カタストロフの忘却

 11月2日、今でも夏休み。


 もう学校の方では、「あいつ今日も来ていないじゃん。」「まあ、あいつ、ちょっとやばかったからな。」「不登校になりそうな気配してたもん。」「でも、別にどうでもいいか。」


 ……みたいな会話すらも交わされなくなっているだろう。そもそもそんな会話が行われていたのかすらも分からない。僕が休んでいることすら、誰にも認知されていない可能性すらある。


 僕はそこまで自意識が高くないから、僕1人がいなくなったところで、世界は潤滑に進むことは知っている。それどころか、自分と言う存在がいなくなった世界こそ、より滑らかに進むだろう。


 自分は社会のノイズであることを自覚している。これは、努力とかで何とかなる問題ではなく、ただ遺伝子に組み込まれた僕という人間としての性質だ。


 人間から忌避される人間、ゴキブリのような日の目の浴びない陰でこそこそと生き続けていくような人間だ。日の目を浴びれば、人間に追いかけ殺される。そんな人間なのだ。


 実際、僕はそれを自覚しているから、学校では何も喋らず、何も目立たず、陰でこそこそと生きているのだ。


 だがしかし、そんなゴキブリのような人間を好く人間がいることもまた事実である。


 いつもの時間だから、その人間はそろそろこの堤防に現れるだろう。


「おはっよー! 蒼空く~ん!」

「……。」

「蒼空く~ん!」

「聞こえてるんですけど、初対面だなぁと思って。」

「3日連続であっているでしょ?」

「じゃあ、そんな太陽みたいな人間のふりしないでくださいよ。」

「フフフ。京の心を勉強してきたね。


 しれっと私が陰の人間みたいな言い草、嫌いじゃないわ。」

「事実でしょう。」

「陰の人間なら、君に話しかけることなんてないと思うけどね。」

「同じものは惹かれ合うんですよ。陰と陰だから通じ合えるんですよ。」

「でも、磁石なら反対同士が引き合うよ。」

「まあ、そうですけど……。」

「それに、私は誰にでも話しかけるよ。」

「分かりましたよ。あなたは陽ですよ。」

「ありがとう。今日も勝ち!」

「……今日の負けはどうでもいいですね。」

「負け慣れてきた?」

「そうかもしれないです。」

「じゃあ、勝ち慣れてきたわ。


 まさに、陰と陽ね。」

「今、ようやく悔しくなってきました。自分が陰の道を突き進んでいることを自覚して。」

「じゃあ、隣いい?」

「どうぞ。」


 白いワンピースの彼女はいつものように僕の隣に座った。昨日同様、僕たちの間には風が吹かなかった。


「でも、私は陰と陽で分けられるような人間じゃないと思うのよね。」

「勝ちを譲ってくれるんですか?」

「譲らないわよ。私は強欲だから、風邪でも他人にあげないわ。


 議論は君の負け、そして、さっき言ったことは、私の意見。だって、現実は常に、正しいか正しくないかの二元論とは限らないからね。」

「陰と陽の様にですか?」

「そうね。


 2つで割り切れない世界を2つに分けようとするのが人間のさが、そして、世界を直感でそのまま捉えようとするのも人間の性。


 だから、私の勝ちは重要だけど、私の感情も大事なのよ。」

「まさに強欲ですね。」

「でしょ。」

「じゃあ、陰と陽で表すことができない人間と言うなら、一体何なんですか?」

「そうね……。


 言うなれば、月かな?」

「月は陰の象徴な気がしますけどね。」

「確かに陰陽道の中ではそのような扱いになるけれども、


 月は暗いけど、明るいでしょ。」

「そうですね。


 月は自分から光らない衛星ですけど、恒星である太陽の光を浴びた部分は光り輝く。陰とも陽とも言えないものですね。」

「その点で、月は太陽と違う。


 太陽は自ら輝いているから、完全な陽。でも、月は太陽の光を浴びているから、完全な陰ではないの。


 そして、その違いは、私達の意識も変えてくる。


 太陽が出ている昼間は、太陽が自分から光っているから、私達は対比的にしか月を感じることは出来ない。


 でも、月が出ている夜間は、月は太陽の光を浴びて光っているから、月との対比だけじゃなく、常に月光から太陽を思い浮かべることができる。


 だから、人は太陽を1日中思い続けることができるけど、月は夜にしか思うことができないの。


 人は昼間に月を思い浮かべない。太陽との対比で思い浮かべたとしても、それは一瞬。だって、人の視覚に、常に光として入って来る太陽とは違って、月は夜にしか光らないから。


 それも月の光は、太陽の光を借りた偽物。


 だから、月は忘れられる。人の心に常に居座らない。


 それに、月は形を変える。


 満月、半月、三日月、そして、新月。


 月に出会ったとしても、次に同じ形の月と会えるのは、1か月近く後になる。それに、新月の日には完全に月の存在を忘れられる。


 そんな寂しい月が私なの。」

「月は常に覚えていて欲しいのかな?」

「そうに決まっているわ。


 だって、月は太陽の光を常に浴びているんだもの。月がうらやましがらないわけがない。」

「でも、月は1日には1度は思い出してもらえるんだから、それでいいんじゃないの?」

「駄目よ。


 例えばだけど、君は私のことずっと考えてた?」

「眠れないくらいずっと思っていますよ。」

「あまりにもうわべだけね。


 きっと君は嘘で言っているんでしょうけど、それが君の本当の気持ちだとしても、その気持ちは嘘よ。


 だって、私は1日のこの時間にしか君の前に現れないからね。


 君が私をどれだけ強く思っていたとしても、きっと忘れる瞬間があるはず。だって、目の前にいないとその残像はいつか消えてしまうから。


 人はどれだけの残酷な悲劇も必ず忘れるわ。」

「そうでしょうか?」

「そうよ。だって、この漁師町では、海の近くに家がたくさん建っているでしょう?」

「それは当たり前じゃないですか?」

「そう、当たり前になったの。この町の人が悲劇を忘れたから。


 この町は太平洋と面しているでしょう。そして、ここは日本だから、地震がある。きっと数百年前には、大地震が起こって、この町を津波が襲ったはずなのよ。


 そして、たくさんの人が死んだ。それは途方もない悲劇だったと思うわ。


 だから、その昔の人は津波のすぐあとは、海の近くに家を建てなかったと思うの。できるだけ津波の被害を受けないために、山の近くに家を建てたと思う。


 でも、それだと不便なの。


 だって、ここは漁師町。海へ漁に出なければ、野垂れ死んでしまう。最初の内は海から遠くても、悲劇を思い出して、我慢できたでしょう。


 でも、段々と海から遠いことが億劫おっくうになっていくの。「あーあ、海の近くに家があればな。」そう思う人が段々と増えてくる。すると、1人が海の真ん前に家を建てる。


 そうなれば、雪崩を打ったように、皆が海の近くへと家を移す。


 結局、皆は悲劇を忘れてしまった。だから、海の前に家を建てた。もちろんこれは、想像じゃなくて、実際にこの町で昔に起きたことよ。


 だから、皆は忘れるの。


 昨日も言った通り、限界となる悲劇が来なければ、人は慣れて、悲劇を忘れてしまうの。


 だからね。私は常に思われ続けていたいの。


 忘れられたくない。」

「傲慢だね。」

「私は強欲で、傲慢よ。」

「大罪だ。」

「私は大罪人よ。それでもいいから、誰かに覚えていて欲しい。


 ……君は私を思い続けてくれる?」

「君が望むなら。」

「無理ね。


 私は太陽じゃないもの。」


 彼女はそう言って、僕の隣で立ち上がった。


「さて、私はもう行くけど、君は私のことをいつまで覚えていられるのかな?」


 彼女は微笑んで、堤防を去っていった。


 彼女が去った後も、僕は彼女の残像を感じていた。それでも、吹きすさぶ潮風、揺れる海面、遥か彼方の地平線を見ていると、彼女の残像が少しずつ薄くなっていくのが分かった。


 あれだけ鮮明に感じられていた彼女の輪郭が薄れていく。刹那に感じる五感が彼女の残像をぼんやりさせる。


 そして、僕がふと上を見上げた時、彼女の残像は消え失せてしまった。



 今日は太陽がよく光っていた。

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