第2話ビリーブメント
「モンキー。男には守るものが必要なんだ。俺にとってそれは――家族だ」
父ちゃんが戦死する前、最後の別れのときに話した会話だ。
漆黒の軍服を着た父ちゃんはとても格好良くて強そうだった。
わしは今まで多くの武人を見てきたけど、それに劣らないほど立派な軍人に思えた。
「お前もいずれ、分かるときがくる。母さんやアイラのことを頼む」
三年前に死んだ父ちゃんの言葉は忘れない。
胸に刻んで覚えている。
これで実父を亡くしたのは二回目だった。
前と同じようにぽっかりとした虚しい気分になる。
父ちゃんの遺族年金は毎月振り込まれるけど、母ちゃんの薬代やアイラの私塾代を賄えるほど多くなかった。薬は母ちゃんに必要なものだったし、アイラには学を身に着けていいところに嫁いでほしかった。
だから大工での仕事は苦じゃなかった。
母ちゃんやアイラのために――頑張るんだ。
「おうモンキー。最近、細くなってないか? ちゃんと食べているか?」
「そうだ。今日の弁当、俺の苦手な揚げ物が入っているんだ。食べてくれよ」
仕事のときは厳しいけど、休憩中や食事中は親方や職人たちが心配してくれる。
心なしか弁当の量が少しだけ増えている気がする。
一番若い新入りということもあり可愛がられているのかもしれない。
「ありがとうございます。いただきます」
「へへ。そうか。なんつーか、お前は愛嬌があるからな」
初めて奉公した松下嘉兵衛のところでは上の者のやっかみが酷かった。
それで上の者に好かれるよう努力してきた。
それが今、異世界でも活かされているようだ。
「いえいえ! みなさんのおかげで頑張れています。感謝の言葉しかありませんよ!」
「へっ。口は上手いな」
「このまま大工になればいいじゃねえか。それなのに軍人になるのか?」
「平民の出であるわしが成り上がるには、軍人しかありませんから」
とは言っても軍学校ではなく、一般兵として入隊するのだけれど。
出世するには士官候補生のほうが良かった。でも家にそんな余裕はない。
大工の下働きを終えて、家に帰ると「兄ちゃん! おかえり!」とアイラが嬉しそうな顔で出迎えてくれた。
「どうしたそんな嬉しそうな顔をして」
「これ、見て!」
パッと広げた紙には私塾での成績が書かれていて、なんと塾内で一位と書かれていた。
わしは信じられない思いでアイラを見た。
自慢げに笑う妹に、わしはなんと言えば分からずに――
「わわわ! 兄ちゃん、泣かないで!」
「いや……よくやってくれたな……わしは嬉しいぞ!」
十才のアイラが、十五才の子供がいる私塾で一位を取るのはとても努力がいることだ。
前々から頭の良い子だと思っていたが……
「母ちゃんには見せたか?」
「うん。喜んでくれたよ!」
母ちゃんのところに二人で行くと「おめでとう、アイラ」と寝たまま褒めてくれた。
最近、また痩せたなと思いつつ「自慢の妹だよ」とわしはアイラの頭を撫でた。
「モンキーもよくやってくれているわ。私がこんな身体じゃなかったら……苦労かけないのに」
「……それは言わない約束だ」
「母さん、覚悟を決めたわ。これを、郵便に出してほしいの」
母ちゃんはベッドの近くの引き出しから手紙を取り出した。
なんだろう。宛先に心当たりがない。
「母ちゃん、これは……?」
「これ以上、苦労かけられないわ。いえ、私が頑固だったばかりに、しなくてもいい苦労をかけてしまった」
よく分からないけど、母ちゃんの言うとおりにしよう。
わしは「明日はお祝いしよう!」と言う。
「いざというときに貯めておいたお金がある!」
「いいの? 本当に大事なときじゃないと……」
「アイラ。今が大切なときだ。妹が凄いことを成し遂げたのに、祝わない道理などない」
わしが笑うとアイラも楽しそうに笑った。
それを見て母ちゃんも微笑んでくれた。
◆◇◆◇
異世界はわしがいた日の本よりも数段発展していた。
レンガ造りの家や舗装された道路。
エンジンで動く車や石炭で動く汽車。
そして――効率的に人を殺す銃。
街を巡回する軍人が持っている銃を見たが、あれならば子供でも人を殺せそうだと思える。なにせ引き金を引けば何十発も弾丸を撃ち出せるのだから。
もはや隊列を敷いて一斉に撃つ必要もない。戦がまるっと変わってしまう代物だった。
だからこそわしが出世する目が出てくる。
はっきり言って小柄で力のないわしが戦場で活躍できるわけがないと思っていた。
しかし銃を使えば――平等になる。
わしでも簡単に人を殺せる。
手紙を出した翌日。
わしはいつものように大工の下働きをした。
今日も懸命に働きつつ、今日は豪勢な食事にしようと考えていた。
「モンキー。何かいいことでもあったのか?」
「ジャック兄さん。実は妹が私塾で一位になったんですよ」
短い茶髪で大柄な体格をしている、わしと一番親しいジャック兄さんは「そりゃあすげえや」と手を叩いた。筋肉が隆起している彼は仕事でも重宝されている。十八才の青年だが器用なところを買われていた。
「何かお祝いしてやりてえが、生憎気の利いたもんを持ってねえ」
「その気持ちだけでも嬉しいですよ」
「今度何か――」
そんな話をしていると「兄ちゃん!」と大声がした。
振り返ると真っ青な顔をしたアイラがいた。
今は私塾の時間じゃないのか?
「アイラ? どうしてここに?」
「母ちゃんが、母ちゃんが――」
アイラは涙を流して――叫んだ。
「――母ちゃんが、死んじゃうよ! 苦しそうにしているの!」
ハンマーで頭を殴られた気分だった。
一瞬、何も考えられなくなったわしの背中をジャック兄さんが思いっきり叩く。
「てめえ、何ぼうっとしてんだ! 急いで家に帰れ!」
「――ああ、分かった!」
わしはアイラの手を引いて家まで走った。
転びそうになるアイラ。わしはおぶって走った。
小刻みに震える妹。わしも身体中が震えていた。
「母ちゃん! 今帰ったぞ!」
家に帰るとかかりつけの医者と看護婦がいた。
「息子さんと娘さんが帰ってきましたよ! 頑張って戻ってください!」
医者が必死に母ちゃんの胸を上下に押している。
母ちゃんは目を閉じている――
「母ちゃん! 死なないでよ!」
背中から下りてアイラがベッドに駆け寄る。
わしも続いてベッドに近づいて手を取った。
「母ちゃん、死んじゃ駄目だ! 生きて、生きてくれ!」
その願いが届いたのか、ゆっくりと目を開ける母ちゃん。
だけど、視線が定まらない。
命の灯火が消えようとしている。
「……ごめんね、モンキー、アイラ。私……もう」
「やめろ! そんな今わの際のようなことを言うな!」
「手紙、出してくれたの……なら安心ね……」
母ちゃんは最後に嬉しそうに微笑んだ。
わしの好きな表情だったけど。
このときばかりは見たくなかった。
「ああ、あなた。そこにいるのね……」
握った手の力が失われた。
医者が必死に動きを続けている。
「先生、もう、いいです」
「兄ちゃん! 母ちゃんが――」
わしはアイラを抱きしめた。
泣いている妹を強く抱きしめた。
「母ちゃんは死んだんだ。死んでしまったんだ……」
「う、うう、うわあああああん!」
気まずそうにしている医者と看護婦を無視して、わしは泣いた。
これ以上ないってくらい――悲しかった。
それから数日後。
祝うためのお金を葬式に宛がって、小さな墓に母ちゃんを葬った。
わしとアイラはしばらく家に引きこもっていた。
そんなとき、家の扉を叩く音がした。
「アイラ、そこにいなさい」
「……うん」
扉を開けると、そこには初老の男がいた。
無表情で気真面目そうな、白髪交じりの頭をした紳士然とした者だった。
「あなたは……?」
「失礼。キャサリン様はいらっしゃいますか?」
キャサリンは母ちゃんの名だ。
「母ちゃんは死んだ……」
「なんと……それでは、あなたはキャサリン様のご子息ですか?」
少しだけ悲しげな顔になった紳士。
わしが頷くと「さぞかし大変だったでしょう」と同情する。
「それで、何の用でしょうか?」
「あなた方を迎えに来ました」
紳士は深く頭を下げた。
「ロバートソン家の一族であらせられるあなた方をね」
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