十四
田口は、いつものように売上を要求することなく、諭すように訊いてきた。
「おまえ、ベトナム人匿ってるやろ? おまえと同じ二十五歳。名前はルンや」
「……いや、知らん」
サナはかぶりを振った。天井裏のルンが気になる。ルンは息を殺していることだろう。
「ほんまか?」
サナは頷いた。
「ふん、嘘つきは長生きできんぞ。おまえ、客の前でルンの名前呼んだそうやないか。客から、事の最中に他の男の名前呼ばれて興覚めしたってクレーム入ってな」
「……」
「もう全部バレとんねん。敏江からも色々聞いてる。ルンはどこや? 押入れか?」
田口が押入れに向かう。
サナは田口にしがみつき、
「そこはやめて。そこは唯一のわたしだけの空間やから」
「やかましい! おまえなんかにプライバシーも何もないんじゃ!」
それでもサナが必死にしがみつくと、田口は一転猫なで声になり、
「おまえ、こんな生活から抜け出したないか?」
と訊いてきた。
サナは戸惑った。戸惑ったが、田口の言葉は、甘美な響きを伴って耳に辿り着いた。
「この生活から……抜け出す……」
「そや、おまえが素直にルンの居場所を吐いたら、解放したる。借金もチャラや。今まで匿っていたことも水に流したる。親と弟がおる場所まで連れていったる」
「……」
サナが黙っていると、田口は舌打ちをして、押入れの襖を乱暴に開けた。中を確認し、舌打ちしている。
「おい、サナ。あのベトナム人に何の義理があるんや。なんで庇うんや!」
「……そのベトナム人を捕まえてどうするの?」
「別に……ていうか、おまえみたいなアホに話しても理解できんやろうけど、あいつは実習生いうてな、期間限定で出稼ぎに来とるんや。で、もう三年になるから、一旦ベトナムへ帰さなあかん。だから、パスポートとビザを返そうと思ってな」
「……」
すぐに嘘だとわかった。田口の言葉を聞いているであろう、ルンも嘘だとわかっているはずだ。
確かに自分はアホでバカだが、ルンに聞いた話を総合すると、ヤマト会はあちらこちらの機関を抱き込んで、ルンたちを確保したようだ。そして、それには当然お金がかかっている。だから、まだまだルンたちをこき使い、儲けようと考えているのだろう。
「早く居場所を教えてくれ。おまえもルンがベトナムに帰られへんかったら可哀想やろが」
「……」
「あいつ、ここへ通ってきてるんか? 夜になったら来るんか? どこに隠れとんねん?」
「……」
「教えてくれよ、なあ」
「……」
サナは考えた。悩んだ。迷った。そして、言った。
「……教えたら……教えたら、わたしは解放してくれるの?」
サナは、大きめの声で、ルンに聞こえるように言った。
自分が、今まさにルンを裏切ろうとしていることを、ルンに教えたのだ。
「おう、解放したる」
「……ルンは……」
「ん?」
「ルンはおるよ」
「あ? どこにおるんや?」
田口が狭い部屋を見渡す。
「ルンは……天井裏におる」
サナは天井を指さして言った。
「なに! 天井裏?」
田口が押入れに向かう。
ルン、逃げて!
サナは心の中で叫んだ。
ルンは、サナに裏切られたと思うだろう。もう、サナの顔を見たくないと思うだろう。それでいいのだ。離れがたく、先延ばしにしていた別れ。ルンが出ていくと言うのを何度も止めた。自分の弱さのせいだ。でも、いつまでも一緒にはいられない。そして、ルンをベトナムの家族の元に帰してやらなければ。大使館に駆け込めば何とかなるはずだ。
ルンには、天井裏から屋根を突き破って外に出るルートを説明していた。
三年前、ここへ連れてこられた当初、表にはヤマト会の見張りが二十四時間体制でいた。サナは家族を守るため、逃げることは考えていなかったが、いざという時のために逃走ルートを開拓していた。そしてそれをルンに教えていたのだ。
田口が天井点検口を見つけ、板を外す。ほぼ同時に瓦が割れる音が響いてきた。
ルン、逃げて!
「くそ、あのガキ」
田口が押入れから出てくるや、サナを跳ね飛ばし、外へ出ていく。
ルンが無事逃げれば、田口は自分を半殺しの目に遭わせるだろう。いや、殺すかもしれない。ヤクザは無駄な殺しはしないと聞いているが、サナには生命保険がかけられており、決して無駄な殺しではない。
ルンの居場所を教えたら解放してくれるというのも、最初から嘘だ。それくらい、サナは理解していた。理解した上での行動だ。
どの道を辿ることになろうと、サナに未来はなかった。
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