いの外の妖精――その予幻に向けて剣を振り抜いた!


 飛び回る妖精が予幻の位置に到達し、ジャストタイムで強襲した死霊の刃がそれを破壊する。


 対・魔法限定の遠距離斬撃。

 そのまま2つ3つと破壊を繰り返す。

 死霊の刃が現れるのは瞬きほどの時間のみだ。

 もしそれを捉えていなければ、俺が空を斬ると同時に魔法が砕ける不気味な光景を見せられることになるだろう。


 しかしソフィアさんにそんな抜けはない。

 早々に何が起こっているのか把握したらしく、6つの妖精を一斉に退かせて自分の前に集合させた。


《妖精達が結合する》


 予幻は見えたものの、死霊の刃は弾かれて阻止に失敗。

 六角形に配置された妖精同士が光線で結ばれ、中心に魔力が収束する。

 《風の槍》なら妖精3つのはず、ということはさらに上。レベル4……《風の砲》まで引き上げてきた!



 俺は覚悟を決めた。

 両目を開いて2色の世界から帰還する――途端に情報の波が押し寄せた。

 初めて幻視を使った時の比ではない、向こう側を詳細に捉えていた分だけ衝撃が大きくなっている。


 だがもう2度目の、しかも来ると分かっていたものに押し負けるわけにはいかない!

 めまいを無視して走り出す。歪む景色の向こうに、集束する《風の砲》とその魔法式が見えた。

 今にも爆発しそうなその魔力の先を予幻する――俺の方が速い!


 一瞬もためわらずに前に出たのが功を奏した。

 走りながら尾のように垂らしていた剣、それを持つ腕をたわめる。

 目前へと迫り、その刃を発射直前の《風の砲》に突き立てた!


「「――ッ!」」


 剣先が魔法式を破壊し、行き場を失った魔法の風が爆発した結果。

 俺達は大きく吹き飛ばされることになった。

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