第3話アダプト
初老の紳士の話によると、母ちゃん――キャサリン・ロバートソンは貴族の娘だった。
過去の言い方になってしまうのは、母ちゃんが父ちゃんと駆け落ちしたからだ。以来、ロバートソン家から絶縁状態になっていた。しかし、母ちゃんが亡くなる前に出した手紙がきっかけで迎えに来てくれたのだった。
手紙にはわしとアイラのことも書かれていた。
貧乏暮らしをしていると知った母ちゃんの父親――わしの祖父だ――が迎い入れても良いと許可をくれた。だからこそ、執事長のビクターさんがやってきたのだ。
「この街を離れて一緒にご主人様の元へ行きましょう」
全てを話し終えた後でビクターさんが優しく言ってくれた。
わしとしては母ちゃんが死んだ今、養育してくれる人が必要なのでその申し出は受け入れたかった。だがその前にアイラの気持ちを知りたい。
「アイラ。お前はどうする?」
「兄ちゃんと一緒なら、どこに行ってもいいよ」
「そうか……わしはできるならロバートソン家に行きたい」
アイラはある程度予想していたのか「お金のこと、だよね」と目を伏せた。
十才とはいえ、賢い子だからわしたちが困窮しているのが分かるようだ。
「お前に苦労をかけたくない。このまま二人で生きていくのは難しいからな」
「……もし母ちゃんが生きていたら、私たちロバートソン家に連れていかれたよね」
もしくは母ちゃんと離れ離れになったのかもしれない。
自分のことはいいから子供たちをお願いします――そう言いそうな母親だった。
「まあな……ビクターさん。お願いします。わしたちをロバートソン家に迎い入れてください」
「ご主人様はそれを願っております。私も、お嬢様――あなた方のご母堂の最期の願いを叶えたいと思います」
ビクターさんは深く頭を下げた。
それは母ちゃんを悼んでいるような仕草だった。
「こちらこそよろしくお願いします」
「……お願いします」
ビクターさんが帰った後、わしは「私塾をやめることになるが、本当にいいのか?」とアイラに訊ねる。
「お前さえ良ければ、援助を受けつつこの街で暮らすこともできるだろう」
「ううん。兄ちゃんのことを考えるとできないよ」
「わしのこと? どういうことだ?」
「だって、兄ちゃんは軍人になるんでしょう?」
アイラには話していないのに――わしは誤魔化そうとして、だけど思い直して「いつ知った?」と言う。
赤い髪をかき上げて「ずいぶん前から」とアイラは短く答えた。
「兄ちゃんが街の軍人さんを見る目……父ちゃんを見る目と同じだったから」
「お前は目敏いな。いや、賢いなと言うべきだな」
「でも、今のまま軍人になったら――死んじゃうかもしれない」
一般兵として入隊したら、わしが死んでしまうかもしれない。
アイラはそう予想しているのだろう。
「だけど、軍学校に入学すれば前線に立たなくて済むかも」
「なるほど。だからロバートソン家に行くこと、反対しなかったんだな」
「本当は街から離れたくない。いろんな思い出があるから」
そこで言葉を切って、目に涙を貯めて、アイラは一息に言った。
「私のわがままで兄ちゃんを死なせたくない」
「…………」
「私にはもう、兄ちゃんしかいないから」
可愛い妹だ。この世界に転生して一番良かったのは、この妹と出会えたことだな。
わしはアイラの頭を撫でて「ありがとう」と言う。
「わしも、大切な家族はアイラしかいない。だから――命がけで守るよ」
「嬉しい……ありがとう……」
泣き出したアイラの背中をさすりながら、わしは今後について考える。
ロバートソン家がどのくらいの貴族かは分からない。
執事長のビクターさんの身なりを見る限り、そこまで貧乏ではないだろう。
だとすれば、利用できるかもしれない。
当初の目的である国王になることに――
◆◇◆◇
「はあん。街から出るのか」
「ええまあ。ですので今日が最後の仕事です」
翌日、大工のジャック兄さんや職人たちと話しつつ作業を行なっていた。
はっきり言って楽しい仕事ではなかったが、周りのみんなが助けてくれたので、続けられることができた。そのことについては感謝したい。
「モンキー。お前が出ていったら誰が俺の苦手な揚げ物を食うんだよ」
「寂しくなるなあ、ちくしょうめ」
「みんな……わしも寂しいですよ」
可愛がってくれた職人たちが別れを惜しんでくれている。
少しだけ寂寥感が生まれる。
「なあモンキー。俺はこの街一番の大工になる……だけじゃねえんだ」
「別の夢があるということですか?」
ジャック兄さんが唐突に切り出した。
わしは彼がこんな真面目な顔をしているのを見たことがなかった。
「俺はこの街を支配する。そしてお前みたいにその日暮らしをしている女子供を助けてやりてえんだ」
「立派な夢だと思います」
「なんだお前。笑わないのか?」
笑う道理がなかったので「なんで笑う必要があるんですか?」と返した。
ジャック兄さんは「普通、笑うだろうよ」と自嘲した。
「俺みたいな若造が街を支配したいって言ったんだぜ? できっこねえって――」
「わしはそう思いません。ジャック兄さんならできますよ」
ただのおべっかではなく、本心だった。
ジャック兄さんは力自慢の若者に思えるけど、実は頭がかなり切れる。
現場を任されたことも数多い。
もし戦国乱世にいたのであれば、侍大将も務まるだろう。
「ふふ。面白れえ野郎だ。こんな俺を過大評価してくれるんだからよ」
「でも不快じゃないでしょう?」
「まあな……てめえ、それが狙いか?」
「まさか。具体的にどうやるのか、考えていますよね」
「ふふふ……」
ジャック兄さんは不敵に笑った。
しかし何も喋らない。
計画をきっちり考えている証拠だった。
「もし、お前が大人になって困ったことがあったら、この俺を頼ってもいいぜ」
「ジャック兄さんには喧嘩のやり方を教えてもらいました。それだけでも十分なのに、手助けもしてくれるんですか?」
「お前が死んでなけりゃな、モンキー」
まるで小六を思い出す男だった。
わしはその申し出をありがたく受け取った。
仕事が終わり今日の給金をもらうと、いつもより多いことに気づく。
親方に問うと「あん? 間違えたな」と豪快に笑った。
「そんな……返しますよ」
「おいこらモンキー。一度出したものを引っ込めろって言うのか? そんな情けない真似させるのか?」
「……すみません。ありがたくいただきます」
改めてこの街でこの人たちと働けて良かった。
心からそう思えた。
それから二日後。
わしとアイラはこの街から出てロバートソン家に向かうことになった。
数少ない荷物を鞄に詰め込んで、ビクターさんが運転する車に乗り込んだ。
アイラは窓の外を見つめた。
生まれ育った街の風景を目に焼き付けようとしているのだろう。
「もう私たちはこの街にいられないんだね」
「そうだな。寂しいよな」
「兄ちゃんも寂しいって思うの?」
わしは「かっかっか。違うぞ、アイラ」と馬鹿みたいに笑った。
「故郷から離れるってことは――寂しいって言葉じゃ足りないんだ」
「…………」
「自分の中から何かを失うような感覚が続いていくんだ」
わしが戦国乱世で故郷から離れるとき、とてもつらかったことを思い出す。
死んだとき、目に映っていたのは。
生まれ育った村の田畑の姿だった――
「失ったものはどうやって埋めていくの?」
「さあな。わしには分からん。馬鹿だからなあ」
そんな会話をしつつ、どんどん街は遠ざかっていく。
さようなら、わしの故郷。
お前は失っていくけど、その分何かで埋める。
安心して見送ってくれ。
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