第15話

 あのパーティーの後の新聞は非常に見ごたえがあった。紙面にでかでかとみすぼらしいマリアンヌと、それを支えるやつれたベルが描かれていた。結局マリアンヌのドレスの件は有耶無耶となり、エミリーの関与も私が首謀者という説も否定された。

 世論も大分アイザック殿下に傾いてきているようですし、あの話は驚きましたけどアイザック殿下はきっと喜んでいるに違いないわ。


 あの話。そう、それはパーティーの帰る直前、馬車に乗る寸前に駆けつけてきたお父様から始まる。


 

***

 


「お父様!?」


 馬車に乗り込む寸前、後ろからお父様がものすごい勢いで駆けつけてきた。息を切らして肩を上下させている。

 

「イル。お前、婚約の話、勘違いしていないか?」


 途切れ途切れの単語ではあるが怪訝さを表している。

 

「ベルと結んだ婚約の話ですか?なにも勘違いしていませんわ」


 馬車内の椅子にお淑やかに座る。


 なんの話かさっぱりですわ。私は10歳の頃にお父様からベルとの婚約を取り付けたと聞きましたわ。

 

「アイザック様もイルに黙っていたのか?」


 開けたままの扉を支えるアイザック殿下は、あははと躱すような笑みをこぼす。

 何も知らないのは私だけなのかしら。


「それを動機に近づいたと思われたくなかったので」

「はぁ、どこまでもあなたって人は……」


 そうやってため息をつき俯くお父様の旋毛を久しぶりに見た気がする。


「いいか、イル。お前の婚約はニアンベル殿下と結ばれたわけではないぞ」

「へ?」


 空いた口が塞がらなかった。

 どうゆうことです?そんなこと一度も言われたことも、誰かがそう言ったこともなかったじゃない。じゃあ今まで私が妃教育を受けてきたのはなんだったの?私は何の為にアイザック殿下を巻き込んでまでベルとの婚約破棄を計画していたっていうの?

 

「やっぱり……父が、可愛い娘を、馬鹿野郎に渡そうとするわけがないだろう!?小さいころから人の顔色ばかり窺って、人に流されやすいニアンベル殿下なんてお断りだ!でも幼いからまだわからんと望みをかけて……陛下に私はこう言ったんだ」


 私は唾液を飲み込む。


「私の娘を、王妃にしてやってくれませんか」


 お父様が言うには王妃という地位を確立するものであって、ベルの嫁になるというものではないということだった。


「陛下もお前の娘なら、と快く承諾してくださったし、娘の願いも叶えられたと安心しきっていたよ。心底昔の自分を讃えてやりたい。保険をかけといてよかった……」


 安堵の表情でアイザック殿下を見ながらお父様はため息をつく。

 

「私はあの時ベルと結婚できると言われて……」


 確かに私は10歳の頃にそう言われたはず。眠れないほど喜んだ記憶がありますもの。

 

「あの時は誰しもがニアンベル殿下が次期国王だと思っていたよ。王位継承権は一位だしな」


 王位継承権が一位なら、ベルが国王になるのは決まりじゃない。まるでベルが王位継承権を失うような話し方……。


 私が納得のいかない顔をしていたのか、お父様は継承権について一言添えた。


「国王は継承権の順位で次期国王を決めるつもりはないそうだ」


 じゃあ何のための順位よ、と唖然とするが、振り返れば失政などには口出しする者はいるが、自分たちに影響の少ない事柄に口出しする者は少ない。

 

 それだけベルに対する期待値が少ないってことね。最近のベルを見ていたら当然と言えば当然ね。

 

「それを盗み聞きしてた僕が義父様に持ち掛けたんだ。兄上をよく思っていないのは明白だったし、利害は一致していたから僕を国王にする後押しを頼んでいたんだ。僕はローゼと結婚できる、義父様はローゼから馬鹿な兄上を引き離せる」

「じゃあ、私に近づいたのは?」


 私だけが勘違いして突っ走ってたって言うの?誰か訂正してくれても良かったじゃない。ベルもそんなこと言わなかったし、陛下もそんなこと言わなかった。

 私だけ騙されてた気分だわ……。

 

「ローゼの夫になるためさ」


 じゃあ戦友って言ってたのは、アイザック殿下がベルの不祥事を明らかにしてベル派の貴族たちの国王にする算段を破綻させるためってこと?

 

 納得のいかない部分と、黙っていたことに対して不満はありますけれども、とりあえずベルも私も不倫ではないってことよね!

 

「……じゃあ堂々とアイザック殿下と恋人になっていいってことですか?」

「そうさ、黙っていてごめんね」

「じゃあ殿下の顔を褒め放題ってことですね!殿下の甘い言葉も大衆の前で否定しなくていいってことですね!」

「顔……甘い言葉……」


 なんか違う、という顔をしながら苦笑いをするアイザック殿下。

 

「んんっ、まあそういうことだ。イルの好きなようにやれ。じゃあな」


 喉痛めているのかしら。

 お父様は喉を鳴らしてから、私たちに背を向けて手をひらひらと振りながらパーティーの会場へ戻っていった。


 私は殿下に抱きついて、解放された気持ちを抱擁にぶつけた。

 

 浮気じゃなかったってことですものね!気持ちが楽ですわ~~!



 ***

 

 そんなこんなで、不倫ではないと発覚した今私はベルと向かい合って昼食を食べています。

 誘って集まったわけではありませんわ。月に一回このようにして二人で昼食を取るという集まりがあるのです。これには誰の邪魔も入らず、以前であれば私の心休まる時間でしたが……。


 もちろん会話も笑顔もありませんわ。侍女や侍従は殺伐とした雰囲気を感じ取ってか、料理を配膳し開いた皿を下げたらそそくさと部屋から出て行ってしまう。


 フォークとナイフが皿に当たる音だけが大きな二人だけの部屋に広がる。


「……ザックとパーティーに来たんだな。どんな関係なんだ」

「あら?パーティーではっきりと宣言したつもりでしたが、お聞きになっていませんでした?」

「俺は認めないからな」


 なによ、聞いていたんじゃない。今更確認のようなことしたって永遠に私たちの愛は壊れませんわ。

 

「もう私は以前のようにあなたをお慕いしていません。ですから、この定期的に開催される二人での食事も今回で終わりです」

「俺は……お前が大切だ」


 ベルの瞳は真剣そのもので、私の心臓をピリつかせた。光の灯っていないその瞳は、ベルと婚約してから初めて見る。

 

 今までそんなこと、そんな感じ一度もしませんでしたのに。今更私を離すまいと必死なのですね。


 そんなことを考えていたら、ベルが椅子を倒す勢いで立ち上がる。


 なんですの、どことなくベルの雰囲気が変わりましたわ。真顔のような表情で、どんな感情なのかまったく見当がつきませんわ。


 アイザック殿下より低い身長とは言え、平均よりは高い身長で座っていると迫力を感じる。動じないようにと、料理を食べる。


「イルローゼ、左手を出せ」


 なんとなく、左手を差し出すことができなかった。

 そのまま固まっていれば、ベルが力ずくで私の左手を取る。

 フォークが床に金属音を立てて落ちた。


「やめてください、ベル」


 抵抗しようと腕を引こうとしても、男性に勝てるはずもなくびくともしなかった。


「なんです?この指輪は、いりませんわ!」

「俺からの贈り物だよ、イルローゼ。【喜べ】」


 は?嬉しくなんてないわ。喜ぶ要素が一つもありませんし、こんなシチュエーションで贈り物を貰ったところで喜ぶバカはいませんわ。マリアンヌ以外にね!!


「……嬉しいですわ。一生離しません」


 な、こんなこと思っていませんのに口が勝手に……!


「最初から、こうしていればよかったんだな。イルローゼ、【ザックに近づくな】」

「…………」


 何何何!?そんなの嫌ですのに、否定ができませんわ!拒否しようとしたら喉が閉まって声が出せない。


「まったく……【返事をしろ】」

「はぃ」


 どういうことですの、もうアイザック殿下に会えないってことですか?そんなの嫌、あの顔を拝む為に今を生きているのに!

 

「いい子だ、泣くな。すぐ慣れる。【俺のそばを離れるな】」


 そんな、そんな!どうしよう、この指輪の所為だわ……!大聖女が言っていた手元に気をつけろって、もしかしてこのことなんじゃないかしら。夢なんかじゃなくて、本当だったのね!


 手袋でもして生活していれば良かったですわ!!

 愛の力云々はどうすればいいのですか~~!?


 


 

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