第16話
アイザックは柱に凭れながら誰かを待っている。
服を蹴飛ばす音と鼻につく香水の香りが漂ってくればアイザックは壁から離れ、道を塞ぐように廊下に立ちふさがる。外につながる開放感のある廊下はアイザックを小さく見せる。
同様にアイザックの正面から向かってくるマリアンヌもより一層小さく見える。
「なぁ、ローゼが俺を避けるんだけど、あんた何かした?」
腕を組んで敵対心をむき出しにする。
「あらぁ、アイザック殿下。私は何もしていませんわ」
今気づいたかのように振る舞い、長い修道着の裾を持ち上げカテーシーをする。手ぶらで場内を歩けるとは良いご身分だ、とアイザックは思う。
アイザックは、マリアンヌのすべてを知っていると言わんばかりの澄ました顔に手が出そうになるのを我慢する。
先日から不愛想になり徹底的にアイザックを避けるイルローゼに何も心当たりのないアイザックは、イルローゼ不足で怒りがマックスになっているのだ。
何とかして情報を引き出そうと躍起になっているアイザックはいきなりマリアンヌの胸ぐらをつかむ。色っぽい悲鳴を出すマリアンヌに早くこの場を去りたい気持ちが募る。
「死にたいか?お望み通りここで殺してやるよ。それか、お前の父親のところへ帰してやるよ」
獣のように瞳孔を開き目が血走る。陰になっている顔は恐ろしさを膨張させ、瞳は爛々としている。絹のような銀の髪が穏やかでない風に揺らされる。
アイザックのその迫力に気後れしたマリアンヌは小鹿のように足が震え恐る恐る小さな口を開いた。
「……ベルにあの家の家宝を渡しました」
アイザックはパッと手を放し、汚いものを触ったかのように手を払った。顎に手を当て家宝について思考を巡らせる。
伏し目で考え込む。青く澄んだ瞳はマリアンヌには冷酷に映る。
恐怖で腰が抜けてしまったマリアンヌは地面に座り込んでしまった。岩に座る人魚のように足を揃え、両腕で胸を挟み地面に手をつく。
「杜撰だな。指輪か……兄上を殺るか……」
マリアンヌの家は従者であるエミリーの家でもあるがエミリーはさほど思い入れも無さそうなので、男爵家とニアンベルに対して処罰を下すように国王に進言しようとアイザックは決めた。
(指輪を知ってるなら兄上に使えばよかったのに。使わなかったのは婚約の仔細について知っているからか?じゃあ本当に兄上はローゼのことが好きで執着しているのか?)
「あっ、お待ちください殿下」
アイザックはマリアンヌのその言葉に耳を貸すことなく、勇ましい背中を向けて立ち去った。
(まぁ、どうでもいいけどローゼを縛るのは許さない)
***
「兄上」
「なんだザック。二人の時間を邪魔しないでくれ」
ニアンベルの隣にはアイザックを一目もみないイルローゼの姿がある。
ニアンベルとイルローゼは大聖堂から少し歩いたところにあるガゼボにぴったりとくっついて座っている。それを外から眺めてみることしかできないアイザック。
皮肉にもイルローゼと戦友になる前の関係がチラつき悔しくなってしまう。
(糞兄貴が……今ここで殺してやりたい……)
ちらりとイルローゼを見ると、虚ろな目でどこを見ているか全くわからなかった。
ドレスを見ればアイザックが贈ってもいない、イルローゼの趣味ではなさそうな質素なドレスを着ていた。何気にニアンベルとイルローゼは色を合わせていることにアイザックは気づく。
「ローゼ、その服は誰からもらったの?嫌だな、僕の贈った服がたくさんあるでしょ?着替えておいでよ」
いてもたってもいられずそうイルローゼに問いかける。
「いえ、ニアンベル殿下がくださった服で間に合っています」
表情を変えずに突っぱねられた。
「ふーん」
ニアンベルを睨むと何に焦ったのか聞いてもいないことを話し出した。
「なんだ。……ローゼから離れたくないと言ってきたんだ」
そう言いながらニアンベルはイルローゼの手を強く握る。その手を上から凝視していると、怒気を感じ取ったのか惜しそうにゆっくりとニアンベルの手がイルローゼから離れた。
「……別にそこまで話してくれとは言ってないよ、兄上。ところで僕、兄上と二人で話したいんだよね」
少しだけニアンベルの表情が強張り、どちらが優位であるかが一目でわかる。
ニアンベルは窮屈なガゼボから抜け出し、アイザックの側へ近寄る。
アイザックはニアンベルの少し低い方に腕を回し、最愛のイルローゼから表情が見えないように背を向けた。
「ローゼ、そこから動くな」
ニアンベルはイルローゼを不躾に指をさしそう命令した。イルローゼはこちらを見ること無く黙ったまま静かにゆっくり頷く。
(命令、ね。黙ってるのがローゼらしいな)
アイザックは黙っているローゼは一種の反抗精神の表れだろうと解釈した。
そのままイルローゼに会話が聞こえないくらいの距離まで離れてアイザックは歩みを止める。半ば無理やり歩かされたニアンベルも刹那遅れて止まった。
「兄上、決闘だ」
ニアンベルは素っ頓狂な声を出して目を丸くしてアイザックを見た。
アイザックはリズムよくニアンベルの肩を叩く。アイザックの切れ長な目はニアンベルの表情を捉えて一つの変化も逃すつもりはない。
「何を言っているんだ。馬鹿なことを言うんじゃ」
「馬鹿なのはお互い様だろ。わかるだろ俺のしたいこと、ローゼの意思を賭けろ」
食い気味にアイザックは耳元でそう言う。低い声はニアンベルの耳に響き、アイザックが怒っていることを自覚させた。
「ローゼを呪いの指輪で操って手に入れた気分になってんなよ、糞兄貴。お前がローゼに捨てられた事実を認めざるを得ん状況にしてやるよ」
「捨てられてなどいない。寧ろお前はローゼに構ってもらって喜んでいるだけだろう?俺が勝ったらローゼは俺のものだ」
捨てられた、という言葉に反応したのかニアンベルは食って掛かった。
「そんなことには絶対させない」
ニアンベルの肩に置く手に力を込め、そのあと彼の肩を突き飛ばした。
剣を握っているだけあって後ろに倒れることは無かったが、ニアンベルの額には脂汗が滲んでいた。
「ローゼ!絶対に迎えに行きます!」
イルローゼに手を振れば、遠くから軽く頭を下げた。
(聞こえてなくてもいいさ)
アイザックはニアンベルに向き直る。
「決闘は観客が多いほうがいいでしょう?場所と日時は追って沙汰します。すぐは無理ですから一週間後くらいですかね。頑張って鍛えておきますね、兄上」
新芽だった草は膝下まで伸びていて、人の歩くところは庭師によって新芽の時のように短く切り揃えられていた。
アイザックもここで『きられぬよう』に強く拳を握った。
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