スイミーの価値

 11月4日、どうしても夏休み。


 もはや、この惰性の夏休みを終わらせる方法が分からなくなってきた。もうこの夏休みは永遠なのではないかとも感じられる。


 いいや、永遠にすることもできる。


 最大の原因は、僕を学校に行かせる原因が無いということだ。両親は放任主義だし、中学校の先生が面談に来る時間はこうやって釣りに来ているから、学校に連れ戻す先生もいない。


 そもそも、僕は学校の先生に好かれる人間ではなかった。


 自分でもわかっているが、僕はいけ好かないガキだ。だって、いけ好くガキなら、こんな所で釣りをしていない。だから、そんなガキを自らの職場に引き戻す馬鹿はいないだろう。


 それに、担任の教師は新米でも、熱血でもない。やる気のなさそうな50代の数学教師だ。どうせ、不登校児を面倒くさい生徒としか思っていないだろう。


 だから、僕の存在が消えた学校は何も変わっちゃいない。


 僕の存在は幽霊のよう……


 幽霊……


 いつものような1人語りの先で、昨日の話が引っ掛かっている。


 昨日のおじさんの話は、やはり何かの意図があったのだろう。おじさんは彼女のことを知っていた。おじさんの話は、彼女のことを意図するものだろう。


 死んだ人間と生きている人間が分かりあうことは不可能だ。


 本当にそうなのかな?


 やはり、彼女はもう……


「久しぶり!」


 その声は、間違いなく彼女の声だった。僕が振り返ると、いつもの服装の彼女がいた。


「2日ぶりですね。」

「1日空くと、とても長い時間だったね。」

「こっちは似たような人の相手をしていたので、久しぶりな感じしませんけどね。」

「何? 浮気?」

「浮気も何も、僕たちは付き合ってないでしょう。」

「そうだっけ?」

「もしかして、僕がとぼけてたら、付き合ったことになってました?」

「別に君と付き合っていいよ。私、彼氏いないし。」

「少なくとも、そんなヌルっと付き合いたくないですね。もっと手順を踏みたいです。」

「恋愛に手順なんかないわよ。」

「そんなことないと思いますけどね。」

「そんなに難しく考えるから、今まで彼女ができなかったんじゃない?」

「……。」

「簡単に考えればいいのよ。恋愛も、人生も全てね。」

「そうですか?」

「そうよ。私がそれを実行できているかは棚に上げておくけどね。」

「結局、実行することが難しいんですね。」

「そうね。


 ……隣、座っていい?」

「どうぞ。」


 彼女はいつも通りに僕の隣に座る。いつも通り触れる腕からは、彼女の体温が伝わってくる。


「ところで、君、魚は1匹でも釣れたの?


あっ、もう心の綺麗な人しか見えない魚とかはいいからね。私と出会ってから、見える魚は何匹釣れたか教えて?」

「それは、0ですね。」

「嘘でしょ! 私と最初に出会ったあの時、魚喰いついていたじゃない。」

「あの時だけですよ。多分ですけど、ここに魚いませんよ。あの時の魚は勘違いだったんじゃないかと思う程です。」

「それで、1日中ここにいるんでしょ?」

「そうですね。」

「修行みたいね。」

「何も習得できやしない修行ですけどね。」

「いや、忍耐力は得られるんじゃない?」

「これからも釣れない前提ですか?」

「そうよ。一応、ここは漁師町よ。別に漁師全員が遠洋漁業してるわけじゃないんだから、浅瀬でも魚が獲れるはずでしょう?


 そんな中で釣れないのは才能よ。」

「そこまで言いますか?」

「そこまで言うわね。」

「……。」

「0.5勝ちかな?」

「なんで僕が今負けたんですか?」

「何も言い返せなくなったら、勝ちかなと思って。」

「……いいですよ。こっちが負けて減るもんじゃないんで。」

「なんか私がセクハラしてるみたいな言い回しね。」

「何らかのハラスメントには抵触してるでしょう。」

「今時の若者はこれだから困るなあ。」

「そう言う君は、いつ時の人間なんですか?」

「……いつだろうね?」

「今でしょう?」

「そうかもね。」


 彼女は笑っていたが、初めて彼女との会話が止まった。いつも堤防に座ってからはノンストップだった彼女との会話が止まった。


「……でも、釣れない才能はいいと思うよ。」

「なぜですか?」

「だって、魚は海に生きているだけだから。」

「どういうことでしょう?」

「私は豚とか牛の肉なら何の罪悪感もなく食べることができる。だって、豚とか牛は人間に飼われているから、人間に食べるために生きているだけ。だから、別に食べても罪悪感はない。


 でも、魚は違う。


 魚は人間に食べられるために、海を泳いでいるんじゃない。自由に生きるために泳いでいるのよ。


 でも、それを君のような釣り人が獲ってしまうの。自由に生きていた魚を殺して食べてしまうの。」

「でも、それが生物の本質でしょう?


 世界は弱肉強食だし、人間は自由に生きている獣を狩って、生き残ってきたんだ。だから、魚もその1つだと考えればいいんじゃないの?」

「そうね。それが本質。


 でもね。人間は他の生物と違って、共感能力があるの。


 自分が食べる生物に自分自身と同じ種族だと考えることができるの。今から食べる生物にも家族がいて、自由に生きていたのに、いきなり人間に食べられるという恐怖を生き物に投影することができるの。


 だから、人間だけは弱肉強食の生物の本質から離れて考えることができるの。


 だから、私の価値観では魚を食べるとき、妙な嫌悪感が襲ってくるのよ。私は生きるために、この魚を殺してもいいのか? 自由に生きる魚を殺すだけの価値が私にあるのか?


 でも、そんなことを考えている内に、お腹がすくから、結局食べるの。


 それでも、胃の中で魚がいるのが分かる。消化液を浴びせられて、ドロドロに体を溶かして、グチャグチャのペーストにされる。そして、胃の中で魚の死が私の生に還元される感覚が私を襲うの。


 私はもう、その感覚に残酷にも慣れてしまった。だから、吐き出さなくなった。でも、たまにそんな感覚がフラッシュバックするの。


 私はそのたびに、処方箋のようにスイミーを思い浮かべるの。」

「スイミーって、国語の教科書のあれですか?」

「そうよ。1匹だけ黒い魚の話。


 皆、赤い魚の中で、1匹の黒い魚、それがスイミー。スイミーは大きなマグロに対抗するために、赤い魚達と協力して、大きな魚に化けるの。赤い魚達が大きな魚の形になって、スイミーがその魚の目になる。


 スイミーだけで目を担うなら、あまりにも魚が平面すぎるという指摘は置いといて、ここから得られる教訓は何だと思う?」

「それは、スイミーのリーダーシップと個性を生かした生き方じゃないですか?」

「小学生なら満点、大人だと0点。」

「大人でも0点ってことは無いでしょう。」

「まあ、いい過ぎた感じはあるわね。


 私が思うスイミーの教訓は、赤い魚は1匹くらいいなくなってもいいってことよ。


 大きな魚に化けた赤い魚達の内、1匹欠けた所で、スイミーの作戦に影響はない。でも、スイミーが欠けると、ただの赤い魚の大群になってしまうから、作戦は失敗。


 同じ魚の命なのに、スイミーと他の魚では大きな価値の違いがあるの。


 だから、私は魚を食べるとき、これは赤い魚だったと考えることにしているの。」

「それがスイミーだったかもしれないとは考えないんですか?」

「考えない。だって、スイミーは主人公だから、食べられたりしない。」

「人間本位的ですね。」

「きっと、世界は価値のあるものの周りを回っているのよ。だから、その価値の損失となるようなことは早々起こらない。


 ゆえに、スイミーは食べられない。」

「なんか無茶苦茶ですね。」

「でも、それが私の中での真実。


 価値のあるものは失われない。逆に、価値の無い者は失われる。


 それが私の真実。」


 彼女はそう言うと、堤防を立ち上がった。


「じゃあ、またあし……。」

「今日!」


 僕は彼女の声を遮るように声を出した。


「……今日は夜釣りをするんです。良かったら……。」


 彼女は少し呆気に取られていた。だが、すぐにこちらへ微笑みかける。


「楽しみにしてる。」


 彼女はそう言って、堤防を去った。


 

 きっと今夜が彼女と会える最後になるかもしれない。


 僕はそう思った。

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