二十
寒い。クリスマスが近いのだから当然だ。そして、寒いのは体だけではなかった。所持金はついに底をついていた。
昔の日本は、スーパーやコンビニの裏に、廃棄弁当などが普通に捨ててあったそうだが、今はない。安全面や衛生面を考慮してのことだろうか。町にはほとんどゴミ箱もなかった。だからルンは、スーパーの試食コーナーで空腹を満たし、足りなければ万引きした。水はトイレや公園の水道水を飲んだ。
スマホはほとんど電源をオンにしなかったが、それでも充電切れになった。電気店で充電器を万引きし、トイレの個室で充電した。
ねぐらは地下鉄出口の踊り場だった。毎日場所を変えた。雨風は凌げるものの、日付が変わる頃には氷点下になり、ぶるぶる震えながら朝を迎えるのが常だった。だからルンは日中、暖房の効いたデパートやスーパーのトイレの個室で仮眠を取るのが日課となっていた。そして、身障者用のトイレで体を洗った。
時々スマホの電源を入れてみたが、ヤマト会からの着信は嘘のようになくなっていた。ルンの家族を殺し、保険金を得たことで、もうルンは用無しということなのだろうか。だが、ルンの家族の保険金など、ヤマト会にとっては、はした金のはずだ。
いや、金の多い少ないではなく、ヤクザにとって一番大切なものはメンツだと聞いたことがある。ベトナムの技能実習生に逃げられたヤマト会はメンツを潰された。だから、メンツを保つために家族を殺したのだ。ということは、まだルンを殺すことをあきらめていないだろう。メンツのためと、生きた証拠を葬るためだ。
電話帳を呼び出し、父の携帯にかける。どうしても、家族の死を受け容れたくなかったのだ。だが、今度は別の男が出ることはなく、かわりにベトナム語の無機質な音声が耳に入ってきた。『現在使われておりません』。
絶望とあきらめ。
両親の、そして妹の顔が脳裏に浮かんだ。三人とも笑顔だった。思い出す家族の表情は常に笑顔だった。それがルンの心を逆にきつく締めつける。
復讐。
不意にどす黒い怒りが湧き上がってきた。
ヤマト会に復讐して自分も死のう。相討ちでも何でもいい。とにかく一矢報いるのだ。
家族のいないベトナムに帰る理由もない。この国で死のう。
その前に、ルンはサナに会いたかった。
乱暴にドアが開けられ、田口が入ってくる。
「おい、綺麗に体洗っとけって言うたやろ! 臭いのう、風呂入れ、風呂。そんなんじゃ客取られへんぞ」
サナはノソノソと体を起こした。田口の言うように、銭湯に行こうと何度も思ったが、顔や体に痣がまだ残っているし、歯の抜けた間抜け顔で外に出るのは憚れたのだ。
「まあ、弟も金持ちにもらわれたし、そんなに必死に働かんでもええか」
「……」
「せやけど、おまえの両親も大変みたいやぞ」
「?」
大変なのは前からだ。ずっとどん底だ。今さら何があるというのか。
「教えてほしいか?」
「……」
「ふん、愛想のないガキや。まあええ、教えたる。おまえの両親な、心中を図ったぞ。これで二回目やな」
「えっ?」
なぜだ。弟が金持ちの養子になり、少しは将来に光明が射すかもしれないという矢先に……。
「幸いというか、いや、不幸にも二人とも生き残った。せやけど、母親の方は長い時間首を吊っていたせいで、脳に障害が残った。今までは言語障害やったけど、今度は認知症のような状態や。ボケや、ボケ」
田口が笑いながら言う。
「……なんで……なんで心中なんか……」
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